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ゲーム

TV ゲームは芸術たり得るか? 110

ストーリー by reo
真の○○とは俺が認めた○○である。 部門より

ある Anonymous Coward 曰く、

本家 /.「Roger Ebert On Why Video Games Can Never Be Art」より。

アメリカで最も有名で、信頼される映画評論家、と Wikipedia に記載される Roger Ebert 氏は長年、TV ゲームは芸術形式とは認められないとの意見を貫いている。去年の TED では反論を受けたそうだが、やはりその考えは変わらないとのことで、Chicago Sun-Times の自身のブログ記事にてその理由を説明している。

芸術とゲームの違いは、ゲームには勝ちがあることだ。ゲームにはルールがあり、点数があり、目的があり、そして結果がある。(ゲームデザイナーであり、プロデューサーである) Kellee Santiago 氏は点やルールのない没入型ゲームを挙げるかもしれないが、それはもはやゲームではなく、物話や小説、戯曲、ダンス、また映画表現である。これらには勝ちは存在せず、経験することだけできる。Santiago 氏「良質な文学作品はオーディエンスを動かそうとする欲求が動機となる」という Robert Mckee の定義を引き合いに出すが、多くの良質でない文学作品も同じような動機が元となっているため、これはあまり有用な定義とは言えない。例えば私が「Cormac McCarthy には強い動機がある」と主張し、Nicholas Sparks は「自分の小説には強い動機がある」と主張するかもしれない。しかし McCarthy の小説が芸術作品であり、彼の作品の方が「良い」と判断するのは私の審美眼による主観的な判断である (そして Sparks が良いと主張する者よりも優れた審美眼である) 。

Ebert 氏の「ゲームは芸術たり得ない」とのスタンスは変わらないそうだ。「芸術とは何か」といった哲学的な話にもなってくるだろうが、/.J 諸兄方はどのようにお考えだろうか。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by gonzo (38147) on 2010年04月22日 11時21分 (#1752636)

    芸術の体験は第三者的で、
    ゲームの体験はほぼ須く自己視点だと思う。
    自分自身がアクティブに参加したり操作をして、
    その結果としての出力や状況変化があるのは芸術とは違う気がする。
    (光の加減で見え方が~~とかは、体験者のアクティブな動作とは違うので芸術となりうる)
    * 照明や音響などの間接操作は、芸術対象に対する体験者のアクティブな動作ではないと思う

    そういう意味では、
     ・ゲームをプレイ:非芸術
     ・ゲームのプレイ動画:芸術
    となりうるのかなぁ?

    ただ、上記の例(照明操作)は、「このフロア自体が芸術作品です」と言われた場合に崩壊するかも。

    # 否定的な意見や自分の知らない[芸術]は多々あると思いますが、
     あくまでぼんやりとそう思っているだけなのであまり叩かないでね。

    • 投稿して気がついたが、
      上記の例(照明操作)は、
      「この展示フロア自体が芸術作品です」
      とか
      「照明も含めて芸術なので、ライトを付けたり消したりして見て下さい」
      とか言われた場合に崩壊するかも。

      親コメント
    • #1752615のACさんの意見 [srad.jp]も似たようなことを言われていますが、
      しかし、音楽や演劇(たとえばクラシックや能など)などは、それらを演じる人にとっても芸術ではないでしょうか?

      また、彫刻などは「触って感じる」ことを前提にしている場合もありますし、
      現代美術の領域となると「鑑賞者による干渉を含めて作品である」という物はさほど珍しくありません。

      #もっとも、現代美術は「(エライ人に認められれば)なんでもアリ」のようになっている部分もあるので、
      #一般人にとっては(近代以前の美術以上に)「訳がわからないけどこれが芸術らしい」となっているのが現状ですけどw
      ##私自身も、そういう作品の存在を知っているけど「それを芸術だと感じたか」と言われれば大半はNoだったりします。
      ##まあ、現代美術に限らず「知識として芸術だと知っている」のと「鑑賞して芸術だと感じる」のとは別問題ですね。
      ###でも、近代美術館や現代美術館の類を見に行ってみるのは色々あっておもしろいですよ。
      ###関東に住んでいる人には東京国立近代美術館 [momat.go.jp]が(常設展含めて)お勧めです。

      「ゲームは芸術か否か」を議論するにはまず「芸術」の定義をしなければならないでしょうね。
      タレコミのネタのように、
      「オレオレ定義でこれはゲームではないから、ゲームはオレオレ定義の芸術に含まれない」
      という論法してたら話が通じるわけもありません。

      --

      ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
      親コメント
      • たしかに近い感覚です。
        割と納得できます。

