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国旗に対する「忠誠の誓い」と直訳すると、すごく日本人には抵抗を感じる表現になるとおもいますが、現地のニュアンスでいうと、「自由と平等の国であるアメリカの一員であることを誓う」というかんじで、アメリカが自由でなくて平等でもなければ抗議をするという信条を思い出させてくれる、なかなか良い文章なのです。 今回の裁判をおこした人も、そういうアメリカの主権を尊重して、自らの信ずるとおりに行動したのでしょう。
その意味では、「おクニ自慢」(という言葉は、たいてい都道府県や市町村レベルの地域を意味しますよね) のほうがまだ自然な「ふるさと」意識に近いと思う。
日本国籍をもつものとして発言します。
日本においては、愛国心/愛国者=国粋主義者というステレオタイプが、多かれ少なかれあるのです。そしてその国粋主義、ナショナリズムこそが、第2次世界大戦への日本の参戦とそこで行った暴力の根本的な原因であったと、義務教育のあいだ繰り返し教えられるのです。
「アメリカの主権を尊重して、自らの信ずるとおりに行動」するのがアメリカ国民の倫理であり、そこには学校での毎日の『忠誠の誓い』をすることや不当だと感じることを訴訟に持ち込んではっきりさせることが含まれるのと同じように、愛国にはイデオロギー的な胡散臭さを感じ、なんとなく歴史的な経緯から申し訳なさを感じるのが日本人の倫理となっているのではないかと思います。
多くの投稿が、日本とアメリカのそれぞれの枠組みでのみ相手をとらえているので、ここで整理をするために書きます。
私個人としては、愛国心と市民性(civil manner?)、右翼と保守主義とか言葉の意味の違いをその都度洗いなおしてこなかった日本語の弱さが何よりの問題だと思いますが。
#本題からかなり脱線「申し訳ない」
どうもUSの人って、USの中で何か目立つことをやることでそのまま名声を得ていませんか? これは、海外で目立つことが名声になる日本から見ると変わった価値観に見えます(でなければ日本で野茂や中田があれほど話題になることはない)。
USの人が「USで一番になれば世界で一番」と考え、片や日本人が「海外で一番にならなければ日本で一番になっても意味がない」と考えるならば、自分の国に対する態度はおのずと変わってくるでしょう。
歴史を遡ってみると、いわゆる絶対王制のころ、王の権力は「神から授かった」なんていわれていましたよね。ところが、ここではどの神か、どの宗教の神かなどについての言及が全くありません。となると、Godは宗教的ではない何か別の点で超越した存在と考えた方が自然です。
ではGodはどんな意味なのか? 英語の「Oh, God!」という表現(何かをいわれた時などに反応として出る)を考えると、Godは話し手の中に内在するものを指しているようです。なおかつこれは驚きの表現ですから、Godは「話し手が持っている思考の拠り所」であると考えるのが自然でしょう。
こう書いてしまうと全く味気ない訳ですが、もしかしたら日本語では(大和魂などの)「魂」というのがぴったり来る訳かも知れません。なおかつ、この訳なら事件の全体像もある程度理解することができます(ie これならどこの国で同じ事件が起こったっておかしくない)。
絶対王制が何か特定の宗教を指定してましたっけ? また、ある絶対王制が特定の宗教を仮定していたのならば、客観的な歴史として論じる時にすら宗教の名前が一切出てこないというのは変ですよ。
今それを確かめたければ、「Oh, God!」と口走った人に、そのGodがどの宗教のものか聞いてみるがよいでしょう。まず答えられません。
当時の宗教がどうだったかなんていうのは問題ではありません。ここでの問題は、絶対王制がとっくの昔に潰れてしまった現在に至るまで、絶対王制当時と全く同じ用法でGodを使っていることです。それゆえ、何か宗教から離れた意味をGodが持っていなければ説明がつかないのです。
----- Team Slashdot Japan [tripod.co.jp]に参加しよう。
いいたいことがよく分かりません。
ある言葉やそれが表す概念が、数百年もの間その本質を変えずに保ち続けてきたこと、そしてそれを踏まえないと今回の事件を理解することができないというのがわたしの主張です。このような例は日本語ではまず見当たらないので、理解に苦しむのかも知れません。日本語についていえば現代の文法の確立は江戸中期、単語の意味に至ってはそれ以来だけでも明治やWW2後など数度の大改革を経ています。そういう立場から見るとGodの用法は非常におもしろいものなんです、マル。
ガキのころ(っていっても17歳だけど)日本を飛び出していた時、東南アジア出身の知り合いもよくGodをnativeとほぼ同じ用法で使っていました。彼は別に基教文化の人ではなかったので、この主張は理解できません。
また、単に思考の拠り所に止めたのは、そうでないと無信教の人はいったい何を拠り所とすればよいか分からなくなってしまうためです。現実には仕事を拠り所とする人、趣味を拠り所とする人などいろいろあります。それらを含めて一般的に説明するためには、単に拠り所とする必要があります。
