公立校での「忠誠の誓い」復唱は違憲、米大統領らは激怒 467
冷静になれない問題 部門より
k3c 曰く、 "アメリカ合州国のサンフランシスコ連邦高裁で26日、「公立学校において"忠誠の誓い"を生徒に復唱させることは国家による宗教の支持であり、政教分離を定めた合州国憲法修正第1条に反する」という判決が出された。この"忠誠の誓い"には"神の下に一つになった国(one nation under God)"という句が含まれており、無神論者の男性が自分の娘にこのような誓文を復唱させるのを止めさせるよう求めたもの。もともと復唱することは強制されていないが、昨今のテロ騒ぎで米国内は愛国ムードが強く、この"忠誠の誓い"も全国一斉キャンペーンが張られるなど一連の動きに一役買っており、みんなが復唱している以上、復唱したくない者は難しい選択を迫られることになる。" (続く…)
"この判決に対する米国内の反応は例えばCNNの記事にあるように凄まじいもので、ブッシュ大統領は「けしからん」と司法省に対応を検討するよう指示し、下院でも議員らが次々と批難の声明を出し、自ら"忠誠の誓い"を唱和するパフォーマンスを行い、判決に抗議する決議を採択するという異例の事態に発展した。このような世論の圧力に屈したのか、この判決を出した裁判長は判決の翌日、判決の効力を凍結することを決定した。
サンフランシスコ連邦高裁はリベラルな判決を出すことで知られており、その判決は最高裁で度々覆されている。しかしいくら国民の大多数に支持されているとはいえ、政治サイドから判決を覆すような強い圧力が加えられるという事態が、司法の権威を貶めることに繋がらないかとワタシなんかは危惧してしまう。きちんとした裁判手続きに則って控訴し、最高裁の判断を仰げばよいのではないだろうか。/.Jの皆さんはどう思いますか?"
アメリカ人としては (スコア:5, 参考になる)
国旗に対する「忠誠の誓い」と直訳すると、すごく日本人には抵抗を感じる表現になるとおもいますが、現地のニュアンスでいうと、「自由と平等の国であるアメリカの一員であることを誓う」というかんじで、アメリカが自由でなくて平等でもなければ抗議をするという信条を思い出させてくれる、なかなか良い文章なのです。
今回の裁判をおこした人も、そういうアメリカの主権を尊重して、自らの信ずるとおりに行動したのでしょう。
問題となったのは、最後の部分にある、"one nation, under God" で、「神のもとに一つの国」という 1954 年に追加された部分です。州の連邦であるアメリカに特有な文で、日本の「県」とアメリカの「州」との違いをここに感じてみてください。
しかしまあ、今回の話は、50年もとなえていると、意味はともかく、みんな慣れ親しんでいるので、裁判所の判決だから変えろといわれても、抵抗を感じるのが普通の市民の反応だと思います。これ愛国者であろうとなかろうと、いっしょ。
アメリカの小学校でこれを一日のはじめに全員で唱えると、気分がひきしまった覚えがあります。アメリカの学校には、校歌だとか校旗といったものがあまりありませんので、それも考慮にいれてくださいね。
ちなみに、判決をだした appeals court はなにかと物議をかもす判決で有名 [cnn.com]な裁判所で、この判決自体がいまは留保 [cnn.com]の状態にあって、別の裁判所が調査中。というわけで、裁判所に対する議会と連邦政府のチェックと同様、裁判所の裁判所に対するチェックも進行中。
# それにしてもなぜ日本では愛国者は目の敵にされるんだ?
日本人(の一人)としては (スコア:3, すばらしい洞察)
奴ら「愛国者」によって一度滅びかけたから。
しかも反省の色すら見せない。つーか戦後民主主義をいいことにすき放題がなり立ててる。
日本では引用部の後段の部分「祖国が自由でなくて平等でもなければ抗議をする」という部分がすっぽりと見事なまでに抜け落ちているのです。むしろショーグンの時代の「よらしむべし、しらしむべからず」が今だに現状なのでしょう。
「愛国心はならず者の最後の拠り所」が現実になっている国なんです。日本は(sigh)。
Re:ふるさと (スコア:2, すばらしい洞察)
国外で生活するようになれば、「日本」にまで押し広げられても違和感がないかもしれません。
「おクニ自慢」で満足できるのは、日本人が世界の田舎者である証ではないでしょうか?