        >しかし、音楽や演劇(たとえばクラシックや能など)などは、それらを演じる人にとっても芸術ではないでしょうか?
        →演奏者は芸術ではなく演奏を体験しています。演奏行為は芸術ではありません。
         従って、音楽や劇についての芸術性は観客に対する物です。
         ただし、楽譜の美しさ、(表現方法などを別とした)メロディーなどは
         演奏者に対しても芸術性があります。
         私もピアノや管楽器を演奏しますが、少なくとも[演奏する]事についてはそういう認識です。

        > また、彫刻などは「触って感じる」ことを前提にしている場合もありますし、
        →これは意見が分かれそうですが、
         個人的にはこれは体験者への芸術ではなく、体験者も含めた光景が芸術と言うことだと思います。
         つまり、本質的には[体験者に対する芸術]ではなく、
         [誰かがそれを触っているところを見る芸術]を目指すイメージです。
         もちろん、制作者や多くの人たちの意図とすることとは違うでしょうけども、
         私は何か違うような気がしています。

        > 現代美術の領域となると「鑑賞者による干渉を含めて作品である」という物はさほど珍しくありません。
        →これは上と同じですね。
         誰に対する芸術家というと、干渉が発生している外から見る芸術という事です。

        まぁ、皆さん感じておられるように、
        それぞれで何をもって芸術と考えるかに差があるため、
        「○○は芸術ではない」と言い切れないですよね。
        圧倒的大多数が「そうだ」というなら一致した意見として判断することも可能ですが、
        一概に「俺がそういうんだからそうだ」は通じない。
        僕の意見も押しつけるわけではないですし、単なる好みレベルの話として受け取って下さい。

        # ただ、つきあうなら意見の合う人が良い。
         元カノとは意見が合わずにケンカになった事がある。

        親コメント
    • >自分自身がアクティブに参加したり操作をして、
      >その結果としての出力や状況変化があるのは芸術とは違う気がする。

      interactive art [google.co.jp]

      インタラクティブアート [wikipedia.org]

      親コメント
  • by Akami (4183) on 2010年04月22日 11時50分 (#1752654)

    「ゲームが芸術であるかどうか」自体が思想的な発言でしょう。
    少なくとも否定的な発言は、思想の発露と考えるほかないかなぁ。

    インタラクティブな芸術作品は、少なくとも現代アートの世界では「全然」珍しくありません。

  • どんな芸術作品だって、作っている間は本人も回りもみんな作品を作っている認識だと思うけど。途中経過や出来上がりを見て作品そのものやその過程を振り返って初めて芸術になりえるんではないか?
    ゲームはどうかと言えば、プレイしている間は作品を作っているに相当するし。ゲームを終了して、作品=ゲームの結果やその過程を振り返って初めて芸術かどうか判断できるんじゃないかと思うけれどね。

    「芸術とゲームの違い」は何かと考えると。作品を振り返るか作っている途中かの違いになる。ゲームを芸術かどうか感じるものは、プレイ後に過程を共有できるものではないだろうか。
    だから、芸術になり得るのはアドベンチャーやRPGみたいに、誰もが同じ過程を通り抜けるものくらい位なるんではないでしょうかね?(^_^;)

  • by gwamodin (2081) on 2010年04月22日 12時52分 (#1752709)

    アメリカで最も有名で、信頼される映画評論家、と Wikipedia に記載される Roger Ebert 氏は長年、TV ゲームは芸術形式とは認められないとの意見を貫いている。

    えーと、我らがおすぎはなんて言ってるの?

  • by s02222 (20350) on 2010年04月22日 14時57分 (#1752797)
    青一色に塗られたキャンバスや演奏する部分のない楽曲やら以上に、なぜこんなことになっちまったんだ? と頭をひねらざるを得ないゲーム作品も多々あります。それらを一括りにして芸術ではないと言い切るのは暴論ではないかと。
  • by Anonymous Coward on 2010年04月22日 15時20分 (#1752821)

    メセナだなんだと企業の文化貢献が盛んだったバブル末期に
    一応芸術とされる活動をしてたんだが、
    自分らの活動を「文化」だなんだと語るヤツを
    おいらは絶対信用しなかった。

    2chに「尾崎豊は世界一パンクだった」なる駄スレがあって
    なんじゃこりゃと覗いてみたら
    「どこのパンクが「世界一パンク」と言われて喜ぶんだよ」
    という書き込みがあって、ああ、捨てたもんじゃないなと思った。

    今回もそのたぐいかと、自分の中ではネタ扱いなのだけど
    それだと話が終わっちゃうんでちょっと考えてみた。

    他ジャンル「みたい」であることを売りにするゲームを
    他ジャンルの作品そのものと比較して評価することは俺にはできん。
    そういう意味で、FFVIIは芸術ではなく、UPLの忍者くんは芸術だった。

