文化審議会答申「アニメやCGは新時代の芸術の中核」 102
ストーリー by wakatono
官の認識と大御所の認識にギャップあり 部門より
官の認識と大御所の認識にギャップあり 部門より
nyaonyao曰く、"アニメやCGについて「宮崎氏が監督した映画『千と千尋の神隠し』が今年2月にベルリン国際映画祭の最高賞・金熊賞を獲得したことなどを踏まえ」て、「世界に誇れる文化で、今後の芸術文化全体の活性化を促すけん引力」と文化審議会というところのお偉方がおっしゃってるそうです。
とりあえず、Yahoo! JAPAN NEWSの記事を。
当の宮崎氏が「ジャパニメーション」についてどうのように発言しているかご存知なんでしょうか?
この記事なんか読んでもらいたいと思うのは小生だけ?"
宮崎発言の真意はアニメ批判より子育て批判では? (スコア:4, すばらしい洞察)
行数で言うと、- 『どん詰まり…』の下りが 42行、
- 『そんなことをやっていて、
まともな子供が育ったことはない…ビデオを売っているけど…ジレンマを感じる』の
下りが 100行、ですね。
まぁ、そういう世相に迎合するように作られた現代日本のアニメーションを無 批判に持ち上げたり、世界に垂れ流しても、恥をかくだけですよと氏は 釘を刺したかった(イヤミを言った、苦悩を吐露した)、 そういう風に私は受け取りました。それを、氏のアニメーション批判の所だけ切り出して、 自分の意見の権威付けに使ったりするのは、ちょっと酷というか、 程ほどにした方が良い気はしますが、どうでしょう? (私も同様の意見をポスト しようとしたものの、発言記録を読み直して改心しました)
アニメージュより宮崎氏の発言、該当部分全文 (スコア:2, 参考になる)
# ここに転記します。公の場での会見ゆえ、著作権的には問題ないはず…
# それが宮崎氏の望みでもあるはず。
# まずかったらご免なさい…(bold は私の独断です)
---…これまでにも世界中で日本のアニメは人気があったと思うんですが、 今回の受賞によって日本のアニメが世界で認められたことについて、 どのように思いますか?
[宮崎氏] え~と、あの、予算を組んで、日本のアニメーションを産業に しようという動きが東京都であったり、杉並区が補助金を出そうと言ったり、 いろんな動きが出ていますが、僕の本心は、日本のアニメはどん詰まりまで きていると思います。僕よりも20歳も若い庵野(秀明)という監督が、
という言い方をしていますけど、それは、 自分の周りの若い人たちと付き合って、僕自身も痛切に感じていることです。 それをどうしていくのかは、僕らではなくて、その人達に課せられた課題だと 思うんですよ。
ただ、多分日本のアニメーションということに限らず、今の日本の、日本で一番 流行っている生活のしかたに、なにか根本的に問題があるんじゃないか…。 結局は、そういうところにぶつかるしかない。 『ジャパニメーション』とかいって、多くの作品が海外に出ているようだけど、 どれだけ売れるかということはつまらないことで、たいして売れません。 幾ばくかは売れるかもしれないけど。そうして出ている作品というのも、 暴力行為やいやらしい描写、 要らんことをくっちゃべっているようなビデオばかりで、 東京都の人たちがアニメを支援すると言っているけど、 そういうのを観て言っているのかと、僕は本当に疑問を感じているんですがね。 そういう、『ジャパニメーション』って一言では括れない、くだらなさを充分に 持っているんで、日本のアニメーションが世界いっぱい広がっていったら、 恥をかくだけの道具でもあることを忘れないで欲しいと思います。以上です。
---今日本で一番流行っている生活について、少し問題があるんじゃないかと おっしゃいましたけど、どういうことか、もう少し具体的に聞きたいのですが。