同時に非常に幸せな国民であるとも言えるでしょう。 :)
gen+nob+ash
Re:アメリカ人としては (スコア:2, すばらしい洞察)
日本国籍をもつものとして発言します。
日本においては、愛国心/愛国者=国粋主義者というステレオタイプが、多かれ少なかれあるのです。そしてその国粋主義、ナショナリズムこそが、第2次世界大戦への日本の参戦とそこで行った暴力の根本的な原因であったと、義務教育のあいだ繰り返し教えられるのです。
「アメリカの主権を尊重して、自らの信ずるとおりに行動」するのがアメリカ国民の倫理であり、そこには学校での毎日の『忠誠の誓い』をすることや不当だと感じることを訴訟に持ち込んではっきりさせることが含まれるのと同じように、愛国にはイデオロギー的な胡散臭さを感じ、なんとなく歴史的な経緯から申し訳なさを感じるのが日本人の倫理となっているのではないかと思います。
多くの投稿が、日本とアメリカのそれぞれの枠組みでのみ相手をとらえているので、ここで整理をするために書きます。
私個人としては、愛国心と市民性(civil manner?)、右翼と保守主義とか言葉の意味の違いをその都度洗いなおしてこなかった日本語の弱さが何よりの問題だと思いますが。
#本題からかなり脱線「申し訳ない」
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
追加されるときは、宗教分離は問題にならなかったの?
まー、あめりかって、人種差別とかでも、アフガンとかの問題でも、結構言ってることとやってることが堂々と違うよね。
日本みたいに「せこせこ」違うほうが普通ちゃうか?
何がアメリカをそんなメンタリティーの国にしたのか?に興味があります。
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
普通じゃない(=大多数に与しない)市民の信仰の自由は圧殺されても良いということでしょうか?
かように、Politically Correctnessが市民の権利を脇へ退けて大手を振って通ろうとする彼の国の現実に、一人の人間としてのワタシは違和感を感じます。今回の事件に限ったことではありませんが…。
# それにしてもなぜ米国では愛国者でないと肩身の狭い思いをするんだ?
Re:アメリカ人としては (スコア:2, 興味深い)
熟考に値する。
本当に国を大事にすることについては声高に表明する必要はないと考えます。
少なくとも日本では「愛国者」と名乗り愛国心を振りかざす人は、何か別の意図を持っている場合が多いようです。
日本は過去それで痛い目にあっていますのでそういう人に対して敏感なのでしょう。
<フレームのもと>
#愛国心の名のもとに他の国へ出かけて乱暴狼藉をはたらくような国であってはならないという自戒もあるのでしょう。
</フレームのもと>
愛国心とはその人の国に対する思い入れみたいなものを含むでしょうから、国旗だ国歌だ神だなどと枠にはめようとするのはどうかと思うんですがいかがなものでしょう?