# それにしてもなぜ日本では愛国者は目の敵にされるんだ?
大いに共感。愛国という言葉が手アカにまみれてますからね。
大馬力でブレーキ赤熱させてないと自動車好きと呼べませんか、みたいな。
日本人の中の愛国者、と言う意味でしょうか?
愛国心は悪党の最後の拠り所、と言う言葉もありますね。
#今日もコーディングえっほっほ。
> #それにしてもなぜ日本では愛国者は目の敵にされるんだ? この枝の伸び具合を見るに確かに仰る通りですね。^_^; やはり戦後教育の影響が大きいと思います。 そしてその始まりはアメリカの政策だったのですが…。 # 50年も経てば他人のせいにはできませんが。
『神のもとに』の捉え方ですが、政教分離の原則に反しているかといえば 一概にそうとも言えないと思います。正教の『教』とは教義であって信仰自体を指すものではない。 教義の違いは対立を生むけれども、信仰する精神は政(まつりごと)の基本です。 政治に祭り(祖先や倫理観との語らい)がなければそれは乱れる。 祭政は不可分であって、今の日本はまさに祭政不一致の乱れた状態だと思います。 日本がアメリカを見習うべきは、(形だけにせよ)政治から祭りの精神が失われていない点だと思います。 正教分離と祭政一致は両立するものです。
もちろん『神のもとに』の神をキリスト(あるいはキリスト教の神)だと明言してしまえば、 そこに対立が出てくるのは明白です。しかしunder Godが特定宗教に限定されない神 あるいは良心としての意味を50年の間に得てきたのであれば、 それを政教分離に対して不当だとする主張は一面的過ぎると思います。 (もちろん主張する自由はありますし、現にそれが行使されたわけですが) 今回の圧倒的市民の反対によって裁判所が留保したという経緯はとても妥当な気がします。
ふと疑問に思ったんですが、忠誠とか誓いやらなんていってても、実は口に出しているだけでいざとなればジョークネタにすらしてしまうほど実は軽いものなんではないでしょうか?
あ、ついさっき、昔見たFull HouseでJessyが学校のポールに校長のカツラをかけて、朝礼でカツラに忠誠を誓ったってのを思い出したんで(笑)。
というわけで、日本の政治体質って、戦前とあまり変わってないなぁ
いや、ノーパンしゃぶしゃぶあたりから偉いぞ感が薄れたことを当人たちも自覚しているらしい点で、戦前よりはマシと思われ。
天皇誕生日や建国記念日に、「休みだ!」なんて喜んでいるとね。 そのうち、体育館に呼び出されて式典に並ばされる事になりますね。 気をつけてください。
逆に「非国民! 売国奴!」と罵られるぐらいに「国家に不忠な人間」がいても、「対外的な戦争」は起こせない(はず)なので結果としては 人命の収支上有利ではないかと。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
アメリカ人としては (スコア:5, 参考になる)
国旗に対する「忠誠の誓い」と直訳すると、すごく日本人には抵抗を感じる表現になるとおもいますが、現地のニュアンスでいうと、「自由と平等の国であるアメリカの一員であることを誓う」というかんじで、アメリカが自由でなくて平等でもなければ抗議をするという信条を思い出させてくれる、なかなか良い文章なのです。
今回の裁判をおこした人も、そういうアメリカの主権を尊重して、自らの信ずるとおりに行動したのでしょう。
問題となったのは、最後の部分にある、"one nation, under God" で、「神のもとに一つの国」という 1954 年に追加された部分です。州の連邦であるアメリカに特有な文で、日本の「県」とアメリカの「州」との違いをここに感じてみてください。
しかしまあ、今回の話は、50年もとなえていると、意味はともかく、みんな慣れ親しんでいるので、裁判所の判決だから変えろといわれても、抵抗を感じるのが普通の市民の反応だと思います。これ愛国者であろうとなかろうと、いっしょ。
アメリカの小学校でこれを一日のはじめに全員で唱えると、気分がひきしまった覚えがあります。アメリカの学校には、校歌だとか校旗といったものがあまりありませんので、それも考慮にいれてくださいね。
ちなみに、判決をだした appeals court はなにかと物議をかもす判決で有名 [cnn.com]な裁判所で、この判決自体がいまは留保 [cnn.com]の状態にあって、別の裁判所が調査中。というわけで、裁判所に対する議会と連邦政府のチェックと同様、裁判所の裁判所に対するチェックも進行中。
