yasuokaの日記: 獨逸とドイツ、孛漏生とプロシヤ 10
日記 by
yasuoka
東京新聞の小野沢健太が書いた記事『「独」国名の当て字やめて 漢字愛するドイツ人・八王子のシュミッツさん』(2017年4月1日)が、無事に公開されたとの御連絡をいただいた。
ドイツを漢字で「独」は差別的だ-。東京都八王子市に住む本紙読者でドイツ国籍の漢字研究者、クリストフ・シュミッツさん(47)が自費出版した漢字字典英訳版で、こう訴えている。
正直なところ変な主張だな、と私(安岡孝一)個人は思ったので、以下のコメントを載せてもらった。
<京都大人文科学研究所付属東アジア人文情報学研究センターの安岡孝一教授(人文情報学)の話> 国名の当て字の由来ははっきりしない部分が多いが、ドイツ(独逸)の場合、「独」と「逸」の2文字に関連性はないことなどから、音読みを拾ったものではないか。
実際のところ、明治2年の条約の時点で、プロシヤは孛漏生、ドイツは獨逸、と書かれている。現在の独逸の表記は、「獨」を「独」に代えているものの、基本的には明治政府が当初から使っていた表記で、特に「差別視」があるようには思えない。というあたりまで話したのだけど、さすがに紙面が足りなかったのね。まあ、仕方ないかな。
幕末から (スコア:2)
幕末から用例があるようで、 『国史大辞典』「独逸学」の項に次のようにあります。
武蔵大学の所蔵情報 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA80175257 [nii.ac.jp] では 『官版獨逸單語篇』でした。
Google Books で検索したかぎりでこれより古い類例は、 1855(安政2)年の『合衆国小誌』です。 「獨逸都」に「ドイツ」とルビがふられています。 https://books.google.co.jp/books?id=ifxYAAAAcAAJ&pg=PT10&dq=%2... [google.co.jp]
孤神独逸 (スコア:2)
ただ、幕末だと「孤神獨逸」典故っていう説も、可能性としては、あり得るんですよね。このあたりを、私(安岡孝一)の日記 [srad.jp]に書いておいたので、よければどうぞ。
徳国 (スコア:1)
しかし、なんでも差別呼ばわりされるのは困りますね。
けものはいてものけものはいない (スコア:1)
http://www.bookclubkai.jp/interview/contents/spiritualpublisher15.html [bookclubkai.jp]
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/sio/common/pdf/3letter080330.pdf [ritsumei.ac.jp]
ここに出てる英にけものへんを付けた字って、漢語大字典にはありましたが、諸橋大漢和にはないような。 JIS X 0213にも収録されてませんよね?というか、用例が本当にあるのでしょうか。下記で「米や英という文字の左横に「犭」(けものへん)をつけた活字の使用も奨励されました」とあり、昭和18年10月13日付日本海新聞記事を引いてるので、存在は確認できるのでしょうけど。
http://www.pref.tottori.lg.jp/247069.htm [tottori.lg.jp]
けものへんに米、けものへんに英 (スコア:2)
U+24778「𤝸」は大漢和番号20373ですけど、U+24809「𤠉」の方は大漢和には無いみたいですね。ふーむ、ちょっと調べてみようかしら。
Re:けものへんに米、けものへんに英 (スコア:1)
http://www.geocities.jp/ikikansai2/hurusatokonjyaku/akenokiti.html [geocities.jp]
活字の用例が欲しいところです。
あと、興味があるのは、白川静と中村元が、ドイツの漢字表記として本当に「独」を避けてたのかというところです。このドイツ人以外ではこんな話は聞いたことないので。
Re:けものへんに米、けものへんに英 (スコア:1)
「𤝸𤠉」の活字の用例は、以前、官報号外で見たことがあります。
https://twitter.com/2SC1815J/status/577462056611241984 [twitter.com]
官報号外 昭和24年5月31日 参議院会議録第38号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/005/0512/00505300512038.pdf [ndl.go.jp]
Re:けものへんに米、けものへんに英 (スコア:2)
このネタ、私(安岡孝一)の今日の日記 [srad.jp]で、ちょっと書いてみました。よければどうぞ。
Re:けものはいてものけものはいない (スコア:1)
この方、本当に獣偏にだけはこだわりがおありのようで。最初のリンク先にある:
なんとも、論理も何もない。何でドイツ医学だの戦国時代だのが出てくるのか。
戦時中に「鬼畜米英」を表現するために、獣偏に「米」「英」を付けたといっても、他の時代でも同じことをしたという例はあるのか。米英が嫌いだと言って英語を排するような狂った時期だけを取り出してとやかく言われても困る。ドイツの科学技術が崇拝されていた時期も(そして、この狂った時期も)「独」の字は使われていたのに。そして、その時代は今とは比べ物にならないほど漢字に詳しい学者たちがいたのに。
白川先生がほとんど神格化されているみたいですが、白川先生以外でそこまで言われているのはあるのかな。宗教じみている感じがします。
# 白川説は面白すぎて、かえって鵜呑みにできない。
Re:けものはいてものけものはいない (スコア:2)
「獨」の字は、漢の時代で既に「けもの」の意味は失われているので、「字面では戦国時代続きの臨戦状態に見える」 [bookclubkai.jp]なんてのは、まあ単なるイチャモンに過ぎないんですよね。『拓本文字データベース』でも「獨歩」 [kyoto-u.ac.jp]の用例がトップですし、現代の用例でも「けもの」の意味は無いと思うのです。「用例」という考え方が無い時点で、文字学者としては失格でしょう。