[宮崎氏] 僕が高校生の頃は、マンガを読んでいる奴は、『あいつらバカだ』と。 で、だいたい中学になる頃にはマンガを卒業していましたよ。 卒業しない人が『漫画少年』か何かに投稿していたりしたらしいんですけど。 だいたいそうやって卒業していくものでしょう? 『子供たちをマンガから出る悪影響からどうやって守るか』という 小論文がよく出ていた。僕はずっと読んでいました。 その頃は、まだ大人が抵抗していたんですよ。 その直後、これは(鈴木)プロデューサーの世代なんですが、 「少年サンデー」を持って大学に行くようになるという時代に なるんですけど(笑)。それは最初はポーズだったんですけどね。 そうした人たちが本当にサラリーマンになり、大人になり、 電車の中でマンガを読むというふうになる。 もちろんテレビではマンガの悪影響はさんざん論じられてました。 でもそのあと、だんだん皆弱気になっていきましてね。 もうゲームが出ちゃったときには、 「ゲームに理解を示さない奴は時代遅れじゃないか」と、 だらしない会話をするようになる。 今、大新聞でゲーム気が何台売れたと嬉しそうに書くでしょう。 その結果、自分の子供たちがどういう目にあっているか、 なぜ誰も報じないんだろうと。
僕は確かにビデオを売らざるを得ないと言うか、 情けないんですけれども、ビデオを売っています。 事あるごとに、「あまり観せないで下さい」と言っているつもりなんですが、 「うちの子は1日に3度は必ず『トトロ』を観ます」という母親の方などに 会うわけです。『トトロ』を一日に3回観るということは、 4時間から5時間くらいはテレビの前に座っているということです。 で、その5時間の間に、この子は本当ならどれだけの体験ができたのかってね。 トトロに抱きついて、ブラウン管にキスしたって、 なにも生れることはないんですよ。 『トトロ』のパッケージに「誕生日にだけ観せて下さい」と書けば 良いのかもしれませんけども(笑)。 そんなことをやってて、まともな子供が育ったことはないんでね。 それは人も殺すし、バットで人を殴りもしますよ! そんな当たり前のことを、なんで大新聞は指摘しないんだろうと思うんです。
ただこれが表現の制限になってしまうと、また別な問題に発展してしまうし、 だ
アニメ業界の給与の問題 (スコア:2, 参考になる)
コンテンツ産業政策-政策-経済産業省 [meti.go.jp]
に、テレビ局になんでもかんでも権利を与えないように対等な契約をしましょう。という契約書テンプレートを公開しています。
もちろん、車や機械を売るよりも、ソフトを売っていくほうにも力を入れましょう。という方針もあるみたいですが。
Masafumi Otsune [otsune.com]
Re:アニメ業界の給与の問題 (スコア:1)
もう少し、実際にモノを作ってる人間に金が入るようなシステムにすべきですよね。
アニメにしろ、ソフトウエアにしろ…
ってこれは少々自身の愚痴も入ってるか…失礼(笑)
アニメが新時代の芸術の中核なら… (スコア:2, おもしろおかしい)
Re:アニメが新時代の芸術の中核なら… (スコア:1)
一部のアニメーションが非常に優れた表現であることに疑いの余地はないと思うんだけど、「やっぱりアニメーションって子供のためのものだと思うんですが [srad.jp]」などという人のほうが絶望的に多いだろうことを考えると、素人にはお勧めできない(^^
しかし、小説にしろ映画にしろ、ゴミとしかいえない作品が圧倒的に多いのはアニメーションと同じではないのかという気もするんだけどな。
表現手段としてのアニメーションは元気なし (スコア:2, すばらしい洞察)
