インテル、4004 ファミリの詳細情報の公開を許諾 41
ストーリー by reo
ここから勉強しなおそう 部門より
ここから勉強しなおそう 部門より
38 年前の 1971 年 11 月 15 日、インテルの歴史的なマイクロプロセッサ 4004 の出荷が開始された。つまり 3 日前に 38 周年を迎えたわけだが、これを記念してインテルは 4004 ファミリ (MCS-4) をリバースエンジニアリングしていたチームに対し、その詳細情報を公開することを許諾した (本家 /. 記事より)。
対象は以下の通り。
- マイクロプロセッサ 4004
- 2k ビット ROM 4001
- 320ビット RAM 4002
- I/O エクスパンダ 4003
これが初となる完全な 4004 ファミリの公開情報は、4004.com の Web ページで参照できる。この情報は歴史的興味がある人や教育など、非営利目的 (CC license Attribution-Noncommercial-Share Alike 3.0) で利用可能となっている。
ここではリバースエンジニアリングの苦闘についても述べられているが、4004 については回路認識プログラムを使った回路図復元や、ロジックシミュレータを使って実際にテストコードを走らせて再現させたが、周辺チップについては概略図やマスクが失われていて低品質の顕微鏡写真を利用せざるを得なかったり、いろいろと苦労されたようだ。
なお、Windows で動く MCS-4 シミュレータも公開されている。インテルからは MCS-4 User Manual (PDF) もダウンロードできるので、興味のある人は実際にコードを走らせてみていただきたい。例えば…電卓プログラムとか。
38年ぶりか… (スコア:4, 興味深い)
これ、設計したの嶋さんだよね。異様にチップ数を要求するビジコンの高機能電卓と、
シンプルながら高性能なミニコンの設計を見比べて、とりあえずビジコンの依頼に
インテルの会社規模ではとても応じることができないのを見て取った末、
それなら「単純な4ビットのCPUを作って、後はプログラムで何とかすればいいじゃん」
ってアイデア出したのがフェデリコ・ファジーン。
だけど4ビットじゃオモチャすぎて誰も設計をやりたがらなくて、結局嶋さんにやらせようって話に。
ファジーンのイニシアルはチップに埋め込まれたけど…
ITProにプロセッサ温故知新ってコーナーで嶋博士が寄稿されているのを
見つけたので、また読んでみようと思っています。
Re:38年ぶりか… (スコア:5, 興味深い)
確かに、フェデリコ・ファジンのイニシャル"F.F."の文字が見えますね。
Intelによる実物写真 [intel.co.jp](右下あたり、拡大写真だと見やすい)
今回のアニバーサリープロジェクトによる再現マスクパターン(jpg) [mit.edu]上でももちろん見えます。(右上あたり)
8080のフォトマスクには嶋家(開発者の嶋正利氏)の家紋が入っているという話ですが、写真 [intel.co.jp]を見てもよく分からないなあ。
Re: (スコア:0)
拡散層だと肉眼では見つけられないでしょう。チェックTrや目合わせパターンだったりして。
うちの会社の製品だとコンタクト層でドット文字を書いてるのがありました。
Re:38年ぶりか… (スコア:5, 参考になる)
外から見ても分からないマークなんて、コピープロテクト用でもない限り入れる意味ありませんよ。
嶋家の家紋というのはこんな形で [otomiya.com]
本家インテルのサイトにある8080B [intel.com]の写真を見ると確かに存在しないのですが、
こっちの写真の左下に何か見えるのがソレっぽい [fsu.edu]という結論になりました。
# 写真が90度回転してるので8080と書いてある文字を目印にして探してみて下さい。
# 比較するとその部分だけ、何もなかったはずのスペースに追加されているのが分かりますね。
おそらく、8080の初期バージョンだけに存在し、マスクを改版した時には削除されたのでしょう。
8080Bバージョンが出た頃には既に嶋博士もインテルに在籍していなかった可能性があります。
なにしろ、インテルのスピンアウト組で結成されたザイログ社製Z80も彼の設計なんですから。
# 以前に調査した時に書いた自分の日記 [srad.jp]より。
Re:38年ぶりか… (スコア:3, 参考になる)
「オリジナルの8080には、左下隅のイニシャルに重ねて筆者の家紋が入っている」とある。
Re:38年ぶりか… (スコア:1)
>「マイクロコンピュータの誕生」我が青春の4004(岩波書店 1987)
どうせなら、記念にこっちを再販してほしいかも。
Amazonで見たら、「中古商品4点¥ 10,000より」だってさ。
Re: (スコア:0)
Re:38年ぶりか… (スコア:1, 参考になる)
NHK「電子立国・日本の自叙伝 第5回 8ミリ角のコンピューター」
で、家紋のアップが出てたと思います。
#「ヤッター!」とかの話は確実にしてましたが
##HEROES じゃありません
Re: (スコア:0)
>##HEROES じゃありません
### ヤッターマンでもありません
Re: (スコア:0)
書籍版で確認しました(完結 pp.176-177)
8080A の全体と、左上隅、左下隅の拡大写真があるんですが、
左下隅(上のコメントで出ていた「ソレっぽい」位置)に家紋が入っていました。
ただ、本文にはこうあります。
家紋の近くにある回路の図形がダイの同じ位置の図形と完全には一致しないので、やはり拡大写真はマスクパターンのようです。
ダイ上で積層されてしまうと潰れてしまうということですかね。
そして外見のパッケージ写真は 8008 だったり。
相田さん……。
8080の家紋は (スコア:0)
8080の家紋についてはこんな話 [srad.jp]がありました。
家紋があったのは最初の版だけなのかも?
