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仕様書の書き方などをざっと読んでみた限り、i386のprotected modeを使いたくてOSを作ったのではないでしょうか? biosに依存している部分がかなり多いところを見ると、processorの中で片づくことだけを作り込むことに興味がありそうな印象を受けます(DPMIにハマったとかいうあたりによく現れている)。OSまでいかなくても、dos extenderを作る動きは90年代前半にはあちこちであったと記憶しています。
ちなみに私はほぼ同時期にsparcにハマってしまい、contextをいくつもprocessorの中に持てることなどに感動していました。なのでそれ以来「i386じゃなくてもいいんじゃない?」「何が当たるか分からんからmachine-independentで行こうよ」という発想です。当時こういう考えの人って他にいたかなぁ...?
結局のところ、本当に実用になる OS を作ろうと思うならば、それなりに人数を確保しなくてはならない。一人でできることは限られているからね。
Microsoft のように十分な財力があるのならば、その金で人を雇うことができるが、そう
別にクローズドソースだからって開発者にソース配布しないって意味じゃないのではは無いでしょうか? 「クローズドではあるが、開発ボランティアにはソースを配布する」 ってのも十分にあり得る方法ですよ。
別にオープンソースでないからってだけでそんなに叩かなくとも・・・。
わたしもそう思います。 使えない!、ダメダメというのは実に簡単。 いろいろと文句の付けどころは確かにあると思いますが、 これだけのものを作り上げているのだから、 素直にたいしたものだと評価したいものです。
ましてや破綻したわけでも、お金を持って逃げたわけでも、 人様に迷惑をかけたわけでもないのだから (もし、そうだったら、すみません…が、そんな話ないですよね)
Windows の 1.0 は、見かけもっとひどかったという話だし(笑)。
もし含まないのなら、オープンソース方式より この点では劣っていると言わざるをえないし、 もし含むのなら、すべてのユーザが潜在的に 開発者になる可能性を持っているから、 全ユーザに配布するのと大して変わらなくなってしまう。
「ちょこちょこっと開発」をやりたくなった時点で 「こういうことをやりたいからソース下さい」 と請求する、とパターンもありかもしれないけど、 それだと、できると思ったけど実際ソースを見て 断念する、ということもあります。最初から開発なんか するつもりがないのにソースを請求する人と区別が つかないです。
別に他人の話を聞かないって訳でも無しい、開発協力についてやオープンソース化についても意見を求めているって現状があるってのに、今現在がオープンソースでないってだけで存在を否定するってのもなんだか無茶苦茶偏った意見に見えます。 私には「公表するなら全部寄越せ。そうじゃなきゃゴミだ」とか言っているようにしか見えないです。 それでは本当の意味での発起人が利益を得られない悪平等ってモンにしか見えませんよ。
それ以前に個人で作ったものであれば、それをどう扱うかは自由だし、その方針がそれ以前に、自分が自力で作ったものに対して自分がイニシアチブを取りたいと考えるのは悪い事なのでしょうか?
ぼくは、NOWSMART に対する批判は一言も書いていません。開発者とユーザを区別して、開発者だけにソースを公開する [srad.jp]という案に対する批判を書いたのです。しかも、その批判は、「オープンソースでない」ことに対する批判ではなく、開発者とユーザの区別に問題がある、と言っているのです。開発者が十分な協力ができるための案、として提出されていますが、「ちょこちょこっと開発」 [srad.jp]をやりたくなった人は「開発ボランティア」に相当するのかどうかが不明で、しかも相当するにしてもしないにしても、どっちに転んでも問題がある、と言っているのです。
ちなみに、バザールモデルですが、esr の「伽藍とバザール」では、伽藍 = GNU、バザール = Linux (Linux カーネル)、という対比となっています。ぼくがこれを書く理由は、単に言葉の誤用を指摘するだけではなく、オープンソース (GNU の言うフリーソフトウェアとほぼ同義) であってもバザールモデルでない (つまり、伽藍モデル = 少数開発者だけによる、首尾一貫性を重視する開発スタイル) こともありうる、ということなのです。
C言語は本当に便利か
tree_model = gtk_tree_view_get_model(tree_view);
treeModel = treeView.getModel();
さらにいえば、研究云々の話については、一度USENIX [usenix.org]にでも連れていきたいです。特にFreenix trackでは動いていないものの方が珍しいです。また、最近は発表者が所属を大学や企業ではなく、開発プロジェクトそのものにしてしまう人も増えています。これでまだきちんと動いていないなんて言おうものなら石が飛んできたりして...
