自分は京都大学経済学研究科で博士号を取得したので、京大や経済学系のウエイトが多くなりますが、法律、政治、歴史、工学、医学などの分野の友人・知人から話を聞く限りそのような認識は相当な思い込みによるものだと思います。
人文系とひとくくりにされている経済、文学、法学ではそれぞれ博士号の位置づけが全く異なります。
まず経済学系における課程博士号の位置づけは、大学のテニュアを得るための前提となっています。
大学によっては博士号取得をしていなくてもテニュアとして採用する場合もありますが、最近では希です。
JREC-INの公募情報を見ればその殆どが博士号の保有を前提とした公募となっている事がわかります。
博士号の取得条件は大学や教員の方針によっても異なりますが、例えば私が博士号を取得した京都大学経済学研究科では博士論文には少なくとも1本の査読付き学術誌に採択された研究を含めるよう基準を設けています。
また、厳しめの指導教官の場合、中堅以上の国際誌に数本が採択されるまで博士号は与えないとしている人もいます。
東大の知り合いと話していると、東大も概ね似たような状況のようです。
経済学の本場であるアメリカの場合はコロンビアやプリンストンのような一流大学でも一流紙に採択されうる水準の論文を書いていれば博士号(Ph.D)が与えられる事もあるようです。
これは経済学の一流紙では査読期間が数年に渡ることもある事とも関連しているようです。
自分の知る限りでは、そうして博士号を得た方のJob market paperは博士号取得後数年以内に一流紙に掲載される事が殆どです。
もちろん中には査読付きとは言うものの、内輪で査読をしているような雑誌の掲載によって博士号を取る人も居ます。
しかし、それは工学系分野でも泡沫研究者にはよくあることではないかと思います。
もし、毎年大量の課程博士号取得者を輩出している医学分野や工学分野において、全ての方が厳しい水準の審査の下で学位を取得しているのであれば、堂々と現状を説明し、我々には現行制度である旨主張すればよいでしょう。
法学分野に関しては、今でも一流研究者は博士号を取りません。
その代わりに研究書を一冊出版することが多いようです。
旧帝大の准教授になった知り合いは博士号を取ると学者としての格が落ちる、等と本気で考えていたりします。
一流になれないが、指導教員が大学教員として就職させてあげようという意図を持った場合には指導教官が博士号を授与し、ポストの面倒を見る、もしくは公募ポストへの門戸を開いてあげるようです。
歴史・思想分野に関しては経済学と似たような状況のようです。
ただ、Impact factorのような第三者による学術誌のランク付けがなされていないので、部外者からでは状況を把握しにくい状態にあり、不明瞭と言われても仕方がない状態にあると思います。
あえて言わせて頂くと、工学・医学等における実験系の分野では単純肉体労働の成果によって共著者になり、全くの知的貢献無しにpaperを出して博士号を取得している方がいるのではないでしょうか。
そこそこのランクと評されている学術論文誌に名前が掲載されている方のうち、その後独立研究者として研究を続けている方の割合でみると、工学系のpaperを出すという事の位置づけは、経済学系のpaperを出すと言うことの位置づけよりはるかに軽いように見えます。