Re: (スコア:0)
Re:38年ぶりか… (スコア:5, 興味深い)
類似の話としては、ソニーの中の人に「なんでソニーNEWS800の横幅はあのサイズ?」と聞いたら、「組み立てラインの都合でビデオデッキと同じ横幅」とか言っておられた、ってのがあります。
Re:38年ぶりか… (スコア:1, 興味深い)
初代のX1もそうですね。
日本コカコーラ-シャープ-NECの、ガラパゴス島初のマイクロプロセッサは4004に遅れること1ヶ月ですが、資料はほとんどありません。
Re:38年ぶりか… (スコア:3, 参考になる)
> 日本コカコーラ-シャープ-NECの、ガラパゴス島初のマイクロプロセッサは4004に遅れること1ヶ月ですが、資料はほとんどありません。
書名を思い出しました。
「世界にないものを創れ〜日本コカ・コーラ、シャープ、NECによる携帯用コンピュータ開発物語」
http://www.eis-japan.com/reading/2006.htm [eis-japan.com]
> 本書には、評者がかつて取材させてもらったNECの方々が登場している。実に懐かしい。インテルのノイスやホフとシャープの技術者との交流、小型プリンタのスター精密が業容を大きくするキッカケとなった逸話など、興味深い話が数多く盛り込まれており楽しく読める。
読んだ人だけが得をする比類なきおまけ
http://www.ieeeghn.org/wiki/images/f/fd/Aspray,_1997.pdf [ieeeghn.org]
Re: (スコア:0, オフトピック)
ただの一過性の流行だと思いますが、なんでもかんでも「ガラパゴス」と連呼するのはよしましょうよ。
本当のガラパゴス諸島(エクアドル)についてググる人が困るじゃないですか。
あと、ガラパゴス諸島の生物相って、そんなに変わっているとも思えません。
前にも主張したことがあるのですが、「独自の進化を遂げ、外界と大きく生物相が異なる」という比喩なら、
オーストラリア大陸がふさわしいと思います。
あと、日本も十分固有種が多い島国だとおもいます。
Re: (スコア:0)
まあ、自虐大好き民族の琴線に触れたんでしょうね。
あ~やだやだ。
Re: (スコア:0)
驕りと傲慢は崩壊に先立つと言われている。
なぜなら愚か者は反省することを自虐だと思うからだ。
Re:38年ぶりか… (スコア:2, 興味深い)
今の目から見たら考えられないレイアウトです
・NMOS
・延々と拡散層を伸ばして配線に使ってる
・タイミングの微調整用(?)に容量(拡散層/ゲート酸化膜/ポリシリコン)をたくさん使ってる
すべて手作業でレイアウトしたんだから大したものです
Re:38年ぶりか… (スコア:1, 参考になる)
明確な記述へのポインターを今すぐ出せないのですが、4004や8080では嶋氏はロジックデザイナーだったようですね。
Z80とZ8000はアーキテクトとしての参加は間違いありません。
おまけ: 日本よりも海外で著名な佐々木正氏の名前が嶋氏と同列に並んでいます。
http://www.computer.org/portal/web/csdl/doi/10.1109/85.601727
This paper investigates the context for the development of one of the earliest microprocessors, the Intel 4004. It considers the contributions Intel employees, most notably Marcian E. "Ted" Hoff, Jr., and Federico Faggin, made and contributions other people made to this development who are not generally known, most notably Tadashi Sasaki and Masatoshi Shima. The paper represents a case study of how corporate and national cultures affect technological development and of the many aspects of invention, including conceptualization, logical design, engineering, fabrication, capitalization, and marketing.