また、最近は発表者が所属を大学や企業ではなく、開発プロジェクトそのものにしてしまう人も増えています。
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds
果たして使い物になるだろうか (スコア:3, 興味深い)
板とかを見てみた。
熱意とか「頑張ってるね」とかは認められるが、前途多難だろうと
思うし、哲学的にはちょっと問題ありとも思うし、技術的に素人か
と疑わせるような記述が多々あり、不安でもある。
仕様について
結局、これは何なんだ。GUI付きMSDOSかな。初期のBe
OSか。X11R2程度のものか。
何に使えるのか。Windowsフリーなシンプルデスクトップか。機
器組込み用軽量GUI付きOSか。
こんなOSでも、PC上で動きますという個人的コレクション用
だろうか。
オープンソース批判について
このOSを商売にしたいという言い訳のように聞こえる。そうい
う態度でこのレベルのOSだと発展性はまったく期待できないよう
に思えるが、単なる僕の杞憂か。
C言語は本当に便利か
本当にOSを作っている人間の言う議論だろうか。こういう発言
に彼の知識に不安感を抱くのは、余計なことだろうか。まあ、OS
が一応動いているなら、何とかなっているのだろうけど。
と言うことで、こんなものが世間にまともに相手にされるようには
思えないのだが、昨今はこういうものが受け入れられる時代なのだ
ろうか?
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:1, 興味深い)
>思えないのだが、昨今はこういうものが受け入れられる時代なのだ
>ろうか?
まだ、
「とりあえずこんなもん出来ました、どうでっしゃろ?」
ってレベルのお話では?
だから、当然現在実用品として出まわっているものと実用レベルで比較しても意味無いと思うよ。
まあ、本人からしてこれで何をどうしたいのか、いまいちはっきりしたビジョン
がなさそうではあるけども、その辺りを含めて意見を求める為の公開なんだろうし。
実際、何もやらないよりは化ける可能性もある訳で、その辺りはちょっと楽しみ。
ただ、単に「動きます」程度であれば個人でも出来る事だろうけども、実用的な
ものを生み出すって作業には往々にしてマン・パワーが必要になるってのも事実
なんで、その辺り上手く進めれば良いのですが。
作り手の目的と時代背景 (スコア:2, 興味深い)
仕様書の書き方などをざっと読んでみた限り、i386のprotected modeを使いたくてOSを作ったのではないでしょうか? biosに依存している部分がかなり多いところを見ると、processorの中で片づくことだけを作り込むことに興味がありそうな印象を受けます(DPMIにハマったとかいうあたりによく現れている)。OSまでいかなくても、dos extenderを作る動きは90年代前半にはあちこちであったと記憶しています。
ちなみに私はほぼ同時期にsparcにハマってしまい、contextをいくつもprocessorの中に持てることなどに感動していました。なのでそれ以来「i386じゃなくてもいいんじゃない?」「何が当たるか分からんからmachine-independentで行こうよ」という発想です。当時こういう考えの人って他にいたかなぁ...?
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:1)
OSか。X11R2程度のものか。
MS-DOS2.11 を画像付きにして、若干の画面環境ソフトを付けた
みたいな感じですね。
内部コマンド(と言うのかな)も、DOSっぽいし。
ちなみに、僕の環境ではインストーラがコケたので、インストールできた
人のアーカイブ [mac.com]を解凍して、dd でもってフロッピーに直書き
して試しました。
とりあえずはお試しを。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
結局のところ、本当に実用になる OS を作ろうと思うならば、それなりに人数を確保しなくてはならない。一人でできることは限られているからね。
Microsoft のように十分な財力があるのならば、その金で人を雇うことができるが、そう
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:1, すばらしい洞察)
別にクローズドソースだからって開発者にソース配布しないって意味じゃないのではは無いでしょうか?