自分の国を愛する人が多いかどうかなんて先日のW杯の騒ぎを見ても明らかではないでしょうか。
50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
歴史を遡ってみると、いわゆる絶対王制のころ、王の権力は「神から授かった」なんていわれていましたよね。ところが、ここではどの神か、どの宗教の神かなどについての言及が全くありません。となると、Godは宗教的ではない何か別の点で超越した存在と考えた方が自然です。
ではGodはどんな意味なのか? 英語の「Oh, God!」という表現(何かをいわれた時などに反応として出る)を考えると、Godは話し手の中に内在するものを指しているようです。なおかつこれは驚きの表現ですから、Godは「話し手が持っている思考の拠り所」であると考えるのが自然でしょう。
こう書いてしまうと全く味気ない訳ですが、もしかしたら日本語では(大和魂などの)「魂」というのがぴったり来る訳かも知れません。なおかつ、この訳なら事件の全体像もある程度理解することができます(ie これならどこの国で同じ事件が起こったっておかしくない)。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
絶対王制が何か特定の宗教を指定してましたっけ? また、ある絶対王制が特定の宗教を仮定していたのならば、客観的な歴史として論じる時にすら宗教の名前が一切出てこないというのは変ですよ。
今それを確かめたければ、「Oh, God!」と口走った人に、そのGodがどの宗教のものか聞いてみるがよいでしょう。まず答えられません。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
国→「国を相手どって訴訟」の国→為政者→政治家、なんて連想が働くとか。
この場合大統領も議会も (スコア:3, すばらしい洞察)
三権分立の大原則がありますから。
司法の判断に対して他の二者は異論があればそれを唱えることが
できます。
というかその支持基盤(国民)が異を唱えることを望んでいる場合、
それを行うのは義務というわけです。
従って大統領はその権限に基づき声明を発表。
議会は判決に抗議する決議。
全くもって正常です、裁判官を暗殺して息のかかった人間を送り
込んだわけでも無ければ、裁判所の職掌を侵して勝手に処理して
しまったわけでもない。
そして裁判所は「世論の圧倒的不支持」に対して一時的に判決を
留保、再検討にかかる。
司法の暴走を抑えるシステムがこの場合正常に機能したと言うべ
きでしょう。
問題はアメリカという国自体が今きわめて異常な状態にある中で
傍目からは正常に思える判決がアメリカ国内では「異常」とされ
ている、という点に今回の件の厄介さがある、ということですか
ね。
国が国だけにおかしなことになった場合に影響がでかいのでさっ
さと頭を冷やしてほしいものです…
Re:この場合大統領も議会も (スコア:2, 興味深い)
つまり「異常な判決に対して国民が疑問の声を上げ、判決が一時
留保され他の裁判所または上級審の審理を仰ぐ」というこれまた
正常なシステム。
見方を変えてみましょう。
ある人物が犯してもない罪で捕まり、無罪なのは明白なのに単に
お役所仕事のシステムに乗っかって死刑判決まで出てしまった。
マスコミは大騒ぎ、国民は反対の大合唱、大統領や議会はその意
を汲んで反対声明や抗議決議。
裁判所はさすがに青くなってとりあえず判決を保留、再審を行う
かを検討…
何もおかしくはないですよね?
司法、立法、行政がお互いに暴走を防ぐ三権分立のシステムがわ
かりやすい形で働いた例です。
三者のどれであっても国民の意に反した行動を勝手にとることは
できないというシステムです。
「国民の意に反した」というのがキモで、今回のように世論その
ものが集団ヒステリー状態にある場合、システムの正常な働きは
必ずしも事態そのものの正常化には役に立たない、ってことです
か…
唐突ですが「レミングス」をまた遊びたくなってきました(謎笑
国ごとのしきたり (スコア:3, すばらしい洞察)
上で edmeister さんが書かれていることと一部重複する内容ですが、私もひとこと。
アメリカは基本的にキリスト教国ですから、日常生活のあちこちに「神」という概念が出て来るのは自然の成り行きで、彼らはそのことをことさら宗教的には捉えていないのではないでしょうか。
日本は仏教・神教の国ですから、日本の習慣や儀式、挨拶などに仏教的、神教的なものが数知れず含まれています。そして私たち日本人はそれらが仏教や神教由来のものとは気づかずに日々の生活を送っています。
