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日記

phasonの日記: ダークマターは巨大なボース・アインシュタイン凝縮体か? 6

日記 by phason

"Cosmic structure as the quantum interference of a coherent dark wave"
H.-Y. Schive, T. Chiueh and T. Broadhurst, Nature Phys., in press (2014).

我々の宇宙に存在する物質のうち,目に見えるような通常の物質は全体量のわずか1/6以下でしかなく,大部分は目に見えない「何か」であることがほぼ確実となっている.この「光らず,直接見えない何か」はダークマターと名付けられ,その正体の解明が今も精力的に行われている.最も一般的なモデルでは,この「何か」は「重力以外ではほとんど相互作用を行わず,運動エネルギーが小さい(=冷たい)粒子」であると想定されており,「冷たい暗黒物質」(CDM:Cold Dark Matter)と呼ばれている.このCDMを用いたモデルは宇宙の大規模構造の形成や銀河の形成,現在の銀河の形状など様々なものを説明できる優れた仮説ではあるのだが,いくつか未解決の問題を抱えていることでも知られている.
まず第一は,CDMモデルから予想される暗黒物質の分布と,観測された実際の質量分布とが銀河中心部などの高密度領域において大きくずれていることである.CDMによる予想では,銀河中心部では非常に強い重力により多量のCDMが集積しているはずなのであるが,実際にはもっとフラットな分布が観測されており,コア部分におけるダークマターの密度は予想よりもかなり低い(中心に近づいても,思ったほど密度が上がらない).
第二は,矮小楕円体銀河の問題である.矮小楕円体銀河は大きな銀河系の周囲を衛星のように運動している非常に小さな銀河であるが,その質量に占めるダークマターの比率が非常に高いことで知られている.通常のCDMモデルが予想するところでは,この矮小楕円体銀河は実際に観測されているよりも遥かに数が多く,しかもそのサイズや速度分布は非常に幅広いものとなるはずなのであるが,現実にはそうなっていない.
これらの欠点がある事から,CDMモデルはまた改善の余地がある,もしくはダークマターの正体は全く異なる粒子である,という事が推測される.今回報告されたのは,通常のCDMではなく,天文学的な長さの波長を持つ素粒子のボース・アインシュタイン凝縮体(BEC)がダークマターの正体ではないか?という事を示唆する計算結果である.

そもそも,既存のCDMモデルでの一番の問題は「銀河核の狭い領域に,重力により非常に多量のダークマターが集まってしまう」という点にあった.という事は,何らかの機構により「ダークマターが狭い領域に集まるのを阻害する」事が出来れば,問題の解決への糸口が掴める.
今回著者らが考えたのは,ダークマターの正体を「尋常ではなく軽く,それゆえ物質波としての波長(ドブロイ波長)が凄まじく長い素粒子が,ボース・アインシュタイン凝縮しているもの」としたモデルだ.凄まじく巨大な領域に渡って凝縮したBECを考える.凄まじい量の粒子が集合しているためこのBECには自重による重力が強く働くが,それと同時に量子論による不確定性が粒子を狭い領域に押し込もうとすることを阻害する(狭い領域に押し込むには,非常に強い相互作用が必要になる).それゆえ,物質波としての効果を考えない既存のモデルと比べると,今考えているモデルでは中心領域でのダークマター密度が低くなることが予想される.
一方,量子-古典対応により,十分広いサイズ(=物質波としての波長より十分大きなサイズ)で見ている限りにおいては,この量子論的な効果を考慮しない系(CDMモデルの系)と非常によく似たダークマター分布が得られるはずである.従って,今考えているBECを使ったモデルでも,大局的な振る舞いは一般的なCDMモデルと一致し,現在での多くの観測結果とは矛盾しない.
これにより,
・物質波としての波長より十分広い領域:古典的なCDMモデルとほぼ同等の結果を与える
・波長と同程度以下の小さな領域:量子論的効果により,ダークマターの密度が下がる
となってくる.これにより,CDMモデルにおいて「銀河核でのダークマター濃度の計算値が,実測より遙かに大きい」という食い違いを是正することが可能となってくる.