「クローズドではあるが、開発ボランティアにはソースを配布する」
ってのも十分にあり得る方法ですよ。
別にオープンソースでないからってだけでそんなに叩かなくとも・・・。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:2, すばらしい洞察)
わたしもそう思います。 使えない!、ダメダメというのは実に簡単。 いろいろと文句の付けどころは確かにあると思いますが、 これだけのものを作り上げているのだから、 素直にたいしたものだと評価したいものです。
ましてや破綻したわけでも、お金を持って逃げたわけでも、 人様に迷惑をかけたわけでもないのだから (もし、そうだったら、すみません…が、そんな話ないですよね)
Windows の 1.0 は、見かけもっとひどかったという話だし(笑)。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:2, フレームのもと)
もし含まないのなら、オープンソース方式より この点では劣っていると言わざるをえないし、 もし含むのなら、すべてのユーザが潜在的に 開発者になる可能性を持っているから、 全ユーザに配布するのと大して変わらなくなってしまう。
「ちょこちょこっと開発」をやりたくなった時点で 「こういうことをやりたいからソース下さい」 と請求する、とパターンもありかもしれないけど、 それだと、できると思ったけど実際ソースを見て 断念する、ということもあります。最初から開発なんか するつもりがないのにソースを請求する人と区別が つかないです。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:3, 興味深い)
例えば仕様の指針なんかは個人なり一個団体に依った方が統一感を持って進めるってのも確かですし、船頭多くしてなんとやらってお話も多いですし。
厳密な管理をしたいのであれば、開発者個々に守秘義務を負わせた契約を科しても良いわけだし。
それ以前に個人で作ったものであれば、それをどう扱うかは自由だし、その方針が それ以前に、自分が自力で作ったものに対して自分がイニシアチブを取りたいと考えるのは悪い事なのでしょうか?
また、将来的に金を取るつもりであっても悪い事とは思わないですし。
別に他人の話を聞かないって訳でも無しい、開発協力についてやオープンソース化についても意見を求めているって現状があるってのに、今現在がオープンソースでないってだけで存在を否定するってのもなんだか無茶苦茶偏った意見に見えます。
私には「公表するなら全部寄越せ。そうじゃなきゃゴミだ」とか言っているようにしか見えないです。
それでは本当の意味での発起人が利益を得られない悪平等ってモンにしか見えませんよ。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:1, 興味深い)
と、いうのは同意です。まぁ、だとしたら何処か対岸の起こっている事だということ。本人の意思なら非難してもしょうがないし。
この作者が「ソース公開は望ましくない」とオープンソースを批判してる(ようにとれる)文章はいただけないなぁ。
自分はgccやlinuxのソース見てその恩恵少なからず受けてるわけだし。
当てにしないとはいいつつも。
ユーザは、コードの論理的美しさより、実際動くことや機能の方が大事なのであって、別にコードに質のバラつきがあった所で、問題あれば誰かが書き直すでしょ。
このOSって現代のMinix(vs linuxの)っぽい主張?(closedで論理先行
だとしたら未来は見えてるんでは。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
>この作者が「ソース公開は望ましくない」と
>オープンソースを批判し >いただけないなぁ。
なんでいただけねーんだよ。批判する権利は誰にでもあるだろ?
あんた何様のつもりよ?あん?
>自分はgccやlinuxのソース見てその恩恵少なからず受
>けてるわけだし。当てにしないとはいいつつも。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:1)
たしかにそうですが、
そういうふうにソースへのアクセスパスを「むずかしく」することで、
(気楽な)参加への敷居が高くなるわけですよね。
気楽な参加ベース(=オープンソース)での成果を
見たり体現したり(!)してるかたがたから見れば、
そりゃ「はがゆく」感じるのも自然なことだとは思います。
つまり「こっちの水は甘いのになあ…」と。
>それでは本当の意味での発起人が利益を得られない悪平等ってモン
独占しても得るものはそんなに多くないのを
見たり体現したりしてる人々から見れば、
悪平等ってわけでもないのになあ、とは思えるってことかと。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:1)
ぼくは、NOWSMART に対する批判は一言も書いていません。開発者とユーザを区別して、開発者だけにソースを公開する [srad.jp]という案に対する批判を書いたのです。しかも、その批判は、「オープンソースでない」ことに対する批判ではなく、開発者とユーザの区別に問題がある、と言っているのです。開発者が十分な協力ができるための案、として提出されていますが、「ちょこちょこっと開発」 [srad.jp]をやりたくなった人は「開発ボランティア」に相当するのかどうかが不明で、しかも相当するにしてもしないにしても、どっちに転んでも問題がある、と言っているのです。
バザールモデルによるクローズドソース開発 (スコア:1)
わたしは「バザールモデルによるクローズドソース開発」の意義と手法に興味を持っていますので、ちょっと考えてみました。
なにか理由があってソースを手放せないけれど、周りの協力を得たい場合が有るとします。
普通に考えてこれではただの身勝手ですので(笑)、協力者への感謝の意は(報酬も含めて)なにか用意するものとします。
この状況で開発者を募集するとして、これはここで話題となっている「開発ボランティア」には含まれませんか?