# それにしてもなぜ日本では愛国者は目の敵にされるんだ?
日本人(の一人)としては (スコア:3, すばらしい洞察)
奴ら「愛国者」によって一度滅びかけたから。
しかも反省の色すら見せない。つーか戦後民主主義をいいことにすき放題がなり立ててる。
日本では引用部の後段の部分「祖国が自由でなくて平等でもなければ抗議をする」という部分がすっぽりと見事なまでに抜け落ちているのです。むしろショーグンの時代の「よらしむべし、しらしむべからず」が今だに現状なのでしょう。
「愛国心はならず者の最後の拠り所」が現実になっている国なんです。日本は(sigh)。
Re:日本人(の一人)としては (スコア:1, すばらしい洞察)
しかし、右翼団体の構成員は、在日朝鮮人だという罠
Re:日本人(の一人)としては (スコア:1, すばらしい洞察)
特に愛してるという事はないが、
日本という風土には愛着があります。
例え戦争で日本国が滅んでも、日本文化が滅ぼされなければ
問題ないです。
こういう感情と、愛国心というのは別物なのでしょうか?
Re:日本人(の一人)としては (スコア:1)
# 自分の生まれ育った土地風土が好き → 日本良いなぁ、って
ただ、この国で『愛国心』って言葉を使うと、背後で日章旗が翻っちゃうから、
こういう素朴な感情の為の新しい言葉が必要かも。
ふるさと (スコア:1)
その意味では、「おクニ自慢」(という言葉は、たいてい都道府県や市町村レベルの地域を意味しますよね) のほうがまだ自然な「ふるさと」意識に近いと思う。
Re:ふるさと (スコア:2, すばらしい洞察)
国外で生活するようになれば、「日本」にまで押し広げられても違和感がないかもしれません。
「おクニ自慢」で満足できるのは、日本人が世界の田舎者である証ではないでしょうか?
同時に非常に幸せな国民であるとも言えるでしょう。 :)
gen+nob+ash
Re:日本人(の一人)としては (スコア:1)
政治システムとしての国には出しゃばらないでいただきたい。
しかし、私の場合国旗も国歌もわりと好きなんですが、
こういう人間は少数派ですかね?
法律で制定した事には反対しますが。
単純に旋律と日の丸のシンプルなデザインが好きなんですよ。
Re:日本人(の一人)としては (スコア:1)
頑張っているのは、メディアよりも自民党などの保守勢力でしょう。
# メディアで頑張っているのはフジサンケイグループかな。
> 実際の所、政治に冷めているのと同様に 愛国的なものにも無関心な人間がほとんどだと思う。
多くの人が無関心を決め込んでいる間にも、1999年の国歌・国旗の法制化のように、頑張っている人々は成果を上げているようです。
# 私は反対ですが。
Re:日本人(の一人)としては (スコア:1)
そうでもないんじゃないかな?