こういった、日常に組み込まれた宗教的なものを「文化」と呼ぶのではありませんか。これらを「宗教的だ、政教分離の原則に反する」「学校教育の場で宗教的事物を持ち込むな」などと叫ぶのは、私には滑稽に映ります。滑稽どころか、危険だと考えます。事実、給食の前に手を合わせて「いただきます」と言うのは仏教の教えだから学校では行わないという馬鹿な(と敢えて言う)教育方針を取っている県もあるようです。このような「教育」を受けた子供たちは将来どのような大人になるのでしょうか。
/.-J ではこういう考えはあまり受け入れられないような雰囲気を感じますが、投稿してみました。
Re:国ごとのしきたり (スコア:1)
私は無神論者で、かなり急進的な政教分離主義者(笑)ではありま
すが「手を合わせて『いただきます』と言うのは仏教の風習だか
ら学校では行わない」というのは極端にすぎると思います。
とはいえ「手を合わせて『いただきます』と言うのは仏教の風習
だから私は(うちの子は)行わない」、というのも当然許容されて
しかるべきなんですよね。
学校で教えるな、とは言いませんが拒否したい人に対してそれを
許容しない偏狭がそこに存在すると…私としてはいただけないで
すね。
Re:国ごとのしきたり (スコア:1)
たれこみでは、裁判での判決に対し、ブッシュ大統領が非難し、裁判所がこれを受けて判決を凍結していることにあります。文化レベルでの話をしているのではないのです。
大統領は(確か)立法権があるのですから、適切な形で立法化をすることができるのですが、司法権をおかすことは許されないはずです。
Re:国ごとのしきたり (スコア:1)
と言う考えですね。
それはちょっとまずいよね。差別問題とかでも、皆が無意識にやっているからいいというものではないでしょう。
問題は、強制されるということですよね。
「いただきます」問題でも、「いただきます」が言えない宗教の人は言わなきゃいいじゃんというだけですよ。
いっせいに強制するか、まったくしないというのは、教育する側が怠慢なんだよね。
何が日本の教師をそういうメンタリティーにしたか?に興味があります。
Re:国ごとのしきたり (スコア:1)
Re:国ごとのしきたり (スコア:1)
もはや日本はそういう国ではなくなっていると思いますが。
単なる慣習や礼儀作法として形式的に残っているだけで、
そこに深い意味を求めたりする人がいるとしても、
それは古来より宗教とは全く別の「恥じの文化」と
取り違えているような気がします。
仏教や神道に由来した習慣や儀式があったとしても、
そこに信仰がなければ、単なる礼儀作法や一般常識に留まります。
多くの日本人が宗教というものに対して
ほとんど現実感がないにも関わらず、
他国のように宗教に関係した行為や様式にナショナリズムを
感じるということに、違和感を覚えるのも仕方ないと思います。
しかし、聖書に手を置いて宣誓することに、信仰があれば
それは儀式であるし、信仰がない人に強要されるべきではないという
意見が出てきてもおかしいとは思いません。
自らの信仰とその行為に相違があり、拒否したからといって
非国民ということにはならないでしょう。
各々の信仰が深いゆえにそういった問題が出てきて、
議論が深まっていくのは当然の流れだと思います。
いつの時代も人々と信仰とは深く関わってきた問題なので、
そういった意識が希薄な日本人にはブッシュ大統領の恫喝が
短絡的に映るかもしれませんね。
まぁ、大統領が恫喝すること自体はどうかと思いますが。
from linus (スコア:2, 興味深い)
just for fun の中にあった、印象深い一節。
最近のアメリカを見ていると特にそう思う。
Re:from linus (スコア:1, 興味深い)
真に「中立」であることは不可能かもしれないが、「公平」であることは可能である。
と、考えているんですが、皆さんのご意見は?
スポーツの審判は「中立」でなくても良いが(好きなチームがあっても良いが)、実際のジャッジは「公平」であって欲しい。
(あ、脱線した。)
Re:拝金出世教 (スコア:1, おもしろおかしい)
自分は、貧乏神を信奉しています :-)
Re:拝金出世教 (スコア:1)
貧乏神の場合、こちらが信奉していなくても、先方からやって来てくれます。
そういうのは… (スコア:2, すばらしい洞察)
Re:そういうのは… (スコア:1)
今や日本のほうが自由の国か・・・。
taka4
Re:米国の司法も (スコア:2, 参考になる)
経典に手を置いて宣誓する仏教徒ってのも違和感がありますが。
Re:米国の司法も (スコア:2, おもしろおかしい)
悪魔本に手を置いて宣誓するBSD教徒とか...