Re: (スコア:0, 既出)
Think GNU より。
2-2.Intel 社 i860 のマスク・パターンの額縁の話
rms の部屋の下にビニールで包装された額が立てかけてあった。それは Intel 社の i860 という
32 ビット (外部バスが 64 ビットなので 64 ビット CPU とも言われることもある)CPU のマスク・
パターンの拡大写真である。その下に「Richard の協力に感謝する」といった文面があった。
どうも i860 の gcc の移植に rms がイチマイ噛んでいるような気がした。というのは最近の gcc
(GNU C コンパイラ) にはきれいな Intel 社 i860 のコードが入っていたし、Intel 社からも i860
用のサポートのアナ
Re:38年ぶりか… (スコア:1)
i860は、SONY NEWS用のでかいグラフィックカードに載ってたのを見たのが最初で最後だったな
何もかも懐かしい…
-------- tear straight across --------
Re:38年ぶりか… (スコア:1)
i860後継のi960になると、PCIインタフェース内蔵モデルの使い勝手のおかげか、
RAIDインターフェイスカードとかで「I/Oプロセッサ」としてよく使われてましたね。
DOS/V雑誌とかだと、たまにi960を「RAIDコントローラ」と紹介してたりして、
思わず違うだろとツッコミを入れたくなることがありました…
Re: (スコア:0)
> 思わず違うだろとツッコミを入れたくなることがありました…
i960はi860の後継ではありません。
高信頼性システムで有名だったマイヤーズをIBMからつれて来て作らせた、iAPX432の後継チップです。
http://libra.msra.cn/Author/2321530.aspx [libra.msra.cn]
ウィキに書いてあるから(坂村先生の本のどれかにも)間違いありません。
i860はCray on a chipを目指したナンバークランチャーです。
Re:38年ぶりか… (スコア:1)
> i960はi860の後継ではありません。
うわっ、なんと、i960は1985年、i860は1989年で、i960の方が先だったんですね…
ずっと勘違いしてましたよorz。
4004.com の Web ページ (スコア:2, おもしろおかしい)
404 Not Found
ではなくて安心した。
Re:4004.com の Web ページ (スコア:2)
メジャー(というより、私の思いつく)8/16bitの懐かしCPU.com、案外取られてないもんだ
8086.com [8086.com]、何なんだ?コレ
38周年てw (スコア:1)
Re: (スコア:0)
さすがに4004周年までは待てませんし…。
Re: (スコア:0)
4004年後...A.D.5972
1968年ごろと思われる、シリコンバレーの地層からシリコンチップintel4004が発掘された。
とかなんとかニュースになっていたら凄いかも、と思った。
#A.D.かどうか...帝国暦かも知らんし
Re: (スコア:0)
1332進数なら38でちょうど10進数の4004ですよ!
#1332はどこから来たと言われても困るけど。
#2*666、3*444……んー、あまり切りがよくない……
40周年で (スコア:0)
40周年で40(シマ)に・・・
え?日本語なんて分からないって?
Re: (スコア:0)
普通に44周年でいいんじゃね?
Re: (スコア:0)
4004日後。。。はダメだろうから、16進で4004日後とか4004の二乗秒後とか、
なんかそんなのでは出来ないだろうか。
Re:40周年で (スコア:2)
参考の数字置いておきますね。
年に [google.co.jp]
月に [google.co.jp]
秒に [google.co.jp]
# 色々もてあそんだがダメだった。
参考:1971年という時代 (スコア:3, 参考になる)
4004が出た当時、ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズはともに16歳。すでにゲイツは学校のPDP-10でプログラムを組んでビジネスの世界に踏み込もうとし、ジョブズは怪しげな不正ハードを作って売りさばいていたようです。既に頭角を現していたというかなんというか。
ちなみに前年の1970年はDECからPDP-11が出た年であり、日本では(もちろん!)電卓戦争のさなかです。:-)
現代の成功者、Googleの創業者2人は、ともに翌々年の1973年に誕生です。
Re:参考:1971年という時代 (スコア:1)
今風に言えばマジコン売りグループの中に未来のJobsが…?