2chとかでもよく地方出身者同士でけなしあいしてるし(w
メディアや文部省のいうところが「エセ愛国」であることをちゃんと理解してるだけではないかと。
エセ愛国はろくでもないものってのも刷り込まれてるし。
Re:アメリカ人としては (スコア:2, すばらしい洞察)
日本国籍をもつものとして発言します。
日本においては、愛国心/愛国者=国粋主義者というステレオタイプが、多かれ少なかれあるのです。そしてその国粋主義、ナショナリズムこそが、第2次世界大戦への日本の参戦とそこで行った暴力の根本的な原因であったと、義務教育のあいだ繰り返し教えられるのです。
「アメリカの主権を尊重して、自らの信ずるとおりに行動」するのがアメリカ国民の倫理であり、そこには学校での毎日の『忠誠の誓い』をすることや不当だと感じることを訴訟に持ち込んではっきりさせることが含まれるのと同じように、愛国にはイデオロギー的な胡散臭さを感じ、なんとなく歴史的な経緯から申し訳なさを感じるのが日本人の倫理となっているのではないかと思います。
多くの投稿が、日本とアメリカのそれぞれの枠組みでのみ相手をとらえているので、ここで整理をするために書きます。
私個人としては、愛国心と市民性(civil manner?)、右翼と保守主義とか言葉の意味の違いをその都度洗いなおしてこなかった日本語の弱さが何よりの問題だと思いますが。
#本題からかなり脱線「申し訳ない」
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
>そこには学校での毎日の『忠誠の誓い』をすることや不当だと感じることを訴訟に持ち込んで
>はっきりさせることが含まれるのと同じように、愛国にはイデオロギー的な胡散臭さを感じ、
> なんとなく歴史的な経緯から申し訳なさを感じるのが日本人の倫理となっているのではないかと思います。
非常に的確な表現だと思います。
単に「日本という国が好きだ」というだけでも、その「申し訳なさを感じる」という感覚がブレーキをかけているのを、自分も感じます (小学校後半、歴史を学んだのは日本でだったから)。
上の文に、アメリカは一つ一つの州が小さな国であって、その連邦に対して帰属するという意味の「忠誠」も存在することを加味していただくとさらに良いかと思います。老婆心ながら。
United States の何が United なのか、日本ではなかなか理解してもらえないので、こうした議論が起こる気もしますね。
考えなきゃいけないことがたくさん。
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
追加されるときは、宗教分離は問題にならなかったの?
まー、あめりかって、人種差別とかでも、アフガンとかの問題でも、結構言ってることとやってることが堂々と違うよね。
日本みたいに「せこせこ」違うほうが普通ちゃうか?
何がアメリカをそんなメンタリティーの国にしたのか?に興味があります。
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
普通じゃない(=大多数に与しない)市民の信仰の自由は圧殺されても良いということでしょうか?
かように、Politically Correctnessが市民の権利を脇へ退けて大手を振って通ろうとする彼の国の現実に、一人の人間としてのワタシは違和感を感じます。今回の事件に限ったことではありませんが…。
# それにしてもなぜ米国では愛国者でないと肩身の狭い思いをするんだ?
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
おちついて読んでいただけるといいのですが、そんなことは申し上げていません。むしろ、小数の意見が通ったからこそ、今回の判決があったのだと理解していただけると思います。
しかし、多数のアメリカ人にとって、この判決がどうして違和感を覚えるものであるのかを、上では説明したつもりです。
> # それにしてもなぜ米国では愛国者でないと肩身の狭い思いをするんだ?
それはあるかもしれませんね。きたる 7/4 の独立記念日などは特に。
とはいえ、アメリカでは自分の国を大事にすることに後ろ指をさす人は少ないけど、日本ではやたらと非難する人が多いのはなんででしょう? ふむ。熟考に値する。
Re:アメリカ人としては (スコア:2, 興味深い)
熟考に値する。
本当に国を大事にすることについては声高に表明する必要はないと考えます。
少なくとも日本では「愛国者」と名乗り愛国心を振りかざす人は、何か別の意図を持っている場合が多いようです。
日本は過去それで痛い目にあっていますのでそういう人に対して敏感なのでしょう。
<フレームのもと>
#愛国心の名のもとに他の国へ出かけて乱暴狼藉をはたらくような国であってはならないという自戒もあるのでしょう。
</フレームのもと>
愛国心とはその人の国に対する思い入れみたいなものを含むでしょうから、国旗だ国歌だ神だなどと枠にはめようとするのはどうかと思うんですがいかがなものでしょう?