もちろん、ドラえもんやおじゃる丸などの作品はありますけど、新たにこのような作品が出る土壌があるとは思えません。そういう土壌を作ろうというのでしたら、官が出てくるのも悪くはないと思います。アニメ界だけでは、自分たちが好きなものを作るというおたくの内向きな力と、小さい子向けのものを作るのには最適だという守りの力しか働きません。
この現実を見ると、監督の言う表現手段としてのアニメーションは、死んでいるも同然だと思います。監督自身の言動が無責任なのもそれを表しています。
それより私はなぜマンガが置いてきぼりにされるのか分かりません。マンガのほうは、映画やテレビドラマの原作になったりします。小説がマンガに、マンガが小説になったりもします。表現手段として非常に高いレベルにあるからだと思います。アニメはそれと比べるとレベルが低いです。
Re:表現手段としてのアニメーションは元気なし (スコア:1)
> 中学生以上の子供から若者から中高年まで見れるものは無かったように思います。
これに関しては、スポンサーの問題が大きいのではないでしょうか。
テレビで放映されるアニメは、おもちゃ、ビデオ(DVD)、
主題歌のCD、原作マンガ等を売るための広告でしかないのです。
普通の人向けに作っても、こういう商品にお金を使ってくれません。
> アニメ界だけでは、自分たちが好きなものを作るというおたくの内向きな力と、
> 小さい子向けのものを作るのには最適だという守りの力しか働きません。
アニメが好きで、アニメばかり見てきたような人が大きくなって
アニメを作っているわけですから、そうなってしまいますよね。
(そうじゃない人も、もちろんいると思いますが)
Re:表現手段としてのアニメーションは元気なし (スコア:1)
でも、マンガってのはネームから描き文字、
果てはコマ割に至るまでどーしたって日本語ローカルなものが多すぎるのもまた事実。
となると、
・山のようなコンテンツがあるにも関わらず、それがそのまま海外で評価されにくい。
(それも横書き文化圏ではかなりきびしい)
・というわけで「輸出」には向かない。
・「世界に誇れる文化」てゆーのはちょっとなあ。
とおえらいさんたちが考えることになるのでは。
レベルの高い低いはともかく、
ある程度グローバルな映像文法ができあがった上での「動画文化」に
力を入れたくなるのはわからんでもない、て気はします。
#いずれにせよ、マンガだろうがアニメだろうが
お墨付きのみが外にのしのし出回るのだけは、かなりイヤ。
Re:表現手段としてのアニメーションは元気なし (スコア:1)
質の高いマンガと平均的なアニメを比較すればそんなもんだと思うけど、平均的なマンガと平均的なアニメの比較とか質の高いマンガと質の高いアニメを比較してもそんなもんなんでしょうか??? 地上波の現役アニメの総数に対してドラえもんとおじゃる丸の比率と、現在連載してるマンガの総数に対する質の高い作品の比率ってそんなに極端に違います? 特定の雑誌に連載中の作品とアニメ全体を比較とかならなんとなく言いたい事もわかるんだけど...
# 個々の作品を議論するわけでもなく「アニメは」という
# くくりで話をする時点で終わってるような気も...
アニメ世代が社会で力をもってきた (スコア:2, 興味深い)
役人、官僚、っていうとわけわかんない別世界のようだけど、中はとりあえず普通の集団であって。
他の業界と同じく、アニメを普通に観てきた世代が若手から中堅どころになってきて、発言力or影響力を増した。 そんな側面もあるんじゃないかと。
正直、どっちの発言もダメダメだね (スコア:1)
牽引役にするのって、意味が違うんじゃない?って思うのだが。
#子供文化を日本の代表にするとは・・・
もう一方の御方も自己否定の上に日本アニメの総批判?そんなん
言うんだったらやめればいいのに。
正直、日本文化を腐らせているのは、こう言ったまともな評価も
出来ないジジイ連中だってこと、わかってるのかな?
