工学部の学生は人文科系の科目を学ぶべき 176
ストーリー by hylom
人文科目って社会に出ると学べる機会がなかなかないのよね 部門より
人文科目って社会に出ると学べる機会がなかなかないのよね 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、
工学部の学生が人文科系の科目を学ぶことの重要性を説いた内容のScientific Americanのブログエントリが本家/.で話題となっている。
Stevens Institute of Technologyで教鞭をとるJohn Horgan氏は哲学や歴史、文学や心理学、政治科学といった科目を学ぶことの重要性を説く。科学や数学、工学系の授業では事実、答え、知識、真実といった確固としたものを扱うのに対し、人文科系の科目には確固とした答えは無く、政治的、宗教的、また科学的であろうと権威に対し疑いの目を向けさせる。
「真実とは何か?」「真実であるということはどいういうことか?」「自分にとって、もしくは社会にとっての善悪をどう決定するのか?」「人生の意味とは?」「人生の目的は幸せか?」「では幸せとは一体なにか?」「幸せとはそのものが目的なのか、それとも何か別の重要な目的の副産物なのだろうか?」など、答えよりも質問そのものが人文科系の中心とも言え、氏の講義では学生にこのような命題に取り組ませているという。
科学も大事だが、人文科系の科目が教えてくれる「我々の心には判断を惑わされる隙間がある」ことも同じ位重要であると氏は強調する。科学の力が強く、科学が一種の宗教にすら上り詰めてしまった現代だからこそ「確固たる答えを求める」ことに縛られない人文科系の科目が意味を持つのだと。
人文学の人間も(人間こそ)工学系を学んだら? (スコア:5, すばらしい洞察)
Horgan氏の言っている文言で、人文系と理工系に入れ替えても、同様のロジックが通用すると思うんだけど、、、、
他の方も書いているが、権威であろうと無かろうと疑うのが科学の基本姿勢の一つ
また、生命とか宇宙とか人間とは? という哲学的な問いに対して、それ相応の科学的知識に成り立って考えるのは、非常に意味があると思うけどなぁ。
例えば、人間と猿とはDNAレベルでさほど差が無い とかね
全ての知的体系の根幹をなす哲学をやる人ほど、科学的知識も必須だと思うけど、なぜか嫌がるよね
ソーカルが相手にしていた方々も、数学的知識が無いのに、数式を駆使した哲学を展開していたし、、、
タレコミ文を読む限りでは、工学・科学を理解していない人間の戯れ言にしか聞こえない
Re:人文学の人間も(人間こそ)工学系を学んだら? (スコア:3, おもしろおかしい)
>同様のロジックが通用すると思うんだけど、、、、
せっかくなので、やってみた
Yan Honyarara氏は数学や物理学、化学や生物学、建築工学といった科目を学ぶことの重要性を説く。哲学や歴史、文学系の授業では事実、答え、知識、真実といった確固としないものを扱うのに対し、[*] 理工系の科目には確固とした答えがあるが[**]、政治的、宗教的、また科学的であろうと権威に対し疑いの目を向けさせる。
「真実とは何か?」「真実であるということはどいういうことか?」「自分にとって、もしくは社会にとっての善悪をどう決定するのか?」「人生の意味とは?」「人生の目的は幸せか?」「では幸せとは一体なにか?」「幸せとはそのものが目的なのか、それとも何か別の重要な目的の副産物なのだろうか?」など、基本的な疑問そのものが基礎科学の中心とも言え、その中でより真実に近いと思われる事象を選別している。氏の講義では学生にこのような命題に取り組ませているという。
人文学も大事だが、科学系の科目が教えてくれる「我々の心には判断を惑わされる隙間がある」ことも同じ位重要であると氏は強調する。人文学の力が強く、人文学が一種の宗教にすら上り詰めてしまった[***]現代だからこそ「確固たる答えを求める」科学系の科目が意味を持つのだと。
入れ替えてみて気付いたこと
[*] 真実や知識を求めないのは、学問としてどうなのよ?