自分の国を愛する人が多いかどうかなんて先日のW杯の騒ぎを見ても明らかではないでしょうか。
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
どうもUSの人って、USの中で何か目立つことをやることでそのまま名声を得ていませんか? これは、海外で目立つことが名声になる日本から見ると変わった価値観に見えます(でなければ日本で野茂や中田があれほど話題になることはない)。
USの人が「USで一番になれば世界で一番」と考え、片や日本人が「海外で一番にならなければ日本で一番になっても意味がない」と考えるならば、自分の国に対する態度はおのずと変わってくるでしょう。
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
日本で自らを「愛国者」と唱えた人たちへの印象は、
「アメリカ合衆国の正義」の名の下にテロを行っている
アメリカ合衆国に対する印象と類するものがあると思います。
アメリカ合衆国は、国際司法裁判所からテロ国家と
認定されている(比喩的表現)のは認識されていますよね?
#以下、合衆国とはU.S.A。メキシコじゃないです
その根源が、
1.自国(のみ)を愛するから。
2.自分の愛する者(のみ)を愛するから。
3.そんな自分たち=合衆国国民(のみ)が正しい。
ことにあるように思えてならないです。
3.が日本での「愛国者」と唱えた人々に相当すると思います。
別の視点では、「愛している」からと言ってそれが「正しい」
とは限らないのではないか、ということ。
とりあえず、正しいことが何かは置いておくとして。
多数の人種が居るのに、合衆国としては自分たちのやり方は
すべて正しいという考えで動いているように思える
のはなぜでしょう?
なんか、かなりギリギリなこと書いてるかも。
自分が消されたら、アメリカ合衆国のせいにしよう。
50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
歴史を遡ってみると、いわゆる絶対王制のころ、王の権力は「神から授かった」なんていわれていましたよね。ところが、ここではどの神か、どの宗教の神かなどについての言及が全くありません。となると、Godは宗教的ではない何か別の点で超越した存在と考えた方が自然です。
ではGodはどんな意味なのか? 英語の「Oh, God!」という表現(何かをいわれた時などに反応として出る)を考えると、Godは話し手の中に内在するものを指しているようです。なおかつこれは驚きの表現ですから、Godは「話し手が持っている思考の拠り所」であると考えるのが自然でしょう。
こう書いてしまうと全く味気ない訳ですが、もしかしたら日本語では(大和魂などの)「魂」というのがぴったり来る訳かも知れません。なおかつ、この訳なら事件の全体像もある程度理解することができます(ie これならどこの国で同じ事件が起こったっておかしくない)。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
絶対王制が何か特定の宗教を指定してましたっけ? また、ある絶対王制が特定の宗教を仮定していたのならば、客観的な歴史として論じる時にすら宗教の名前が一切出てこないというのは変ですよ。
今それを確かめたければ、「Oh, God!」と口走った人に、そのGodがどの宗教のものか聞いてみるがよいでしょう。まず答えられません。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
当時の宗教がどうだったかなんていうのは問題ではありません。ここでの問題は、絶対王制がとっくの昔に潰れてしまった現在に至るまで、絶対王制当時と全く同じ用法でGodを使っていることです。それゆえ、何か宗教から離れた意味をGodが持っていなければ説明がつかないのです。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
だって他のものなんか意識にありませんから。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
> それゆえ、何か宗教から離れた意味をGodが持っていなければ説明がつかないのです。
なんで?
キリスト教文化圏の人にとっては「God」というとヤハウェ以外を指さないから、としか考えられないけど。
> Godは「話し手が持っている思考の拠り所」であると考えるのが自然でしょう。
というのは正解だと思うけど、「話し手が持っている思考の拠り所」が宗教から離れている、というのは必ずしも真ではないよ。
ある人がある宗教を信じている場合、その人の思考の拠り所がその宗教(もしくはその宗教での「神」)であることはむしろ自然だと思うけど。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
少なくとも、ボシュエはキリスト教をはっきりと念頭に置いていました。
# 坊さんですし。
彼の崇拝者である諸国王も同じだったと推測します。
-----
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Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
いいたいことがよく分かりません。
ある言葉やそれが表す概念が、数百年もの間その本質を変えずに保ち続けてきたこと、そしてそれを踏まえないと今回の事件を理解することができないというのがわたしの主張です。このような例は日本語ではまず見当たらないので、理解に苦しむのかも知れません。日本語についていえば現代の文法の確立は江戸中期、単語の意味に至ってはそれ以来だけでも明治やWW2後など数度の大改革を経ています。そういう立場から見るとGodの用法は非常におもしろいものなんです、マル。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
ガキのころ(っていっても17歳だけど)日本を飛び出していた時、東南アジア出身の知り合いもよくGodをnativeとほぼ同じ用法で使っていました。彼は別に基教文化の人ではなかったので、この主張は理解できません。
また、単に思考の拠り所に止めたのは、そうでないと無信教の人はいったい何を拠り所とすればよいか分からなくなってしまうためです。現実には仕事を拠り所とする人、趣味を拠り所とする人などいろいろあります。それらを含めて一般的に説明するためには、単に拠り所とする必要があります。
Re:50年どころか数世紀に渡るGod (スコア:1)
それは単に「英語では、こういうときにこう言う」と思っていたからでは?
