安楽死は太田典礼とかいうアホが優生学や経済性などにも絡んだ流れでぶち上げた事による呪いから解放され、尊厳死としてようやくまともに議論がされるようになってきたところだ。
歴史的悲劇(例えばヒットラーによるユダヤ人虐殺や、かつての奴隷制など)を踏まえ、その大原則は
・生存権が大前提
・法規に従う
・本人の意思による選択と言う話に絞って議論をする
・周囲の圧力や、洗脳、経済的理由から選択されることはあってはならない
と言う所が大前提で、積極的な死ではなく、延命治療の拒否を表明するという形になっている。
その面でこの記事は、
・若者がかわいそうだと、理由を尊厳死を考える本人から引きはがした上で、さらに著者の考えですらない他の事象に理由をアウトソースして批判している
・経済的な面を全面に出して居る
・生存権の侵害や、「俺が困っているからお前死ね」と迫るようなケースに対する配慮が全くない
と言う点で、この竹井善昭が語っている非常に雑な話は、尊厳死の是非に関わる議論において大きなマイナス。
さらに、竹井善昭による問題的の切り口では、はっきり言って地獄しか生まれない。
なぜか。
それはこの件、最終的には
「介護者が可哀想だから早く死ぬことを推奨すべき」
「介護が必要になったのは早く死ななかったのが悪い」
と言う形にしかたどり着かないから。
まず若者の介護者についてだが、何の権利があって介護者の代弁をしているのか?あれは介護者を支援する制度が、中年以上の介護者を想定していて若者に対するフォローが不十分だという指摘だ。間違っても「介護者がいないのに、生き残る奴がいるのが問題だ」とか、彼らに対して「あなたは若くて介護してて、将来のキャリアに影響があるから介護対象に安楽死を勧めてはどうか」と提案するような話では無い。
そこにさらに社会的負担…つまり金を削減するためにも考えるべきだと言う話になっていて、お前は神にでもなったつもりなのかとしか言いようがない。どう取捨選択するのか? 社会的には自殺は推奨されるようなものではないが、推奨される自殺と、推奨されない自殺をどう判別するのか?
介護者の負担が大きいのなら、介護者の負担を軽減する措置を推進するべきだ。
それを若年介護者にあわせて話すのならば、例えば現在自宅で介護ができる人がいる場合は養護施設の入居が難しい。そこで老老介護でかつ介護者にも病気があるなどの場合には考慮があるが、若者が介護している場合には考慮がされない。また老老介護に対する支援制度は充実しているが、若年介護者に対する支援制度は乏しい。こう言った制度面をまだ改善する余地がある。
しかし、この竹井善昭が言うように、要介護者は早く死ぬべきだった、介護が必要になり社会的コストが高くなったのは死ななかったのが悪いのだ結論を導き出して福祉を削る方向に行ったら、単に介護者の負担は増える一方ではないか。介護者が介護する相手はほとんどが肉親だ。例えば自分の親がそうなったとして、生きてるのが悪いと福祉を削られ、その通り親に「安楽死しろ」と言える奴、どれぐらいいるのか?
さらに、竹井善昭の知識不足も目に余る。繊細な議論が必要とされる分野の議論が出来るだけの知識が無い。
少なくとも、欧米に比べて寿命が長くて寝たきりが多いのだから早く殺せ、と言う雑な思い込みからスタートしているがそれは完全に誤解から来ている。実際には健康寿命も寿命が長い分だけ日本は長い。さらに疾患については地域性があるのだが、それを考慮せずに欧米と単純比較していている。こんなので実態を踏まえたまともな議論はできないだろ。
少なくとも、長いカタカナ語の肩書きで身分を煙に巻いて自分を大きく見せるハッタリで商売しているクソジジイが、経済ポルノ週刊誌のネタサイトで語るようなレベルの話ではない。