[**] 先端科学は確固とした答えが無いことも多いけど、、、
[***] オリジナルでは、科学が宗教にとなっているけど、宗教は人文科目って言っていたよね。だから人文学を勉強しろってこと? 微妙に意味不明な気がするなぁ
Re:人文学の人間も(人間こそ)工学系を学んだら? (スコア:1)
多くの人文系の人から見れば、数学は特殊な技能という感じなので(私の周りだけかもしれませんけど)
工学系の人が人文系の講義に参加するよりいくらかハードルは高いと思います
もちろん数学や、工学の知識はあったほうが良いと思います。研究上必要になることもあるでしょうし
#何度か工学系の講義は覗きに行きましたが、興味本意な私はついていけませんでした
#デルタやイプシロンと言われても、知らなければ辞書を引けば大体わかるという物でもないですし
#実存や様相もそうなのかもしれませんが
Re:人文学の人間も(人間こそ)工学系を学んだら? (スコア:2)
結論:理系女子を嫁にもらえ
Re:人文学の人間も(人間こそ)工学系を学んだら? (スコア:1)
自然科学が疑うのは科学だけ。
それ以外を疑うのは人文。
the.ACount
文系学部の学生にこそ理科系の学問を (スコア:3)
理系学科に文科系の学問を,というのも必要でしょうが,それ以上に文系学部にも理系の学問の必要性を強く感じます。
その理由として,一部の文系学部,文系学科において非科学的な内容(端的に言えばニセ科学,トンデモ科学)を教える授業が存在し,それが多くの学生に聴講されているという現実があります。
これはその一例ですが,東洋大学経営学部 石井薫教授の授業内容だそうです。こんなのを10年以上,年間数百人ずつ教えているとは,ちょっと信じられません。
ましてや,それを「素晴らしい授業でした」と言っちゃう学生が多いというのも困りものです。
http://togetter.com/li/456234 [togetter.com]
理系側から哲学を知ることも重要でしょうが,その場合は「哲学者の中には非科学,ニセ科学,トンデモ科学を信じている者がいる」という事実を知ることにもなりますね。
逆に文系側から科学を知ることによって,安易にそういった授業に騙されなくなる,という利点がありますので,やはり文系学科に科学的な授業(科学リテラシーに関するものなど)は必要ではないかと思います。
Re:文系学部の学生にこそ理科系の学問を (スコア:1)
ヒトの脳は科学とは相容れない。
なぜならヒトの脳の情報処理は論理ではなくアナログでありカオスでありファジイだからだ。論理的思考は本来不向きなのだ。
「理系型人間」とは、生まれつき論理的思考の才能を持っているか、あるいは苦痛を伴う努力でそれを獲得した人々であり、それを他人に押し付けることは傲慢以外の何物でもない。
Re:文系学部の学生にこそ理科系の学問を (スコア:1)
科学と相容れない脳で生存競争に残れるはずがない。
そんなのは文明で保護された後に発生したゴミにすぎん。
the.ACount
Re:文系学部の学生にこそ理科系の学問を (スコア:2)
人類の遺伝子はすでにミームに移管したのだからそもそも生存競争する必要がない。
人類の大半をゴミと呼んだ時点ですでに傲慢であると知れ。
疑え (スコア:2)
権威であろうがとりあえず疑ってかかるのが科学的な立場。疑いようのないぐらいの裏付けがあった場合だけは納得する。
政治もそもそも信じるべきものじゃないし、宗教は言わずもがな。なんか、この部分は色々ずれてる気がする。
そうは言っても出来てない理系人間多いよね、という話なら分からんでもない。
Re:疑え (スコア:1)
権威であろうがとりあえず疑ってかかるのが科学的な立場。
ならば、科学その物も疑うべきだよね。
そう言う議論は昔からある。
Re:疑え (スコア:1)
疑ったうえで代替がなさそうだから、
科学というのは使い続けられているんだと思いますが。
それは他の信仰とどう違うのかね?
そう言う議論は昔からある。
Re:疑え (スコア:1)
「なんでも鵜呑みにするな」くらいで良いんじゃないの?