では,物質波としての波長は,どの程度のサイズが必要なのだろうか?
今回のモデルが現実の系を再現できるように決めてやると,驚くなかれ,ドブロイ波長はなんとおよそ1000パーセク,つまり3000光年にも達する.
つまりダークマターを作っている物質は,その波動関数としての1波長が3000光年もあり,さらにその数万,数億倍以上もの膨大な空間に広がる無数の素粒子がBECとなり,単一の量子状態としてこれだけの広さの空間に広がっている,というのだ.
そんなことが可能なのだろうか?ドブロイ波長自体は,質量の1/2乗に逆比例する.従って,とんでもなく軽い素粒子であれば,計算上は数千光年もの長大なドブロイ波長を持つことは可能である.著者らの計算では,このBEC状態のダークマターを作っている素粒子の静止質量として8×10-23 eV程度が示唆されているが,これは電子の静止質量よりも28桁も小さい,とんでもなく軽い粒子に相当する.

論文ではこのモデルに基づく結果がいくつか出されているが,まとめると,
・銀河核でのダークマター密度が下がり,観測値を説明できる
・ソリトン状の励起が起こり,コンパクトでそこそこ軽い重力源となる → これを使うと,矮小楕円体銀河の観測値を説明できる
・宇宙の超初期に生じたダークマターの集積度合い(後に通常物質を引き寄せ,銀河や銀河団の核となる)が,これまでの理論よりも弱くなる(量子論的効果により,狭い領域には集まりにくいため) → 超初期の銀河の誕生が,これまでの理論よりも遅くなる
といった事が主張されている.通常のCDMの理論では赤方偏位z = 50に相当するかなり初期の段階からの銀河形成が示唆されるが,今回のモデルではz = 13あたりになってようやく銀河が発生することとなる.このあたり,将来的には観測で決着を付けられるかも知れない.
(ただ,現時点ではz = 8前後までしか観測できていないので,z = 13という超遠方の銀河が観測できるかどうかは謎)

このモデルが正しいのかどうかはともかくとして(*),数千光年の波長を持つ素粒子だの,銀河以上のサイズでのボースアインシュタイン凝縮体だの,何とも想像力をかき立てる話である.こういうのがあるから物理は楽しい.

*CDMの修正であるとか,他のモデルであるとかいろいろあるので,今回の話が唯一の解決策というわけではなく,どれが正解なのかは現時点では謎.

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by manmos (29892) on 2014年06月26日 16時25分 (#2628304) 日記

    BECなんて私は超伝導や超流動の説明で出てきた言葉としてしか知りませんが、3000光年渡る大きさの超流動物質を想像した瞬間、Mother runs on my back!オカンが背中を走りました。

    • by TarZ (28055) on 2014年06月26日 17時27分 (#2628357) 日記

       スケールの転換という点において、「仮説上の素粒子アクシオン [wikipedia.org]を、ブラックホールによって見つけられるかも(※)」という話を連想しました。

      (※) Physical Review Letters Self-organized criticality in boson clouds around black holes [aps.org]

      もしアクシオンが存在するなら、予想される質量(電子よりずっと軽い)から、ちょうど恒星質量ブラックホールのシュヴァルツシルト半径のオーダーのコンプトン波長を持つことになる。すると、通常の原子核とその周囲の電子の関係と同じように、ブラックホール周囲にアクシオンの雲(こちらは重力相互作用による)を形成するのではないか。こいつが崩壊するときに出す重力波は、次世代の重力波検出器でなら検出できそうだから、アクシオン探しの方法の一つにいいんじゃね?

       アクシオンの件は素粒子スケールから人間世界のスケール(数kmオーダー)へ、という話ですが、今回のはさらに宇宙的スケールになるんですね。壮大だなあ。

      親コメント
  • ニュートリノがダークマターの主成分じゃないか、という話がもどってきたかのよう。

    # レプトンみたいな通常粒子じゃないだろうというのはもう了解だろうから、同じってことはないんだろうけど。

    しかし、このとんでもなく軽い粒子、BECするほどに冷えてるのはなぜだろう?、ニュートリノみたいに飛び回り続けてしまいそうだけど...
    ダークマター同士の相互作用で減速するの大変そうだけど、質量以外のパラメタが(相互作用的に)無いから案外BECになれるのかな?

    # 既存の相互作用しない粒子でのダークマターの話で、中心部への集中の弱さの説明が、3DCGの粒子テスト的なザラザラ動く的な論文の話が以前出てた気がしますが、どうでしたっけ?

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    M-FalconSky (暑いか寒い)
  •  とかの流れへ(走召糸色木亥火暴)

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    "castigat ridendo mores" "Saxum volutum non obducitur musco"
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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー

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