yasuokaの日記: けものへんに米、けものへんに英、けものへんに蜀 1
私(安岡孝一)の4月2日の日記の読者から、秋山五郎の「街に溢れる防空服装―繁華街上海の決戰色」(大東亞報、第12卷、第17號(昭和19年9月15日), p.32)という記事を読んでみてほしい、との御意見をいただいた。
特にお知らせしたいのは中國人の協力ぶりだ。その日和見的な態度は昨年一月の中國側參戰で大分是正されて來たが、殊に租界返還、治外法權徹廢といふ日本側の英斷措置斷行後は目立つて眞劔な參戰意識が現れた。けものへんに米英という新文字を使用した敵擊滅のスローガンを揭げた華語のポスターが、日本語のそれと並んで街頭にはり出され戰意をかり立てゝゐる。
ただ、「𤝸𤠉」と書かれたポスターは、↑の記事の写真(上海ではなくマニラの写真らしい)には写っていない。また、↑の記事を掲載したからといって、その後の『大東亞報』では、相変わらず「米英」も「日獨」も使い続けている。その意味では、少なくとも↑の記事において「𤝸」や「𤠉」に差別的意図があった可能性はあるが、「獨」に関してそんな意図があったとは考えにくい。
一方、↑の記事と同様の話が、昭和24年5月30日の参議院会議録に残っているとの御連絡をいただいた。
○細川嘉六君(続) どうも遺憾なことであるが、我が敬愛する議長と私の見解が違うので、ほんの僅かのところだけ言わして下さい。鬼畜𤝸𤠉の叫びが起きた。鬼とは鬼、畜とは畜生である。𤝸𤠉と來ますというと、あなた方はよく覚えておられるでしよう。けもの偏にイギリスの英という字を書く、𤝸となると、けもの偏に米の字を書いた。けもののようなものだと宣傳された、そういう時代がある。
ただ、細川嘉六も「𤝸」と「𤠉」には言及しているものの、「獨」には言及していない。当時の日本が、「獨」という字をどういう意図で使用していたのか、ご存知の方はゼヒ教えてほしい。
英吉利+けものへん (スコア:1)
三国時代の蜀の敵国が「獨」を使った用例は、まさかないだろうな…