文化って、妙に持ち上げるものでも、蔑むものでもないと思うのだが。
Re:正直、どっちの発言もダメダメだね (スコア:2, すばらしい洞察)
そもそも「~であるはず」って決め付ける姿勢がいかんと思うぞな。
あるカルチャーがサブカルチャーでありつづけるためには、メインストリームなカルチャーが存在してないとね。相対的なもんでしょ両者は。
すでに、対抗すべきメインカルチャー亡き日本の現状で、ラベル付け可能な文化的活動であり、また「日本発である」といっても諸外国から反対を受けにくいものとなれば、アニメ・漫画となるのが妥当じゃないかな。
ま、漫画を芸術として扱っている国 [konishi.co.jp]もあるわけだし、日本もそれをみならってみましょうか、ってところじゃないのかな。
いいことだと思うよん。
賞を貰ったからって (スコア:1)
賞をもらったのは「千~」が良い作品だったってだけだと思う。
メインとかサブとか分類することないじゃん。
某アメリカ映画で「日本のコミックでマスをかくなよ?」というセリフがあった。
識者の方々が日本のアニメやコミックを自分の目で見た上で「世界に誇る文化」と発言されているとは思えないんだよな。
エロだって、良いものはいっぱいあるじゃん。とーぜん、駄目駄目なのもいっぱいあるけどさ。
それはそれで「用途」も「需要」もあるんだから。
春画だって今じゃ芸術品なんだし、そーゆーことも含めて「世界に誇る文化」だってんなら、賛成なんだけどね。
そうか? (スコア:1, すばらしい洞察)
オタクの再生産 (スコア:1)
後続がその分野をより狭い範囲で深く掘り下げていくのは
#専門バカというやつですか……
全然違う分野から発想をちょろまかせるような広い見聞が
ほしいですよね……柔軟な思考も必要か……
Re:オタクの再生産 (スコア:2, すばらしい洞察)
問題は、そういう、コピーしながらたんなるコピーを越えたものを作ってしまう野蛮なパワーをもっているわけでもなく、「全然違う分野から発想をちょろまかせるような広い見聞」もないクリエイターばかりだということかな。
アニメーションももはや成熟した文化。難しいんでしょうけど。
そりゃ悪いことじゃないけどね。 (スコア:1)
いまや「国民的クリエイター」宮崎さんやあの手塚御大の作品の根底にあるものも、そういうものだと思うし。
逆でしょう (スコア:1, すばらしい洞察)
これからは、そういった趣を持たない物にも目を向けよう、ってことだと思います。
アナーキーなものに「お上のお墨付き」が付いてもいいと思うし、実際ヨーロッパなどではそうしてます。
個人的には日本映画にもっと援助していただきたい。カンヌで賞をとった作品が単館上映なんて寂しすぎ。
Re:逆でしょう (スコア:2, 参考になる)
#浮世絵の大半がエロだって事を知らない人が結構いる…なんでだろう?
notice : I ignore an anonymous contribution.
Re:逆でしょう (スコア:1)
-----
gen+nob+ash
Re:逆でしょう (スコア:3, 参考になる)
風俗営業並の扱いですね[笑]
・資料によっては風俗営業そのものを行っていたって記述もあります....
・江戸時代は男色自由だったし(爆
# 人形浄瑠璃でさえ禁令を出されているってのがなんとも....
# (もっとも、幕府の禁令って武士以外には『努力目標』程度の強制力だったらしいですが。)
サブカルチャー系の『高尚でない芸術』って、八百万の屑の山に数個の宝石があるというのが実体でしょう。
便所の落書きと春画の山の片隅に、あまり売れない『重文級作品』があったように。
重要なのは『屑の山』なしに宝石はありえないって事です。
・屑の山を消費する市場が存在する→
・制作者の数がある→
・毛色の変わった制作者のいる余地がある
この、毛色の変わった制作者ってのが写楽だったりするワケです。
屑の山を減らそうとする規制,政策には反対します。
# 規制されても減らない屑の山がサブカルチャーの源泉だったりしますが...
notice : I ignore an anonymous contribution.
Re:逆でしょう (スコア:1)
Re:逆でしょう (スコア:1)
春画の浮世絵として質の高さは、一度見ていただきたいです。
「浮世絵の極み 春画」林美一/新潮社/とんぼの本
がお手ごろです。
今のいわゆるエロゲーは『シナリオ(&動き&声)の付いた春画
という見方もある』とずっと表明しつつプレイしてます。
数百年後には評価されるかもね~という歴史を想像しながら。
エロゲーを(も)やる人ってそう考えませんか?
またもマイナーな考えでしょうか?