    芸術っつーと作り手との「出会い」的な意味合いが自分の中では強く
    「あー、こりゃお仕事で造ってるな」
    みたいな作品は、どれだけ「ゲーム性が高く(?)」ても芸術のくくりに入れる気になれない。
    逆に作り手が滅法楽しんでいるのが伝わってくるものならかなりのクソゲーも許容範囲。
    そういう意味で、三国志のVIII以降は芸術でなく、芸術のくくりで語れるのは(オレの中では)IIIまでになる。

    ゲームは双方向だから、と、そのメディアの特性を分析する気にはなれん。
    劇場そのものを芸術呼ばわりするバカと一緒に見えるからで
    芸術は劇場の中で演じられる作品にあるもんだ。
    作品が劇場をどう扱ったか、で、劇場という空間が芸術の一部になることはあっても
    それは作品の材料として劇場があっただけ。
    まあそう言うと、「ゲームはげーじゅつたりうるか」なる問いは
    「劇場はげーじゅつたりうるか」と言ってるのと同じで、
    やっぱり話が続かない。

  • by mtgood (31646) on 2010年04月22日 19時10分 (#1752973)

    ゲームは工業製品だと思う。
    ただプレーヤーが芸術的なプレーを行なったりすることはあると思う。

  • by Anonymous Coward on 2010年04月22日 10時05分 (#1752581)

    > 点やルールのない没入型ゲームを挙げるかもしれないが、それはもはやゲームではなく、
    都合の悪いものを定義から除外すりゃそりゃどんな結論だって出せるだろ

    • by Anonymous Coward on 2010年04月22日 11時37分 (#1752644)
      同意。

      ただ、この理屈を発展させるとちょっと面白い結論が見えてきます。

      この人の主張する通り、勝敗の有無によってゲームであるかどうかを分けるとします。
      ただ、実際の作品において勝敗の有無が全てという物は珍しく、また干渉・体験中に勝敗の概念を一切伴わない作品もまた珍しい。よって,『芸術性⇔ゲーム性』の度合いの問題で語られるべき性質のものだと私は考えます。
      (以降では『ゲーム性』の語を『勝敗の有無を重視する度合い』の定義で使用します。)

      例えば下のほうでもコメントされている通り、芸術作品を理解しようとする事は鑑賞活動に含まれるゲーム性と言えるでしょう。理解できたと思えた時には多少なりとも(ゲームに勝った時と同種の)喜びを伴なうでしょうし、作品をよく観察してそこから作者の意図を想像するという行為は、ゲームに勝つために行われる行動とよく似ています。

      もっと極端な例で言えば、推理小説を読むときに、推理が当たるかどうかを重視しながら読めばそれはゲーム性の強い読み方だと言えるのではないでしょうか。一方で、物語として単に描写を経験するような読み方も当然できます。

      このことから、同じ作品でも鑑賞・体験活動の違いによってゲーム性の度合いは異なると結論できます。
      すなわち、ゲームとは、作品ではなく体験活動に付けられた名前なのだということになります。

      となれば、ある作品がゲームであるか芸術であるかを論じることはあまり意味のないことなのではないでしょうか。

      (ちなみに念のため言っておきますと、私はゲーム性から良し悪しを論じるつもりはありません)
      親コメント
  • ゲームの定義 (スコア:1, おもしろおかしい)

    by Anonymous Coward on 2010年04月22日 10時43分 (#1752603)

    この発言の芸術云々は無意味と思う。なぜなら芸術の定義が述べられていないから。
    しかしゲームの定義は述べられている。目的やら勝ち負けの結果やらがあるのがゲームで、没入型ゲームのような、経験するだけのものはゲームじゃない、と。
    つまり本当に言いたかったことは「FF13は一本道すぎじゃね?」ってことだったんだよ!

  • by maimaijp (39043) on 2010年04月22日 10時57分 (#1752617)
    つまり、没入型ゲームは芸術としての要素を持ちうる、ということですね。
    後の問題は、この人が没入型ゲームをゲームと含めないと仰っていて、自分たちゲーム愛好家は没入型ゲームをゲームとして含め、またゲームと呼称しているって点でしょう。
  • どんなものでも芸術たりえると思うのだが。
    映画だろうが、小説だろうが、絵画だろうが、ゲームだろうが、スポーツだろうが。
    少なくとも私の芸術の定義はそれだけだ。
  • by nagomi (35277) on 2010年04月22日 10時59分 (#1752619) 日記
    タイトルが思い起こされます。
    物理的実体を伴わないので、「用の美」とは違いますが…。#1
    従来の価値観に入り込んでいくのは、容易ではないって事ですかね。
    …そもそも、TVゲームの芸術性って、どこに求められるんだろ?