でも、よく考えたら「Oh God!」などは単なる慣用句として使われてるような気がするな。
この場合、言葉の成り立ちとは離れて、「思考の拠り所」なんてのはどっかいってるんじゃないかと思われ。
この言葉が成り立ったときは「思考の拠り所=神」だったんだと思うけど、
現代では慣用句なだけで、使うときに「思考の拠り所」を意識してる人は少ないのでは?
#意識してる人がいるとすれば、それは「神」を意識してると思う。
> また、単に思考の拠り所に止めたのは、そうでないと無信教の人はいったい何を拠り所とすればよいか分からなくなってしまうためです。
だから「必ずしも真ではない」と書いたのだが。
#私は無神論者なんで。
慣用句 (スコア:1)
「耳にタコが」って言われたら「どれ、そのタコ見せてみぃ」と答えたり、「ほっぺが落ちるぐらい」って言われたら・・・
以下略。 (^-^;
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
国→「国を相手どって訴訟」の国→為政者→政治家、なんて連想が働くとか。
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
愛国心を共用している姿が見苦しく映るだけかと。
んなもんは、自分が持っていればいいのであって、他人に共用するものでもなかんべさ。
# 愛国心どころか愛郷心一杯の人(笑
地方紙が地方を愛さないものでしょうか (スコア:1)
です。
自分で持つ、といっても、人の好みなんてものは自分一人の内側から生まれてくるものではありませんよ。郷土を愛する人たちの中にいないと、なかなか郷土を愛するようにはなれません。親戚がみんな故郷を罵っていたらどう思いますか。
Re:地方紙が地方を愛さないものでしょうか (スコア:1)
大いに共感。愛国という言葉が手アカにまみれてますからね。
大馬力でブレーキ赤熱させてないと自動車好きと呼べませんか、みたいな。
大疑問 (スコア:1)
#ワシだけ? (^_^;
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
×共用
○強要
失礼
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
日本人の中の愛国者、と言う意味でしょうか?
うーん…やはり先の大戦で、行きすぎた愛国心を利用されて痛い目を
見た記憶がまだ残っているから、愛国、愛国と叫ぶ人達を警戒
してしまうのかもしれません。
愛国心は悪党の最後の拠り所、と言う言葉もありますね。
#今日もコーディングえっほっほ。
Re:アメリカ人としては (スコア:1, すばらしい洞察)
自称「愛国者」は、自分の意に沿わない者をすべて敵として扱うから。
赤十字の病院や、結婚式の場をを誤爆したのもきっと愛国者なんだろうな。
Re:アメリカ人としては (スコア:1, すばらしい洞察)
> #それにしてもなぜ日本では愛国者は目の敵にされるんだ?