いて欲しいような、いて欲しくないような。
#海外から流れてくるのを捌くだけだとすると居ようがないな
RYZEN始めました
Re:インテルの黒歴史ですね (スコア:2)
まだ人種差別の強かった時代の話だからね。
嶋博士本人が書いてる通りなんだけど、 [nikkeibp.co.jp]
> 4004CPUは,テッド・ホッフと私が,1969年6月から12月にかけて,半年間の苦労で発明し,
>発展させたものである。それを助けるためにコミュニケーションに協力した人や,
>それ以後にプロジェクトに参加した人や,事実を証明できない人などが発明を主張することがあり,
>困ったことである。歴史の真の姿をぼやかし歪めていることに肌寒さを感じている。
> インテルでも4004CPUの論理設計者については1979年まで口を閉ざしていた。
>1984年になってようやく,私が4004CPUの論理設計を行ったことを社史で認めた。
単に真実を明かすだけのことに何年かけてんだよと。「電子立国」の時に明らかにされてたけど、
当時プロセッサを新たに設計するなら24ビットぐらいが必要だと常識的に考えられていたようで、
4ビットのプロセッサ設計なんてオモチャみたいなの、誰もやりたがらなかったというのが真相らしいです。
(CPU設計志望の人に「4ビットでやってほしい」なんて言おうものなら、さっさと席立って帰ってしまうぐらい)
インテルがマイクロプロセッサに関してどれほど「やる気のなさ」を示したか [nikkeibp.co.jp]知ると面白いですよ。
> ホフは新しい回路設計技術者であるファジン(Federico Faggin)というイタリア人技術者を紹介して,
>「後は彼が担当するから」と言い残して,休暇を取ってしまった。
>拍子抜けしたばかりでなく,何か不吉な予感が頭を横切り,あっという間に期待が不安に変わった。
テッドホフはアイデアだけ出してくれる単なるアドバイザーで、アーキテクチャだけ示しておしまい。
上流だけやって下流の仕事は一切やらない人なんですね。インテルとはもともとそういう契約で仕事してた。
> ファジンに聞くと,「私は2日前にフェアチャイルドからインテルに入社したばかりで何も知らない」と言う。
>少し強い口調で,「設計図を見せてくれ」と問うと,「何もない」と言う。本当に1枚の図面もなかった。
>設計は全く進行しておらず,仕事の引き継ぎに関してもメイザーからの簡単な説明以外は全くなされていなかった。
>メイザーからの説明の翌日に私が訪問したとのことである。
仕様を煮詰めておいたからあとは論理設計して回路作るだけだろうってことで
何かやってくれてるだろうと思ってたら何も作ってないんですよ、なんにも!!
(当時のインテルはメモリ屋であってコンピュータ屋じゃないんだけどさ)
>契約書では2人の技術者を雇うことになっていたが,
>4ビットのコンピュータということで,誰にも興味を持たれず,論理回路設計者を雇うことができなかったらしい。
>正式な契約が遅れたせいかもしれないが,なんて不誠実な会社だと思い,“激怒しない客がいたら見たいものだ”
>ぐらい,かなり強い口調で抗議した。今でも,「嶋が激怒した」と言われ続けている。
>渡米前に知らせてくれれば,なんとしてでも準備して渡米したのにと,残念で仕方がなかった。
どうですかね、このやる気のなさ!(ベンチャー企業ってのは実に893な会社なんですね)
そのくせこっちから出したアイデアはどんどんパクるんです、もう!!
実際、こんな感じだったみたい(嶋博士談) [nikkeibp.co.jp]
>インテルは電卓開発に関する技術情報を全く集めていなかった。
>また,当時のインテルはメモリー専門の半導体会社であったために,
>技術者の大半は化学と物理と回路の専門家で,論理設計者が全くいなかった。
>正式な契約が締結したら論理設計者を雇う予定だったらしい。
インテルさんったら、ファジーンのような回路設計技術者だけ雇って何するつもりだったんでしょうな。
>当時のインテルには論理設計の経験者がいなかったため,
>論理や回路などの設計期間は非常に低めに見積もられた。
>論理と回路は2週間ぐらいで設計できるだろうと思っていたらしい。
>この傾向は8085マイクロプロセッサの開発直前まで続いた。
なにこのデスマーチ進行…。
結局、インテル社内でもこのマイクロプロセッサ開発プロジェクトは社運をかけたモノじゃ無くて、
運が良ければ面白いモノができるし、最悪潰れてもいいプロジェクトぐらいに考えられていて、
微妙にほったらかしにされていたので、好きにやれたけどリソース(特に人材)は揃えてくれなかったのね。
嶋さんが抜擢されたのも、微妙にいい場所にいて、いい具合にコキ使われてしまったのが真相でしょう。
インテルとの交渉の前面に出てきて、ハードもソフトも分かる人物がいるけど、ウチはメモリ専業だし、
彼なら4ビットのプロセッサぐらい論理設計できるんでない?(4ビットならオモチャみたいなものらしいよね)
そしたら新たに人雇う必要ないから助かるよね。みたいな。
ビジコンの社員としては、自分の会社のプロジェクトがコケるかどうかって時に、
できる事はなんでもやらないとどうしようもなかった。結果、凄い技術者がOJTで育ったという。
(後にIntelは帰国して国内で活躍していた彼を、名指しで日本の会社から引き抜きました)
Re: (スコア:0)
Re:インテルの黒歴史ですね (スコア:2)
英語を読むのは苦手なんだよ(笑