yutarineの日記: ギフテッドの負の側面 11
ふとしたことから「アタマが良すぎる人もある意味病気みたいなものなんじゃないかな?」と思って、調べてみたら「ギフテッド」というワードが拾い上げられた。
「ギフテッド - Wikipedia」
Wikipediaの記事読んでみると、まぁストンと落ちたというかもっと早く知っておけばよかったというか…。
Googleトレンドでギフテッドとそれと関連する語句で比較してみたが、ギフテッドはかなり少ない。
Google トレンド - ウェブ検索の人気度: ギフテッド, 発達障害, アスペルガー, 自閉症 - すべての国, 2004年 - 現在
研究論文を当たって見ても、日本語の論文は20件くらいとかなり少ない。論文中で軽く触れてるだけで、主題で取り扱ってるのはそれよりも少なくなる。
Webで読めるのとしてはこれくらいか↓
日本におけるGT教育の可能性 富山大学学術情報リポジトリ
どうも読んでみると、研究分野や公的なところでは「ギフテッド」はほとんど使われずに「才能教育」という語が使われてる模様。
ただ、これも改めてGoogleトレンドに放り込んでみると
Google トレンド - ウェブ検索の人気度: 才能教育, ギフテッド - すべての国, 2004年 - 現在
現在では「ギフテッド」よりも低くなっている…。研究分野ではどうか分からないけど、どっちみち一般には概念としてはほとんど認知されてない模様。
個人的には「才能を伸ばす教育」と正の側面よりむしろ「高い知能によって社会生活が困難」になる負の側面が大きいとは思う。
結局のところ「才能」というのは勉強にしても趣味にしてもその評価が定まってないと世間では認知されない。並外れた才能なら別だけど、それにはその才能を開花させて社会に認知させるという周囲のサポートも必要になるが、そのような環境にいる人はかなり少ない。
社会ではいろいろな問題を解決するに当たって話し合いを重視して解決を図る。しかしすぐ答えに行き着いてしまう人が回答すると、そのような話し合いが無意味になってしまうので周囲から反発される可能性がある。またその人自身も「なんでそれくらい分からないんだ?」と思ってしまい、増々周囲から解離していく。
「そんなことも分からない人間がなんで自分より優遇されているんだ?」と不満ばかり蓄積されていく。またそれを周囲に相談しても、周囲からはアタマの良さを鼻にかけて人のことを馬鹿にしてると思われて余計に解離していってしまう。最終的に周囲からの反発を避けるために相談することもなくなり、自分自身の中に不満だけ溜め込んでいってしまうことにもなる。
「機会の平等」よりも「結果の平等」が強い社会だと、そのような評価が定まってない才能を持つ人にとってはかなり生きづらいのではないかと思う。
海外へ行くことを提案している人もいるようだけど、日本で教育を受けているとどうしても日本語の縛りが出てくる。才能があっても英語もすんなり使いこなせるわけでもないので(才能の偏り)、初めに覚えた言語というのはかなりの縛りになる。
公教育で現状ではほぼ受け皿がない以上、早期に才能を見出して英語教育をして留学などさせるのも一つの解なのだろうけど、海外のギフテッド教育で補完される社会性を身に着ける教育というのが、日本に帰国しても通用するのかというのも調べる必要はある。
ギフテッドが生まれながらの資質とされているようなので、例え教育で才能の目を摘み取って社会に無理やり適応させても、社会に出てから才能が芽生えることは十分に考えられる。そうした場合、果たして才能を自分で押し留めて生活していけるかというのもある。
(才能を伸ばせる環境を見つけ出せればいいのだが)
現状で日本では認知がほとんどされてないようなので、何かあっても本人だけの問題にされて終わってしまうというのはもはや不幸でしかないだろう。当の本人自身も自分にそういった資質が身に付いていると分かって生活していればだいぶ違うとは思う。
補足 (スコア:1)
東大や旧帝大の人を優遇するとかそういう話ではないです。それだと単なるエリート優遇。
Wikipediaの記事を読むとある種の判定基準が書かれてるけど、確立されてるというわけでもない模様。
記録すること (スコア:1)
彼に出来ることは、後日自分のせいにされないように記録を残すことだけど、それでも我慢できずに
「おそらく失敗するでしょうから、どこでどう失敗したか記録して差し上げます」なんて言ってしまって集団から排除されると思う。
Re:記録すること (スコア:1)
「おそらく失敗します。判断材料としてはこういうのがありますよ。どうぞ」
