phasonの日記: シロイヌナズナはグルタミン酸受容体様タンパクを使って電気信号を伝達する 2
"GLUTAMATE RECEPTOR-LIKE genes mediate leaf-to-leaf wound signalling"
S.A.R. Mousavi, A. Chauvin, F. Pascaud, S. Kellenberger and E.E. Farmer, Nature, 500, 422-426 (2013).
動物は様々な感覚器を持ち,周囲の状況に応じて行動や代謝などを大きく変化させる.それに対して植物は静かに生長するのみである……などと考えられていたのは遙か古代の話.現代では,植物は実に様々な手段で外界の情報を得ており,それにより自らの成長やら内部で作る分子やらをダイナミックに変化させていることが知られている.
そんな外部刺激に対する「応答」の一つとして,昆虫などにより食われた際などに起こる傷害応答というものが知られている.植物といえど,黙って食べられているわけではない.囓られるとそこから「食われてるぞ!」というシグナルを発し,それを元に昆虫の消化を阻害する成分だとか(昆虫の摂食量を減らしたり,成長を抑制する),もっと直接的に毒性のある成分を生産し出したり,傷ついた部分からの細菌の侵入を防ぐための抗菌物質や凝固性物質(傷口を塞ぐ)の生産を始めたりするのだ.さてこの傷害応答,何によってシグナルが伝達されているのか?という点に関して議論が続いている.
植物におけるシグナル伝達は,かつては各種の合成された分子が導管などを通して運ばれ,それによって信号が伝わっているのだろうと考えられていた.しかしその後様々な研究が進むと,どうも動物における神経伝達のように,何らかの電気的シグナルを使っている場合があるようだ,という事が明らかとなってきているのだ.例えばハエトリソウやオジギソウが非常に素早い動きをすることをご存じだろうが,これらの動作においては人間などの神経と同様にイオンを使った迅速なシグナル伝達が使われている.
*余談だが,オジギソウなどのシグナル伝達が神経に非常に似ていることから,エーテルをかがせたらどうなるのか?という実験が行われたらしい.その結果,オジギソウにもエーテル麻酔が効くことが示された.エーテルをしばらく嗅がせたオジギソウは触ってももはや葉を閉じなくなる.麻酔が効いているわけだ.その後大気中で放置するとまた通常に戻るそうだ.
さて,そんな電気信号が使われているのではないか?と考えられているシグナル伝達の一つが,先に述べた傷害応答である.実は傷害応答は囓られた葉だけではなく,そこから離れた葉にも同じ応答を引き起こし,外敵への防御を固めさせる効果があることが知られている.過去にはトマトを使った実験が行われており,膜電位の関係する信号伝達などが示されている.
今回の論文で報告されているのは,シロイヌナズナの傷害応答である.まずはいくつかの場所(芋虫が囓る葉の複数箇所と,それ以外の様々な場所の葉)に電極を取り付け,どんな変化が表れるのかを観測した.葉が囓られると,その周囲の細胞の膜電位は大きく低下し,それが次第に遠方の細胞にまで伝わっていく様子が観測された.単に葉に触れたりしただけではこのような変化は観測されず,葉が傷つくことが重要であった.同様の電位の低下は葉に冷たい水を垂らす,と言った刺激でも生じたが,その時間変化は大きく異なっていた.葉に傷が付くような大きなダメージの場合は,電位の低下が長く続き,しかも周期的にパルス状に電位が低下する信号が送り続けられたのだ(もちろん次第に減衰していくが).人間で言うなら,「怪我したら痛みが長く続いて,しかも周期的に痛む」とでも言いたくなるような状態だ(もちろん植物がそう感じるわけではないが).
この「信号」の伝わる速度は,同じ葉の中では7-8 cm/min程度,違う葉に伝わる時でも6 cm/min程度はあるようだ.この速度は人間などの神経系の伝達速度に比べるともちろん圧倒的に遅いが,植物のタイムスケール的にはかなり速いと言えよう.また信号は全ての葉に同じように伝わるわけではなく,配置的に近い位置にある葉に強く伝わるようだ.シロイヌナズナの葉は地面近くに放射状に広がっているのだが,傷つけられた葉を中心に±70度程度の範囲に信号が伝わる感じで,傷つけられた葉に(空間的に)近い位置の葉により強い信号伝わっているようだ.恐らく,「次に囓られる可能性が高い葉」を中心として傷害応答を起こしておくためだろう(防御行動もコストがかかるので,狙われやすい部分だけで起こすのは理にかなっている).