従来の常識ではどうしても理解できない謎の現象に直面したとき、常識の殻を破って新たな発見をするのは大抵科学者だし。
もう理系や人文系以前の話で、人としてそのくらいの柔軟性はもっとけよ、、という気がしてならない。
人文系というか科学に弱い人に突っ込みたくなるときは、大抵「訳も判らず鵜呑みにする」シーンだったりする。
放射線を必要以上に恐れたり、マイナスイオンやナノイー、プラズマクラスターを有りがたがったり、、。
Re:疑え (スコア:1)
そうです。「理系の人間」が目指すべきところだけど、多くの「理系の人間」がその域には達していおらず、そのとおりに行動出来ていないのもその通りです。
ただ、「理系の人間」が学ぶ科目ではその理想を効率的には目指せない、と言う批判に見えて、引っかかりを覚えました。
>となると、他分野、市井の人間としてはある種の権威を信頼するのは合理的で妥当なのではないでしょうか?
もちろんそうです。その際、他の分野のどのコミュニティや権威が信用に足るかの見極めが必要となりますが、 「理系の人間」はそこそこ上手くやってると思うのですが、その認識のずれでしょうか?
多くの分野で、しっかりした実績の上に立った「正しい権威」が居る一方、ただの声の大きな人も居たりするので、 自分の分野を極めていく過程で、そういう目端は効くようになっていくもんだと思っています。 余所の分野の権威の支持構造を見たときに、自分の分野の雰囲気から類推して、何となく怪しいのか信頼出来るのかを見極めたりできますし。
それが「理系の人間」は特に下手で、人文科学系の科目の勉強でその下手さいくらかマシになるというのは、それだけではちょっと納得出来かねます。
逆に、他の分野の人や市井の人から正しい権威と見られるための効率的な方法を学びやがれ、と言う事なら、確かに返す言葉はありません。 そこは完全な手抜かりと言わざるをえません。
逆もしかり (スコア:2, 興味深い)
人文科の人も工学系を学ぶべきだともうよ。
とくに誤差の扱い方とか新発見がどの程度のまれさなのかが分かって欲しいところ。
物事の全体像をつかむには必ず必要だと思う。これが歪むとどうしようもなくおかしな世界に突入する。
John Horgan氏って、「科学の終焉」の著者じゃないか。 (スコア:2, 参考になる)
元記事を書いたJohn Horgan氏って、「科学の終焉」の著者じゃないか。
著者の主張がどうこうというより、多くの著名な科学者に対して
「科学の終焉」をテーマに対話したすごく面白い本ですよ。
ともかく対話した相手が豪華だし、状況描写が細かくて臨場感がある。
読んでない人はぜひ読むべき。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%8... [wikipedia.org]
思考のノイズ、あるいはファクターを広く拾うか否か (スコア:2)
アメリカでは人文科学(社会科学含めて)の擁護論があるようだけど、財政状況の関係かと。日本ではどうもピンと来ない(多分、全般に厳しいから)。そういう文脈から離れて(どうせよく知らないけど)、タレこみの文脈だけで言うと、まず(1)思考のノイズの問題が浮かぶ。
日記: 二つの知的態度 [srad.jp]
厳密には理系も文系もないけど、A.問題の関連要素を明確にし、とりあえず関係ないものを思考から排除する。要素が単純化されているので、答えが出る出ないに関わらず、思考の過程がすっきりする。湯川先生タイプ。B.思考や調査の過程でノイズをあまり排除しない。脱線上等なので、物事の本質追求には役立つが、当面の答えを得るのには必ずしも向かない。遠回りして近づくともいえるが、いつ近づくかは誰にも分からない。文系でもAの事もあるだろうし、理系でもBの事もあるだろう。
もう一つは、もっと高次元に(2)歴史あるいは、歴史の文脈。歴史というと狭くとらえがちだけど、物理でもなんでも「学史」がある。歴史の流れがあって、しかも多くの流れが入り乱れている。流れには一つの学問どころか、社会や政治や芸術(あるいは軍事さえも)のすべてが多分関係してくる。