    ・溜息が出るほど美しいソースコード(一般人に理解されない)
    ・革新的な関数(工業的芸術?)
    ・洗練されたユーザーインターフェイス
    ・フローマネジメントが神がかってる
    ・海腹川背たんハァハァ
    ・何度も聞きたくなる中毒BGM(ゲームと関係あるか?)
    ・文学性(笑)の高いシナリオ

    トータルで見るのでしょうかね。


    #1 いや、おっきなお友達は「いや実用品だ! 二次元美イィィ!」って言い張るんだろうけどさぁ
  • by deki (5563) on 2010年04月22日 12時17分 (#1752675)
    車は芸術になり得るか?
    芸術的な車であっても芸術ではないのだろうか?
    要はそういうことではないのでしょうか?
  • by the.ACount (31144) on 2010年04月22日 12時20分 (#1752678)

    芸術かどうかを決められるくらいオレ様はエライんだ!
    と言いたいだけでしょう。

    --
    the.ACount
  • 煉瓦や便器でさえ芸術になるらしいので、制作者が『芸術』と主張すれば芸術になると思われます。

    # 個人的には煉瓦や便器よりも アリス イン ナイトメア の方が芸術と認めやすいです。
    --
    notice : I ignore an anonymous contribution.
  • by A.Rin (37367) on 2010年04月22日 20時33分 (#1753009)

    新しい存在と、そこに秩序を与えることだと思う

    ゲームの中にも芸術はあると思う

  • by kujira090 (16707) on 2010年04月23日 2時49分 (#1753138) 日記

    It is a life, and not an art.

    --
    #壮大なストーリ。空転するアイディア。
  • by xan (25964) on 2010年04月24日 0時26分 (#1753835) 日記

    弾幕は芸術作品です。

    あっちの国には芸術的なゲームが存在しないんでしょうね。不幸なことです。

  • by DetroitTechnoCity (40105) on 2010年04月25日 10時41分 (#1754331)
    フィギュアスケートは演技、表情、衣装などに高い芸術性が認められるけど、 点数を競う競技だから芸術じゃないんですね。 言いたいことは分かります。 個人的にはアレは芸術だコレは芸術じゃないってのは吐き気します。 ゲームやスポーツが芸術を包含しうるって考えにどうしてならないかね。
  • by Anonymous Coward on 2010年04月22日 10時03分 (#1752580)

    ゲームが芸術で無かったら何か問題があるの?

    • Re:何が問題? (スコア:3, おもしろおかしい)

      by Anonymous Coward on 2010年04月22日 10時16分 (#1752589)
      Airはポルノか芸術か、という論争が起こると思います。
      CLANNADは人生でFAですが。
      親コメント
    • by Anonymous Coward

      斜陽になりつつあるから、今のうちに少しでも文化的な地位を上げときたいんでしょ。

      で、芸術の範疇に食い込んでた方がそれには都合がいいと。

  • by Anonymous Coward on 2010年04月22日 10時13分 (#1752585)

    ってことでしょうかね
    俺が気に入らないのがゲームだからゲームは芸術じゃない、的な

  • by Anonymous Coward on 2010年04月22日 10時14分 (#1752586)

    こういうのは言葉の定義(この場合"芸術")を決めないでやるならただの中二議論。お遊び。時間の無駄。
    知恵のついた大人がやることではない。
    議論の参加者間で共通の定義が形成されれば、次の瞬間には終わる話。

    • by reo (4042) on 2010年04月22日 10時16分 (#1752590) 日記

      こういうのは言葉の定義(この場合"芸術")

      ゲームの定義も必要でしょう。

      --
      Hiroki (REO) Kashiwazaki
      親コメント
    • by Anonymous Coward

      まあ、どっちみち無駄だよね。
      「芸術品」ってカテゴリで提供されているもの以外は、
      「芸術度」みたいな、含有度みたいな話になっちゃうから。
      しかも、シチュエーション依存な上に観察者依存w

      自分のした「う*こ」のトグロだって「完全に芸術だコレ!」
      って時があるしね。

  • by Anonymous Coward on 2010年04月22日 10時28分 (#1752595)
    Civilization3
  • by Anonymous Coward on 2010年04月22日 10時29分 (#1752597)
    見ても、聴いても、体感しても、解説を読んでも『何これ?サッッッパリわかんねー。』な時。
    特に、特別展とか高い入場料取られたときの敗北感ったらありゃしない。
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚

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