とりあえず、こういう立場で参加していただく人たちを、便宜上「開発協力者」と呼んでみます。
「開発協力者」の募り方は口コミから公募(ソフトに同梱?)まで色々考えられますね。
その後、参加希望者からメールをいただいて何度か話し合った後、一緒にやっていけそうな人に(開発ライセンスに同意していただいた上で)ソースへのアクセスを許可します。(使用と開発でライセンスを分けます)
この方法ですとソースのコントロールを失うリスクは少ないのですが、kubotaさんのおっしゃる通り「ちょこちょこっと開発」参加者は諦めざるを得ません。
バザールモデルの良さを活かしているとは言えませんが、この手法で(クローズドソース開発の)開発協力者を募ることは無理/無意味でしょうか?
--- Melloques Les Covdrasey ---
Re:バザールモデルによるクローズドソース開発 (スコア:1)
ちなみに、バザールモデルですが、esr の「伽藍とバザール」では、伽藍 = GNU、バザール = Linux (Linux カーネル)、という対比となっています。ぼくがこれを書く理由は、単に言葉の誤用を指摘するだけではなく、オープンソース (GNU の言うフリーソフトウェアとほぼ同義) であってもバザールモデルでない (つまり、伽藍モデル = 少数開発者だけによる、首尾一貫性を重視する開発スタイル) こともありうる、ということなのです。
Re:バザールモデル(嘘)によるクローズドソース開発 (スコア:1)
確かに。(笑)
そこがネックですよね。
つい最近まで この手法は現実的でないと考えていたのですが、Operaの日本語翻訳作業に(再び)参加する人達の動向を小耳に挟んで、「場合によってはアリなの?」と驚いた次第です。
まあ、一般的には成り立たない関係かもしれませんが、「協力したい」と思ってもらえる動機作りができれば、クローズドソーズ開発のモデルのひとつになり得るかもと思いまして。
# ちなみに、わたしはオープンソース肯定派です。
# クローズドソース否定派でないだけです。
> 「伽藍とバザール」では、伽藍 = GNU、バザール = Linux (Linux カーネル)、という対比となっています。
ひえー。そうでしたか。(恥)
随分むかしに読んだっきりですので、そんなことすら忘れています。
ご指摘ありがとうございます。
> オープンソース (GNU の言うフリーソフトウェアとほぼ同義) であってもバザールモデルでない (つまり、伽藍モデル = 少数開発者だけによる、首尾一貫性を重視する開発スタイル) こともありうる、ということなのです。
なるほど。
「ソースをオープンに出来るか?」という一点を突破できれば、やり方は色々有るということですね。
--- Melloques Les Covdrasey ---
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:2, 興味深い)
>(笑)。確かに技術力あるのに言語思想の低い人やね。
技術力というより腕力のような...
(BASIC崩れの86アセンブリプログラマに多いタイプ…私も同類だったりする)
・構造体及び配列の初期化時以外の代入の記法について
Cは実行時の型チェックを行わないし、配列の長さのチェックもしないって事を忘れてるみたいですね...。
配列の一発代入なんて事を許したら どんなことになるか…
(片方ポインタのとき型チェックはどうすんだ?)
そのくせ、コンパイラ出力にケチつけてる[笑]。
スパークとかHPとかの、RISCをアセンブラで書いてみろ、って言いたいですね。
特にHPは並列動作するので追えるもんじゃないです...