人文科学の重要性は自明なように思われるけれど、それは文系理系に関わらず重要なはず。思考から自分が選択した要素以外を排除しちゃう人文科学や社会科学系の人もざらにいるだろうし。
人文学系の学生は理学・工学系の科目を学ぶべき (スコア:1)
文系・理系のストレオタイプですが、文系の人間は理系の学問は唯一無二の答えが存在すると誤解している。
大学で学ぶのは論理的思考方法や研究手法であり、より多くの知識を学ぶ場ではない(はずと期待したい)。
また文系は論理的思考が出来ていない、事実と自分の思い込みの分別が出来ていない、
疑似科学に騙されやすい傾向にあるので、ぜひ論理的に考えることを学んでほしい。
でも日本の大学じゃ理系の学科とってもダメでしょうね。
Re:人文学系の学生は理学・工学系の科目を学ぶべき (スコア:1)
>文系の人間は理系の学問は唯一無二の答えが存在すると誤解している。
これに激しく同意。
>>科学や数学、工学系の授業では事実、答え、知識、真実といった確固としたものを扱うのに対し、
>>人文科系の科目には確固とした答えは無く、政治的、宗教的、また科学的であろうと権威に対し疑いの目を向けさせる。
まさにタレコミのこの部分がその偏見に基づいた意見そのもの。
その後を読む価値がないと思わせるに十分だった。
Re:人文学系の学生は理学・工学系の科目を学ぶべき (スコア:1)
> そんなあなたにアンゲラ・メルケル(物理学)、マーガレット・サッチャー(化学)。
加えて中国の場合も、指導者の多くは理系だと聞きます。
善悪はともかくとして、はたから見ても結構合理的な感じがします。
とすると、日本の理系人材に問題があるということなのでしょうか?
Re:人文学系の学生は理学・工学系の科目を学ぶべき (スコア:3, 興味深い)
> 日本の理系人材に問題があるということなのでしょうか?
理系の人材自体の問題というより、理系の人材の就職後の処遇に問題があるのではないかと思います。
典型的文系エリートで、40代で京都府知事になり、もう10年以上も知事をしている山田啓二氏の場合、30前に県の課長になっています。山田氏が特別優秀だったから大抜擢されたわけではなく、旧自治省に上級職で入った文系の人は全員、若いうちこういう人事を経験するのです。若いうちから部下を持ち、上司としての経験を積み、リーダーの資質を身に着けるのです。
でも理系で就職して30前に課長を経験する職場は役所にも民間にもないのではないでしょうか。
鳩山総理は自分で普天間の移設先を探そうとしたり、菅総理は自分で福島原発の視察に行ったり、二人とも問題を自分の個人の力で何とかしようという考えで行動していたように見えました。組織のトップを務めた経験が少ないので、リーダーに必要な、組織の力で問題を解決するという発想、能力や組織の統率力が十分でなかったのではないかと思います。
要するに問題は生まれ(文系・理系)より育ち(職歴)にあると思うのです。あと理系でもゼネコンの現場系の人は職務内容(組織を統率する経験)から見て政治家向きと思います。
Re:人文学系の学生は理学・工学系の科目を学ぶべき (スコア:2)
> 菅総理は自分で福島原発の視察に行ったり、二人とも問題を自分の個人の力で何とかしよう
まだ、こんなこと言ってるやつがいるのか。
あれは、「どうせ俺たちの報告を鵜呑みにする
ことしかできないだろう」と高をくくって
政治闘争目的でガセネタをあげてくる官僚組織の
類に対して「俺はいつでも現場まででもいって
お前らの報告の真偽を確かめるぞ」という意思を
デモンストレートしたんだ。
菅の真の問題はその前の尖閣問題で情報の隠蔽を
試みて、そんなデモンストレーションをせざるを
得ないほど政権を弱体化させ官僚になめられて
いたことだ。
Re:人文学系の学生は理学・工学系の科目を学ぶべき (スコア:2)
日本では, 理系・文系にかかわらず, 能力のある人は政治屋にはなりませんから.
Re:人文学系の学生は理学・工学系の科目を学ぶべき (スコア:2)
はい. この年になって, 他人が自分と同程度に物を考えて行動していると思っていたことが大部分において間違っていたことに気づきました.