お金がほしくて、生存中に評価されたかったら、
□キャッチーに走るか、
□キャッチーでありつつ、独自色のあるできのよいものを作るか、
□エポックと受け取られ、模倣作品を多数作らせてしまうものをつくりだす
とかですよね。
作り手として自己の表現が一般うけする商業ルートで
なんとか可能な人(宮崎駿とか)も居れば、
どうしても一般うけの商業ルートに自己の表現あ合わないので
エロゲーの形にしたり、同人の形にする人も居るのだろうと
思います。
カルチャーとサブカルチャーの違いとはそんなものでしょうか。
別の言い方では、自分の表現が世間体にのるかのらないかの違い?(笑
実はよくわからないので知りたかったりします。
上の考え方で、
ゲーム&アニメがカルチャーの本流に含まれるとしたら、
エロゲーなどはまだかろうじてサブカルかなと。
最近は、コンシューマ移植が多くて境界がわからないですが。
私は絵として浮世絵と春画を見ているからか、
文化としてみるとどうなのかがわかりません。
江戸時代において浮世絵も春画もサブカルチャーだったのでは
ないか?と想像するのですが、
(江戸時代の)文化に詳しい方の投稿がほしいところです。
Re:逆でしょう (スコア:2, すばらしい洞察)
春画や歌舞伎がそうなったように.
Re:逆でしょう (スコア:1)
芸術としては残らなくても、別の芸術を生む下地になる可能性もあるし、ならない可能性もある。
どっちにしろ芸術性の有無が価値判断の基準になるのはちょっとどうかなとは思いますね。
うじゃうじゃ
Re:逆でしょう (スコア:1)
高座から他のメディア(TV/ラジオ/レコード等)に
持ち出せないバレ話や艶笑話。
うがった見方 (スコア:1)
巷で売れている物や若者文化にテコイレして「外貨を稼ごう」という意図が
なにげに見えるんだけど裏読みしすぎかな?
--- Lcs(http://lcs.myminicity.com/ [myminicity.com])
そう思えますよ。 (スコア:1)
>現代の若者文化などを含め、多角的に国外に紹介することを提案している。
お金のことに触れそうで触れないこの言い方、いやらしいとしか
言いようがない。
今のアニメ映画は、マンガの原作をアニメ化した物が多いですが、
朝の通勤電車でマンガ雑誌をよみふけっている"若者文化"なんて
外国に紹介しても恥ずかしいだけでしょう。
# yahoo JAPAN newsのリンク先、消えてますね.
# 元はYOMIURI ONLNEのこちら。 [yomiuri.co.jp]
Re:うがった見方 (スコア:1)
おっしゃるのは "手前味噌" かと思います。
"穿った見方" の本来の意味は
"天邪鬼な見方だが正鵠を射ている"
です。よほど自分の意見に自身があれば別ですが
一般的には "邪推" を使うべきかと思います。
アニメもいいけど。 (スコア:1)
実写映画に力入れた方がいいのではないかと思うんだけど。
ヨーロッパで高い評価を得た若手監督の作品が日本市場で売れてないとか。
DVDもほしいんだけど発売されんし。
やっぱ考えものだと。
---------- yuzo ----------
アニメがサブカルチャーではないとすると? (スコア:1)
いったいどういったものになるのでしょうか。
すでにアニメも漫画も文化ですよね。
今現在のサブカルと呼べるものは2ちゃんねるではないでしょうか。
そのほかにも色々ありそうですが
一切これすなわち空(くう)かもしんなくてイエスキリストもきっと正しい。
Re:アニメがサブカルチャーではないとすると? (スコア:1)
夏目漱石と神坂一をいっしょくたにして『小説はカルチャーかサブカルか?』を論じてもしょうがないでしょ?
漫画やアニメの中でそれぞれ分化してくんじゃないでしょうか。
とりあえず助成金を (スコア:1)
Re:とりあえず助成金を (スコア:2, 参考になる)
平成13年度(第5回)文化庁メディア芸術祭について [mext.go.jp]
にリストアップされている作品には何らかの助成がされているものだと考えれば。
他にも経済産業省が補助してる作品もあります。
東京バイツ 第75回 執筆=福冨忠和 デジタルで作られた「抱きしめるための機械」は国家的なプロジェクトだった(MYCOM PC WEB - Column Square) [mycom.co.jp]
を参照
Masafumi Otsune [otsune.com]
答申を読んでみたのだが (スコア:1)
文科省のウェブサイトに掲載されてる、 「文化を大切にする社会の構築について~一人一人が心豊かに生きる社会を目指して」(答申) [mext.go.jp] を読んでみたんだけど、宮崎駿がどうだとか金熊賞がどうだとか一言も書いてないですけど・・・・・・ホントに「金熊賞を獲得したことなどを踏まえ」てるの? 議事録とか追っかけたわけじゃないんでハッキリしたことはわからないけど、宮崎駿云々はどこから出てきたんでしょ?