アメリカだなぁ。 (スコア:2, すばらしい洞察)
仮定2: そして米国大統領はその体現者。
仮定3: ...でなければならない、という国是。
米国の大きな騒乱、戦乱、内乱etc. は概ね、上記の理想と
現実のギャップから発生するものと解しています。
少なくとも日本では、こんなのないだろうな。
*****でもって黙らされて、それで終わり。
# 表記が揺れてますが、あしからず。
神の国 (スコア:2, おもしろおかしい)
「神」の部分だけでなく (スコア:2, 興味深い)
国家が、自分自身の権力を利用して、自分自身に忠誠を誓うように 子どもたちを洗脳している、といった構図でしょうか。
〈おことわり〉
「洗脳」に相当する手法を使っているかどうかは不明なので、 「洗脳」と言いきることは不適切です。比喩的表現と受けとめてください。
〈/おことわり〉
Re:「神」の部分だけでなく (スコア:1)
組織維持として当然の手法だと思うけど。国家による教育は洗脳でしかありえないよ。
まさか各個人にまかせれば、国家は維持できるとか思ってらっしゃるわけでもないでしょうに、なぜ異様だと感じるのでしょう?
: 〜〜〜 パルナス、けだるい日曜日。 〜〜〜
Re:「神」の部分だけでなく (スコア:1)
御意。
個人の利害というのは基本的に対立するものから、
社会は非合理な基盤に立たずして成り立つことはない。
だがしかし。
国旗に忠誠を誓わせるのが「当然」かどうかは別の話だと思う。
個人がそれに抵抗すること、反対すること、異様だと思うことが否定されるべきか?
当事者たる個人の視点から見ればそれは異様と感じられることがむしろ普通ではないか?
・・・と、思うのですよ。
また、必ずしも人は「国家」という「社会」の下においてしか生きられない訳ではないであろうということも付け加えておきます。
「国民国家」以外にも社会には様々な形があり得る筈なので。
gy0
自由が聞いて呆れる.... (スコア:1, すばらしい洞察)
しかし、大統領自ら....恫喝するかい(^_^;
ま、最初からバカだとは思っていたが、予想以上のバカだったようだ....(小泉も同類だとは思うが)
Re:自由が聞いて呆れる.... (スコア:2, 興味深い)
キリスト教を国教とすると書いてあるのだと思ってました。
ましてや「政教分離」なんて絶対書いてないと、、、
そんな事が書いてあるなら、他にもたくさん憲法違反がありそうな気が。
裁判の前に聖書に手を乗せる、学校での宗教の時間、などなど
実際の裁判に聖書は出てこない (スコア:2, 参考になる)
大抵は裁判官が「あなたは自分の知る限りに置いて、正直に証言することを誓いますか?」と聞いてくるので単に右手を挙げて「誓います(I do.)」と答えるだけです。聖書が出てくるというのは、古いドラマ/映画の影響では無いかと考えられます。
Re:自由が聞いて呆れる.... (スコア:1)
ま、あの国なら、次は恫喝に屈しない自由を振りかざす人も出てくるはずです。 その辺が多少なりともマシな国っす。
サッカーを嫌いすら大声で言えない (スコア:1)
#野球もサッカーも特に興味無いと言っていますが、何か?
##オダギリジョーや太田光なども、W杯など全く興味なしと断言してますし
タブレット中毒者。
Re:自由が聞いて呆れる.... (スコア:1)
え、本当に?
勝手に思いこんでる場合でも?
それにサッカー好きの中でサッカー大嫌いだ!と叫んでサッカー好きに嫌な顔されるのを不自由だというのはただのわがままじゃない?