ってやって排除されるのはあるかなー?って思います。
関連してるかはちゃんと調べないと誤解しか生まないけど、オウム真理教のようなケースも考えないといけないとは思うんですよね。
頭が良すぎると一般の人とはどうしても解離が生じるので、頭が良すぎる人同士でコミュニティを作って自助努力をしていこうってのは行なわれてるようです。
それがちゃんと社会に認められた活動ならいいけど、反社会的な新興宗教とか過激思想の草刈り場として利用されるのはかなりマズい。
自分としては、頭の良すぎる人というのを社会的に認めて、社会に適合できる環境作りをしていく必要があると思ってるわけです。
犯罪に走る以外に、日記に書いたように才能があるのに社会に対する無力さで絶望してしまうというのもあるわけなので。
アメリカのスーパーヒーローものの作品とかは、そういうのを描いてるように思えるわけです。
社会に認められた能力者はヒーローとなり、認められず排除されて憎悪を増幅させた能力者は悪に染まるあたりからして。
# 才能といっても一緒くたに出来ないのでコミュニティ作るのも難しいし、自分に何が出来るかと言われると思いつくことも少ないのでこうやって日記に書いとくくらいなわけですけど…。
寧ろ海外に土着させた方が (スコア:0)
日本は古来から災害が多く、結束して対応しなければならないことや農耕社会であることから、特に均質性を強く求められる所があるんじゃないかな。
ギフテッドな人をそんな日本に縛り付けるのは、本人にも不幸だし日本社会にもお荷物になると思う。
もし、日本にギフテッドが生を受けた場合、できるだけ早くそれを見出だして英語教育を施し、海外へ送り出して土着させた方が本人にも日本社会にもいいんじゃないかと。
Re:寧ろ海外に土着させた方が (スコア:1)
当座の問題に対応しつつ、よりよい対策を話し合うといったことをできるような社会にしないとダメでしょう。なんか、全てを解決できないと新しい対策をとらないとか意不明なこと大杉。
Re:寧ろ海外に土着させた方が (スコア:1)
誤 結束して対応する必要があるのと、異論を排除し議論するのは別の問題だと思う。
正 結束して対応する必要があるのと、異論を排除し議論しないのは別の問題だと思う。
どこの社会も同質性を求めるのは同じだと思う。日本社会の同質性というのが、ほかと比べて特にすごいのか、歴史的にそうなのか、検証する必要性はあると思うな。
大正時代までの話を見ていると、なんとなく'80年代以降に、以前と違ったベクトルでひどくなっているような気がする。
Re: (スコア:0)
結局、なにか結束してやらないといかんという場合、皆が同じベクトルを向いてないとダメ、違うベクトルを向いている人は邪魔者や下手すりゃ反逆者扱いにして排除してしまう風潮があるのかもしれない。
そういえば、日本社会って一定の方向性が決まるとそっちに向かって、爆進してしまう所があるしね。
Re:寧ろ海外に土着させた方が (スコア:1)
東京とか都市部ではある程度是正されてきてるとは思うんですよね。私立学校も多いわけなので教育でも多様性はあるので。
会社でも結構自由な風潮のところも稀にあったりする。
でも現状だとそういうのを享受できるのは環境に恵まれた人くらい。前提として平等というのがあるから、そのへんの認識を変えていかないと環境に恵まれなかった人というのは社会の犠牲のままになってしまう。
このへんは国民性というか、平等という前提を取り払おうとするとこれまでの差別教育と整合性が取りにくいため手が付けにくいんだと思います。教育では特に平等が求められたりするわけで。
Re:寧ろ海外に土着させた方が (スコア:1)
ちょっとややこしいことがあると自分たちで解決することをすぐにあきらめて全部「お上」に丸投げですか。
そんなだから中国韓国に出し抜かれてどんどん衰退するんですよ。
自分たちで全て責任を取ろうとする覚悟のない国はいつまでたってもお子様の国だ。
Re: (スコア:0)
自家撞着
Re:寧ろ海外に土着させた方が (スコア:1)
均一性指向重視で、日本がいままではある程度うまく行っていたのかもしれないけど、これからは多様性も重視しなければ、ますますやっていけなくなるような気がします。
変化も早いし、よい手本もなく、試行錯誤しなければならないことがますます多くなる。Gifted にしても発達障害にしても、良いところを伸ばして、欠点を弱めて、社会全体の利益になってほしい。普通の人たちもそれぞれの専門性を磨いて、社会・組織を強化しないと負けてしまいます。異質なものによる組織・集団の力を伸ばすことこそ重要でしょう。