ちなみに、平成13年度の文部科学白書には、『千と千尋の神隠し』が 画像付きで紹介されていたりします [mext.go.jp] が。 (同省が提唱する)『生きる力』の意味を見事に表現している [zakzak.co.jp] とか紹介されてたやつですが、これも何か・・・
Re:答申を読んでみたのだが (スコア:1)
文化審議会の議事要旨を流し読みしてみると、 第11回 [mext.go.jp] (01/09/25)で
なる発言が出てきます。ハイ・カルチャーってナニ?あとは、 第18回 [mext.go.jp] (01/12/17)で
とか言われてるくらいなんですが、この間に何か具体的な議論があったのかどうかが謎。読売記事の書き方はなんか疑問ですが、公開されていないソースをふまえてのモノなんでしょうか?
-----
あと、オフトピですが、 第4回 [mext.go.jp] にTRONの坂村先生が出ておられるけど、そこで委員が
とか心配してますねぇ。 審議会の 委員の皆様 [mext.go.jp]。
Re: ゲームは? (スコア:2, すばらしい洞察)
Re: ゲームは? (スコア:1)
まあ、そーゆー見方が一般的なのでしょうが。
娯楽(エンターテインメント)性自体を文化芸術と評価する土壌があるのなら、そーなって欲しいとは思います。
Re:件の法案 (スコア:4, 興味深い)
#念のため。ボクはアニメしか見ていない人ではありません。
#単に表現方法の一つとしてしか認識していません。
#小説も読みますし、歴史書も、アレゲな本も読みます。触れるメディアでその人に対する価値判断を下してしまうような方には、何も言うべき言葉がありません。
#「お気の毒さま」としかコメントしようがありませんね。
#もっとも、「アニメを見ている連中ときたら・・・」という批判にしか値しないような方も居られることには同意します。ですが、それがすべてだと思って居るとしたら「お気の毒ですね」としか言いようがありませn。
個人の内的な自由>個人の利害>表現の自由
って順位が、法的には妥当だと思います。
課題は、個人の内的自由と表現の自由の間に個人の利害が挟まっている点です。ここに法的規制の必要性が出てくのだと思いますが、個人の範疇に押しとどめるべきものを公共の法的な規制や罰則で縛ろうとするあたりに問題を感じていたりします。
ゲームや虚構の中で感動したり、自分の居場所を再確認する行為は、古くはボードゲーム(将棋だって囲碁だってそうでしょう?)やら、演劇観戦(演劇鑑賞が幼児性の発露だとでも?)でもあったわけです。それがメディアの変遷によってアニメーションやらゲームになったと見れば、人間は根本的には何にも変わってないのですよ。
ただ、メディアのもつ仮想的なリアリティがより高まったとして、虚構を虚構(内的には現実であったとしても、です)として捉えられなくなった人が増えているならそれは考えたほうがいい点です(ボクにはそういう短絡的な愚か者が増えたとは思えませんが)。
「大人の子供化」という表現は、
子供=稚拙、大人=洗練
という枠組みに個人の内的自由をむりやりはめようとする意図が見えているようでなんだか嫌ですね。大人が果たして子供より常に賢明でありえたのか?ACさんの見解がどうだ、とまでは憶測したくないですが、ちょっと立ち止まって見直して欲しい点です。
近年の宮崎作品はまさにその点を突き続けてきたと思っています(この見解について批判はあるでしょうが)。
ボクは、ヴァイオレンスだのヌーディティに対する許容度やら感受性は「内的自由」に属するものだと思いますので、極一握りの人間が、彼ら以外の人間の内的自由に対して価値判断し、社会的に断罪的な評価を下すってのは拒否したいところです。
が、そういった表現が確かにそれらを好まない方の内的自由を制限してしまうのなら、その表現に対して選択可能なオプション(見ないで済むようにする)を用意するのは必要だと思っています。自分たちの権利を主張するなら、それくらいの配慮は必要でしょう。
件の法案がどういう形で実際に適用されるかは、地方自治体任せとなっている感じですが、単に国民の生活を保障するための一策としては、それ以外がザル(たとえば「!広告!」のDMの件)である限り効力は疑問だし、単に『誰か』の気に召さない存在を処罰して葬るための道具としてしか機能しないのであれば、たとえば発言者が特定困難であったとしても、それを表明する場が法的に制限されてしまうということになります。
ACのハンドルを借りてさまざまなものに批判的精神を発現する場すら、制限されかねないとしたら、こういう短絡的批判をする前に、批判の根拠やらを十分に吟味するべきものだと思いますがどうですかね。結局は自分の首をしめますよ。
-- (ま)
Re:件の法案 (スコア:2, 興味深い)
>宮崎駿が言っていることは、その内的自由に対する不当な評価ではないの?