膜電位の変動は,傷害応答のきっかけとなるシグナルなのだろうか?それとも傷害応答の単なる結果なのだろうか?それが次の疑問である.もうちょっとかみ砕いて言えば,シロイヌナズナは信号を電気的シグナルとして伝えているのか,それとも別な何かで伝えていて,電位の変化はそこから引き起こされる何かの結果なのか?という事である.そこで著者らは,純粋に電気的な手段で傷害応答を引き起こせるのか?を実験した.まず葉に非浸食性の電極を取り付け,非常に弱い電流を流すことで周囲の膜電位を低下させたのだ.
そうすると,葉は一切傷ついたり囓られたりしていないのに,ジャスモン酸の生成量が増える,などの代表的な傷害応答が葉全体で発生したのだ.
*ジャスモン酸は傷害応答の第一段階である.これ自体が有用であることに加え,ジャスモン酸は様々な耐傷害のためのメカニズムをトリガーし,傷害応答をコントロールする.
電流刺激により葉でどのような遺伝子が活発に働くようになったかを調べると,「電流刺激で活性化された遺伝子」のほぼ全ては,「傷害応答時に活性化する遺伝子」に含まれていた.この結果は,「傷害応答」には,電気的シグナルによって活性化するものがある,つまりシロイヌナズナが電気的信号を利用して傷害応答(の一部)をトリガーしていることを強く示唆している.また,「電流は単にジャスモン酸の生成量を増やすだけで,それが他の傷害応答もトリガーしただけなのでは?」というわけでもない.ジャスモン酸の合成部分をノックアウトした株であっても,電流刺激によりその他の傷害応答が観測されたからだ.
なお,電気的に引き起こせるのは,傷害応答の一部である.つまり,「本来の傷害応答では活性化するけど,単なる電流刺激では活性化しない遺伝子」も多数存在していた.これ自体は驚くことではない.傷害応答のように生き残るために必要な機構は,様々な情報をトリガーとして動く異なる複数の機構で構成されているのが普通だからだ(ある種のredundancy).
では,一体どのような分子がこの電気的シグナルの伝達に関与しているのだろうか?著者らが目を付けたのが,グルタミン酸受容体様タンパク質(GLRs)である.動物ではイオンチャンネル型の受容体が神経信号の伝達に大きな役割を果たしていることが知られており,グルタミン酸受容体はその中でも重要度の高い分子である(脳神経などで重要な役割を果たしている).
著者らが「もしかしたら植物でも同じよな分子であるGLRsが電気的信号の伝達に関与しているのでは?」と考えたのかどうかは知らないが,結果はまさにその通りであった.GLRsをノックアウトした株では,囓られた時の電位変動は非常に弱まり,葉に電流を流しても傷害応答を引き起こすことが出来なくなったのだ.
まとめると,
・シロイヌナズナは電気的信号を「葉が囓られた」と言うような事実を伝えるためのシグナルとして使っている.
・そのため逆に電流刺激だけで,傷害応答を引き起こせた.
・このシグナル伝達には,グルタミン酸受容体様タンパク質が重要な役割を果たしている
という事になる.
面白い点は,(著者らも最後のあたりに書いてあるのだが)動物で電気的振動伝達に大きな役割を果たしているGLRsが,植物でも同じような信号伝達に利用されている,と言う点である.これはこの分子がシグナル伝達を担うようになったのが,動物と植物とが分かれる前の時代なのではないか?という示唆を与えるものだ.
植物と動物が分かれる前なんてこりゃもう非常に古い時代なわけで,そんな時代にこの分子が一体どんな情報を伝達していたんだろう?なんて妄想に耽るのもなかなかに面白い.
疑問や仮設が...。 (スコア:1)
動物と植物が分かれる前の多細胞生物って、どんなの?という疑問が...。
もしかすると多細胞生物ではなく単細胞生物の個体間通信?
そうなると単細胞生物全般に負の走行性があったりする?
Re:疑問や仮設が...。 (スコア:1)
>単細胞生物の個体間通信?
そういうのも可能性としてはあると思います.
群体を作っている,くっついてる単細胞生物間での信号のやりとりとか.
まあ実際の所はわかりませんけどね.水平伝播とかもあり得るでしょうし.