サッカー好きが不快を示す自由もあるんだし。
#サッカーに限らない話ですが。
親が子供に与えられるもの (スコア:1)
大体数が盲目的に受け入れてしまっているようなことに対して、意義を述べるのは勇気のいることだし、今回のようにいろいろな反発を招くことも多いけれど、それを避けてしまってはいけないと思う。
「先生の言うことをよく聞きいていい子にしなさい」みたいな、安易な強者への服従を説くのではなく、さまざまなことに対してよく考え自分の意見を持ち必要とあらばその意見を表明するという、この父親が娘にみせた行動は素敵だと思う。
#まぁ今回の場合、自分の信義を子供に押し付けているだけという見方もできるけど、ここはあえて好意的に...。
Re:親が子供に与えられるもの (スコア:2, すばらしい洞察)
自由への戦い (スコア:1, すばらしい洞察)
国粋主義が大手を振っている、という観点では日本より米国のほうが ずっとひどい状況にあるけど、それに対して戦ってでも自由を勝ち取る、 という動きがある (そして、その戦いが国をも動かすことができる) のが米国の救いどころですね。
日本だと、たとえば学校における国歌斉唱に「自分はいやだ」と 反対しても、ぜんぜんその訴えが通る気配もない。 反対のやりかたが悪いのか、政府や裁判所にろくな人がいないのが 悪いのか、それは分かりませんが。
それ (「米国の救いどころ」) も、9.11 以降は、舞い上がった民衆たちによって潰されて しまうかもしれませんが。
Re:親が子供に与えられるもの (スコア:1)
それは当然。でも、人間として一番基本的な部分はやっぱり親から受け継ぐものだ、と思います。今回の例でいえば、親が体現してみせたのは「無神論」という宗教上の1つの見方ではなく、みずからの信念に反する行動を強制された時に人が取るべき行動の方なのだと思う。
Only Jav^Hpanese available :-)
神といえば (スコア:1)
ただ、忠誠の誓いってやつは、微妙に発音を変えるだけでかなりふざけた内容になるので、それで遊んでた上級生もいたので、
復唱したくない者は難しい選択を迫られることになる
というほど息苦しいものではなかった記憶が。アメリカの国歌を歌わされたときも、適当にうなりながら口動かしてごまかしてたし。
#その辺、うちの学校が適当だっただけ?
Re:神といえば (スコア:1)
高校野球の都道府県代表は学校がカネ出して選手を送り込んでる。
国歌? (スコア:1)
>国を代表して参加…
一様イギリス国歌ですか?
Re:国歌? (スコア:1)
「イギリス国歌」として知られる"God saves the Queen"は元々イングランドの国歌なので、
"God saves the Queen"を歌っても別におかしくはないそうな。
スコットランドやウェールズにはこれとは別に「国歌」があるらしい。
サッカーではないけど、ラグビーのスコットランド代表は「スコットランド国歌」を歌うそうな。
向こうの感覚では「三カ国の連合」という感じみたいね。
神はつっこまないのか? (スコア:1)
とにかくアメリカが「神の下に」いることになるとその神は「悪い奴には爆弾落として皆殺し」を推奨してることになるのだが。神だってそんなの嫌だろうよ。
Re:神はつっこまないのか? (スコア:1)
解釈の仕方にもよるが、推奨してる、とみなすこともできるよ。
キリスト教(というか一神教)の神は「言う事聞かない奴は地獄行き」という神なんで。
平和的になってきたのは近年のこと。
数百年位前には、「神の名のもとに」何百万人と殺されてるわけだから。
Re:神はつっこまないのか? (スコア:1)
そうか、ムスカはキリスト教徒だったのか。
Re:数の論理 (スコア:2, 興味深い)
道具という立場にふさわしいだけの「愛」とか「忠誠」なら、いいけど。 (だれだって、自分の持ち物は大切にするでしょう。 「愛国心」や「忠誠」は その程度で十分)。