Re:人文学系の学生は理学・工学系の科目を学ぶべき (スコア:1)
血液型よりはマシだけど、大して変わらないように見える。
歴史は重要 (スコア:1)
歴史、特に世界史は重要だと思います。
現代に至るまでに、人類が何をしてきたのかを知るのは市民として必要だと思います。
民主主義がいかに崩れやすいものなのかを知っていれば選挙の投票率も、政治家の質も上がるでしょう。
ただ、歴史が純粋な暗記科目になってしまうのは防ぐべきだと思います。
文学や哲学は、解釈を押し付けるべきじゃないとは思います。
そう解釈する人もいる、ということも知った上で自分の解釈をすべきです。
#私は文系ですけどね。
640GBはすべての人にとって未来永劫充分なメモリだ。
Re:歴史は重要 (スコア:5, すばらしい洞察)
疑似科学商法とかに引っかかる人を見てると、個々の科学知識や技術がある日突然日の目を見るようになった、みたいなイメージで生きてるんじゃないかと思う。 だから、唐突に「全く新しい技術」と称する何かが出てきても違和感を感じない。
実は、教科書に載ってるような極めて重要な発見の間にも延々と研究は続けられていて、 その多くは、ただの思いつきでぽしゃったアイデアで。そんな中で上手く行った物が積み重なって、有名な科学法則の発見へと繋がっていて、という長い長い積み重ねになってる、というのだけでも分かれば、数式なんて分からなくてもだいぶマシなんじゃないかという気がする。
暗記が苦手だからと文系から逃げた理系人間をフォローするための文系科目、 数式が苦手だからと理系から逃げた文系人間をフォローするための理系科目というのをもうちょっと考えても良いんじゃないかな。 現状、どっちも、ガチでやって物にするためのカリキュラムしか用意されてないように思う。
Re:歴史は重要 (スコア:1)
歴史、特に世界史は重要だと思います。
これには賛成するのだけれど。
民主主義がいかに崩れやすいものなのかを知っていれば選挙の投票率も、政治家の質も上がるでしょう。
それは歴史を学ばずとも、算数の範囲で理解できるよね。
そして、もう少し算数的頭を働かせれば、選挙の投票率は下がるのが当然かもしれないね。
前提条件がわからない (スコア:1)
どの大学でも「一般教養」のような形で必修させてるはずです。理系にも文系にも。
理系はそれでは足りないもっと人文科をやれという話しなのか。
それともアメリカの大学の事情なのか。
足りないという話だとして、どこまでやればいいのか。
知識が広い方がいい、そりゃあそうです。
しかしそれは、文系も理系科目を必修すべきという方向に跳ね返るけどいいですか。
みんな言ってるけど (スコア:1)
どっちもどっちだよねえ。
やりたいやつはやればいい (スコア:1)
バランスが取れた人間になりたいか、
文系にでも理系にでも偏った人間になりたいか。
自分で好きなほうを選べばいい。
私は理系に偏ってて他人の気持ちになんか
これっぽっちも興味ない、って人は好ましいと思う。
Re:やりたいやつはやればいい (スコア:1)
自覚が有ればそういうのも人間的魅力足り得るんだよね。
逆に自覚が無ければ文系理系関係無く…
Re:やりたいやつはやればいい (スコア:1)
今は多数派だろ。
他人には慈悲のかけらも持たない世の中になってきた。
the.ACount
3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
この前、大学の先生と飲む機会がありましたが、
その先生は「3,4回生こそ教養科目をとるべきだ」と
自説を述べておられました。
「1,2回生の教養科目だと、そこで終わりだから」と。
なるほどなと思いました。
理系文系問わず、勉強は一生するものだと
思う私は、同感しました。
Re:3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
>「そこで終わり」とは、そこで勉強することをやめるという意味でしょうか。
その通りです。
あとは、発言した先生本人ではないので、正確には説明できないのですが、私の理解した範囲で説明します。
先生は、「教育・学問のタコツボ化」を危惧されていました。専門化しすぎて、「隣は何をする人や」状態になってはいけない。現在の教養教育は、主に1,2回生で終わってしまっているのが、一つの原因ではないか?