# マンデルブロ集合の高速計算をやってみたくて噛ってはみたものの…
# 人間の相手にする命令コードじゃないです、コレ.
・C++の冗長さ
ソースより実行ファイルとデバッグ情報の冗長さに頭が痛いです。
# VCのPDB... 本体300KなのにPDBは3メガ超えてるなんて珍しくないです。
#(フロッピーに収まらないので非常に困ります。)
# Cだと太らないので継承がらみの情報なんでしょうね...
notice : I ignore an anonymous contribution.
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:1)
さらにいえば、研究云々の話については、一度USENIX [usenix.org]にでも連れていきたいです。特にFreenix trackでは動いていないものの方が珍しいです。また、最近は発表者が所属を大学や企業ではなく、開発プロジェクトそのものにしてしまう人も増えています。これでまだきちんと動いていないなんて言おうものなら石が飛んできたりして...
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
デムパのにほい (スコア:0, フレームのもと)
何書いても良いけど、公開する文書を書く時、それも批判的な文章を書く時には、根拠を示さないと。多少不正確でも、??と思う人が裏取れるくらいのことは書かないとね。
Re:デムパのにほい (スコア:0)
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:2, すばらしい洞察)
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
あと、できればどこの文章についてコメントしてるのか示して欲しかったです。リンク先にないな~って探してしまいました。ht
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
いつの時代のこと言ってるの?
まぁちょっと他人と違うことをするとダメダメなこともあるけどさ。論拠示さず一般論として「よく落ちるし、コードの質も低い」という程のことはないでしょ。
# ここ数日コケて困ってるけど、かなり特殊な使い方だからね
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
とか、開発者が開きなおってくれればまだ救いようがあったのにね...。
純粋に技術者の腕力としてはスゲエ!と思いますが、大した思想もなく、
個人でMSの尻拭いの
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
作ったOS/処理系のようですね. 作者の個人的な主張は
いろいろあるのでしょうが,あれこれ言わずにそっとしておいて
あげれば,それで良いのでは?(趣味でやっていることなの
ですから....)
>と言うことで、こんなものが世間にまともに相手にされる
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:1)
webのディープリンク(直リンク)議論と同じことだと思います。
つまり、「個人で作ったもの」を(だから)「あれこれ言われたくない」ならば、公開しなきゃいいんです(^^;;;;;;;
公開ってのはすなわち「あれこれ言われる」世界へ自作物を晒す(解き放つ?)ことになるわけで。
今までの時代の多くの場合において趣味が「あれこれ」言われなかったのは、
ひとえにそれを「公開」してないことが多かったせい、だと思いますよ。
公開という考えかたが存在する世界(=internet/web)では、ジョーシキもまた別物になるのではないでしょうか?
>魅力の無いものには人は集まってきません.
おや。間接的に「あれこれ」言ってることになりますね、これは(^^;
いや、俺はそれは悪いことじゃないと思っているので、「どうぞどうぞ」ってな感じなのですけど。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
webの内容によると、「あいつの書いてることは嘘っぱちだ。本当は何もできてないに違いない」って言われるからモノを公開した、って感じみたいですけど。それとも「開発しているという事実自体を公開せずに引きこもってろ!」という話でしょうか?
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:1)
公開と「言われる可能性」とを不可分なワンセットとして扱いなさい、という感じです。
「公開したい」と「言われたくない」とを自分の天秤にかけて、
どっちに傾くか次第で次の行動(つまり公開するか否か)を決めればいい、です。
>言われるからモノを公開した
おや。天秤にのせる要素が3つですか。
まぁ何個でもいいです。傾きかたしだいで決めればいいこと。
トレードオフって奴ですかね。
Re:果たして使い物になるだろうか (スコア:0)
ちゅーのが疑問なんですが。
べつに掲載基準とか無いんだろうけど
べつに、なーんもアレゲでもないし。
作った人を「アレゲ」だという事で吊すつ
歴史を振り返ると (スコア:0)
上手くユーザーを囲い込めるかどうかが勝負と思われ。
玄人受けが良いものに限って
概して失敗している気がするのは気のせいでしょうか?
Re:歴史を振り返ると (スコア:1)
>概して失敗している気がするのは気のせいでしょうか?
それは思い違いのような気がします。
玄人受けが良いものが失敗したわけではなく、玄人にしか受けなくて失敗したのでは?
玄人にしか受けないものがいつも失敗すると言っているわけではありません。念のため。
うじゃうじゃ