見方にもよるのだとは思いますが、ボクは「作品の意図」と「それを伝えるための表現方法」に関する意見だと思います。内的な自由に関してはとくに言及していないです。
できるものでもないです。
「作品の意図」に関して取り上げるべきものがあまりないのに、視聴者にウケやすいからという理由でこれらの手段を取り入れている作品があまりに多いという批判ですね。
もちろん、表現方法が目的として成立するような場合もあるし、それに対して否定することはできないです。無条件ではないにせよ、その自由は保証されるべきものでしょう。
ですが・・・
>作品を離れた彼の発言は、結局、無責任な大人の発言に終止している気がするんだけど。
彼は実際に作品を作り出して世に問い掛けているわけですから、彼のできる範疇で「責任」は果たしていると思いますよ。「これがアニメーションの目指すべき方向でないのか」と語っているのだと思います(それがいいかどうかはともかく、です)。少なくとも無責任だとはボクには思えないですね。作品の履歴を見ても、同じ主張を読み取ってしまうボクにとっては、作品を離れて・・・・というのはどうも賛同できません。
「なんだマンガか」みたいな評価しかなかったころから、ヌーディティやヴァイオレンス以外の方法論で評価を得る作品を出すまでの道を思ったら、安直にそういう方向に走るクリエイタの姿を見て悲しく思うのでしょう。
宮崎氏のどこか屈折を感じさせる態度は米国の模倣と言われていたはるかな昔から、映像的にもストーリー的にも独自で骨太な作品を作りたいと願い続けながらもあちこちで傷つきながら歩いてきた方ならではだとボクは思ってしまいます。
文部省推薦の折り紙をもらっても、世間的にはゴ*ラ映画の添え物としてしか扱われてなかったりしたこともあったわけですから、「いまさら賞をもらったって、ねぇ」と照れ半分、諦め半分で思っちゃうでしょう。いや、率直にはうれしいんでしょうが、その実複雑でしょうね。
-- (ま)
Re:件の法案 (スコア:2, おもしろおかしい)
ここで『パチンコ』とか言って、どのくらい笑いが取れるだろうか。
Re:件の法案 (スコア:2, すばらしい洞察)
アニメという「手法」はどちらでもないと思いますけどね。
大人のためか子供のためかは、表現の手段ではなく表現されるものがどんなものかで判断すべきではないでしょうか。
だから、アニメが芸術になろうが俗物化しようが、子供化云々とは関係ないでしょう。
同じように、ゲームに熱中していることを大人になれないというのもも、観点が間違ってるのでは。例えばクラシック音楽や能ならいいのか。
つーか、小説とかが昔どういう扱い受けてたか知ってて (スコア:2, 参考になる)
>それを芸術まで昇華させるって、ある意味「大人の子供化」という気>もしないでもないんですが。
こういう大人が多いのはいやだよねぇ
いまは文学なーんていわれている小説は、その昔すごーく
低い地位だったことをわかって言ってるのかなぁ?
別にゲームやアニメに熱中しているからって子供ってわけでは
ないと思うんだけどね。 ただ、フェティッシュの対象が
車とかお金とかではなく、そういう方向に行くだけで.......