この枝の伸び具合を見るに確かに仰る通りですね。^_^;
やはり戦後教育の影響が大きいと思います。
そしてその始まりはアメリカの政策だったのですが…。
# 50年も経てば他人のせいにはできませんが。
『神のもとに』の捉え方ですが、政教分離の原則に反しているかといえば
一概にそうとも言えないと思います。正教の『教』とは教義であって信仰自体を指すものではない。
教義の違いは対立を生むけれども、信仰する精神は政(まつりごと)の基本です。
政治に祭り(祖先や倫理観との語らい)がなければそれは乱れる。
祭政は不可分であって、今の日本はまさに祭政不一致の乱れた状態だと思います。
日本がアメリカを見習うべきは、(形だけにせよ)政治から祭りの精神が失われていない点だと思います。
正教分離と祭政一致は両立するものです。
もちろん『神のもとに』の神をキリスト(あるいはキリスト教の神)だと明言してしまえば、
そこに対立が出てくるのは明白です。しかしunder Godが特定宗教に限定されない神
あるいは良心としての意味を50年の間に得てきたのであれば、
それを政教分離に対して不当だとする主張は一面的過ぎると思います。
(もちろん主張する自由はありますし、現にそれが行使されたわけですが)
今回の圧倒的市民の反対によって裁判所が留保したという経緯はとても妥当な気がします。
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
>をするという信条を思い出させてくれる、なかなか良い文章なのです。
抗議者だったはずの存在が、やがて抗議される対象になってしまう、ということはよく有ります。
(昔から)良い題目を掲げているからといって、常に変わらずプロテストするだけの立場
(プロテストされない立場)でありつづける保証は、無いです。
キリスト教も、当初は既存宗教(ユダヤの律法主義とかだっけ?)へプロテストする立場だったはずが、
1500年ほど(だっけ)経ったら、更に新しい人々からプロテストされる羽目になっちゃったわけで。
ま、そんなもんだと思いますよ。
主体が時とともに変質することも有るし、(公害環境問題みたいに)主体の行為は不変だけど周囲による解釈のほうが
変化していくこともありますし。
条文の類は、それ自体はいじらなければ変化しないものだから、後者ですね。
その条文の欠陥が今指摘されるに至った、という感じでしょうか。
>50年もとなえていると、意味はともかく、みんな慣れ親しんでいるので、
>アメリカの小学校でこれを一日のはじめに全員で唱えると、気分がひきしまった覚えがあります。
高校の頃の知り合いで(日本の現状(?)の)国旗国家肯定派の人が、まさにそういう発言をしていました(^^;。
俺はどっちかってーと否定派でして、そういう発言を聞いても(というか聞けば聞くほど)、
それのどこが国旗国家を肯定する理由に成り得るんだ?としか思えませんでしたね。
嗜好の問題なのですから。
>アメリカの学校には、校歌だと
>か校旗といったものがあまりありませんので、それも考慮にいれてくださいね。
酒、もとい歌&旗なんぞ無くても、人間は盛り上がれます(^^; #と俺は信じてる。
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
わたしの場合、一番感受性の強い時期に田中芳樹の小説を読んだから。周りにも同類が何名か :-)
実は忠誠も誓いもジョークになる? (スコア:1)
ふと疑問に思ったんですが、忠誠とか誓いやらなんていってても、実は口に出しているだけでいざとなればジョークネタにすらしてしまうほど実は軽いものなんではないでしょうか?
あ、ついさっき、昔見たFull HouseでJessyが学校のポールに校長のカツラをかけて、朝礼でカツラに忠誠を誓ったってのを思い出したんで(笑)。
ピースメーカー (スコア:1)
> 「拳銃突きつけて正義を作るのか!?」
> とか思ってしまいますが。
「ピースメーカー」という名前のICBMがあらあね。
「核ミサイルで相手を滅ぼし、平和を作る」という意味かな。
自分には理解できない考えかただが・・
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
>と本気で考えていたのだろうか。
そもそも勝とうなんぞ思ってなかったらしいそうで
有利な条件で講和条約だか降伏だかしようとしていて
戦争の初期にそれなりの戦果をあげればあちらさんも
早い段階でこっちの話聞いてくれるんじゃと期待して
たんだそうですが上手くいかず...結局あんな事に..
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
いや、ノーパンしゃぶしゃぶあたりから偉いぞ感が薄れたことを当人たちも自覚しているらしい点で、戦前よりはマシと思われ。
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
いや、多くの国がそうなんじゃないかな。
よく考えれば、国じゃなくて、会社でもいっぱいあるじゃん(笑
「組織」が出来るとそうなるのか、人間ってそういうものなのか・・・。
Re:愛国NG(-1)+天皇OK(+1)=Nihonjin (スコア:1)
# 数学は科学の女王にして奴隷
Re:愛国NG(-1)+天皇OK(+1)=Nihonjin (スコア:1)
Re:愛国NG(-1)+天皇OK(+1)=Nihonjin (スコア:1)
Re:愛国NG(-1)+天皇OK(+1)=Nihonjin (スコア:1)
Re:「愛国者による人命の収支決算」って誰かだしてな (スコア:1)
#僕は殴りあうのが嫌いなんだ、だから喧嘩することはありえないよ!って言ったって、人から売られることはあります(w
#身包み剥がれるだけで許してもらえるといいですね・・・。