こんだけセクシャリティが多様化して、子供を生むという行為が
社会的必需性を持っていない社会では、多様な性価値観(キャラ
に恋愛感情を持つような)があってもいいと思うし。
あ、ちなみにゲームが原因で殺人どーのこーのというのはさ
きっかけの一部にはなったかもしんないけど原因ではないだろう
というのが最近の学説なんですよ。
Re:件の法案 (スコア:1)
# 子供の為のアニメ、はあるにしても
それはさておき、今回のこれは、有害情報云々の例の法律とは違う所(省庁?)からの発案でしょうから
単に日本の縦割り行政を、端的に示している一例に過ぎないと思いますよ。
当然、矛盾点は無視されます(--)
もう1点
実際、大人になってもゲームやアニメに熱中して大人になれない大人も多いわけですし。
これ「ゲーム」や「アニメ」を「車」「酒」「ギャンブル」等に置き換えて読んでみて下さい。
そうすれば、貴方の主張がいかに陳腐かがお分かりになられるかと
Re:件の法案 (スコア:1)
アニメとは所詮映像表現の一手段でしかないのですから・・・
アニメが実写映画と比べてその製造過程を含めて特異なのは認めますが、
それでいて映画そのものの持つ表現能力に聊かも劣るところはないと思います。
官が認めるところの芸術にまで昇華された映像表現(嫌な言い方ですが)
という解釈が成り立つとするなら、今回の宮崎氏の受賞より以前に
クロサワを始めとする戦後の多数の娯楽作品があるのではないかと。
一個人的解釈で恐縮ですが、実写映画を含めた日本の映像が海外でそれなりの評価を受けるのは、
日本独自の無宗教性を標榜することによって、ヒトなら誰もが体験し得るくだらない日常や、
土着信仰めいた種としてのヒトの限界を曖昧に提示することですら、
民族臭漂う昨今の映画市場で清涼的に受け入れられているだけなのかもしれません
Re:ドラえもんは? (スコア:2, おもしろおかしい)
# ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
Re:ドラえもん? (スコア:1)
子供向けのイヤーンなシーンは、そういう子供の子供的な部分を的確にとらえていると思います。
Re:ドラえもんは? (スコア:2, 参考になる)
そういうのを見て育ったり、楽しんだりした人が多いという観点から
みれば、文化そのままと言えるんじゃないのかな。評価に値するから
文化というわけじゃないし、その国の属性をそのまま示すものが
文化なのでは。そして文化に磨きをかけるって、そういう方向性が
日本があるべき姿だと半ば強制している感じがしていて嫌だ。
で、コピーばかりとは言っても、そういうコピー的手法で作られた
作品を多くの人が好んでいるのだし、好む人が多くいるからには
それなりの価値やら、洞察力のある人が見ればだけど真理やらが
あるに違いないし、そういうコピー的手法をもっとよく客観的に
分析なり洞察するなりして、「コピー」という安易な言葉遣いで
適当に判断しない世の中になって欲しいかなと少しは思う。
というか、作り手の方がそれを自己批判している段階では
そもそも無理なのか。自分自身への不満を「コピー」という言葉で
ごまかしているだけなのだし。
宮崎さんの言いたいことは、もっと正当なというか高レベルな
評価の仕方をして欲しいということなのでは。日本人の子ども
向けに作ったよ。それは自分自身の郷愁の思いへのはけ口だから、
大人向けの度合いが高いかもしれない。だから、子どもが外で
遊ぶ時間を惜しんで熱心に見るもんでもないんだよ。外国での
評価はよく分からないし、自分の参考にすらならないな。そもそも、
受けているから文化だなんて……てな感じなのかな。
#「千と千尋の神隠し」はまだ見てない。早くテレビで
#放送しないかな。テレビアニメ見るだけでおなか一杯だし、
#食傷気味でもあるし(^^;、とくにアニメ映画を見たいとは
#思わないけど。
Re:バカが。。。 (スコア:1)
興行収益の一位の作品とか、3000億円以上をバンダイにもたらしたガンダムとか。
Masafumi Otsune [otsune.com]