逆に、3,4回生から教養教育を始めた方が、タコツボ化を防ぐ手段になるのでは?というアイデアだと思います。
もちろん、新入生から卒業まで、教養教育を受けるのが望ましいと思います。
2年ずらすことの意味は、専門教育と教養教育との相乗効果を狙った意味もあるのかなと思います。
(教養の)勉強をやめてしまう方は、どんな教育システムでもいるので、それはしかたがないと思います。
Re:3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
その人の専門的能力には影響しない。
理論物理学者の湯川秀樹の場合はあてはまらないような。
影響しないとは必ずしも言い切れないでしょう。
漢学が家業みたいな一家の生まれ育ちだから専門が2本立てといって良いくらい。
だから彼を引き合いに出すのはずるといわれればそれまでですが。
Re:3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
大学生の時は、大学生って暇だなーと思ってたが、今の大学生は違うのか?
ただ学科の範囲外の授業も聴きたいと思ってたのに何も出来なかったから、暇の問題じゃなく大学のシステムに問題があったとは思う。
the.ACount
教養教育はヨーロッパの大学の伝統だけど (スコア:1)
西洋史の初歩的な知識なんだけど、ヨーロッパの伝統的な大学教育ではリベラルアーツといって人間として身につけるべき教養を学ばせるのが伝統になってる。なので、理学部・工学部の学生でも、副専攻で文学とかとらせるのが一般的だと訊くけど。
で、最近のアメリカの実情が、日経BPに記事として出ていた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130227/244292/ [nikkeibp.co.jp]
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130305/244525/ [nikkeibp.co.jp]
ところで、アメリカでは、日本よりも科学に対する関心が一般的で、ネイチャーとかサイエンスとかが一般家庭に普通においてある、とも訊くけど、どの程度の社会階層の家庭なんでしょうね。
ニュースで聞くキリスト教原理主義が幅をきかせるイメージと、科学雑誌を読むほど科学に関心のある社会というのがしっくりこない・・。
未知なるものへの対応 (スコア:1)
「知らないものにどう対応するか」という話だと思われます。理系とか文系とか関係無く。
根拠なく肯定的に捉える人の場合は、「信仰の対象」と捉えるでしょうし、
根拠なく否定的に捉える人の場合は、「うさんくさいもの」と捉えるでしょう。
自然科学に対しては前者な人が多そうですし、社会科学・人文科学に対しては後者な人が多そうです。
前者は、血液型性格診断とか、カルト宗教にはまる人でしょうし、
後者は、疑似科学っぽい雰囲気がするものには近づかないでしょう。
科学的な態度というのは、そのどちらでもなく、知らないものに対しては「知らない」と認めることであり、それ以上の判断は下さないことでしょう。
しかしながら、それではあまりにも窮屈であり、現実的には根拠不足のまま判断を下さざるを得ないことが多々あるわけですが。
Re:未知なるものへの対応 (スコア:1)
ただ疑ってるだけじゃ長所も欠点も分からないから進展しない。
科学では真偽を判定するために、当理論を前提にして先に進むのが普通。
前提にしてるからと言って信じてる訳じゃないし、根拠不足だからと言って使わない訳じゃない。
先に進んでダメと分かったら別の理論を探すという積極的懐疑であり、それ以上の判断は下さないというような消極的態度ではない。
the.ACount
Re:違和感を覚える (スコア:1)
同感です。
立花隆さんの著作で、ほとんどの学問が、哲学から分派して、独立していったと述べられています。
科学だけでも、数学、論理学、医学、生物学、物理学、化学などがあります。数学や論理学はさておき、医学は治療、生物学、物理学、化学は、実験などを通して、独立していったのかなと思います。
Re:違和感を覚える (スコア:1)
こういうやつにならないためにも、人文科学があると思う。
Re:文系のプロパガンダ (スコア:1)
私はガチガチ理系の計算機工学畑の人間ですけど,元コメのような不幸な人を減らすためにもまともな文系教育をするべきではないかと思ってます.
例えば「確証バイアス」って御存知ですか?
血液型と性格に関係があるような気がしちゃう原因の一つで,認知心理学とかの教科書には必ず載ってます.
元コメの人って,文系は理系に劣ってるはずという強い確証を持ってますよね.
その確証は世界への見方を確実に歪めてて,元コメの人の脳は文系のネガティブな側面を過剰に学習する状態になっている可能性が高い.
でも,認知心理学についての知識がなければ,自分がそういった状態になっていることをなかなか気付けません.
大学の教育ってのは,知識の詰め込みなんかより,論理的にものを考えたり判断したりできる能力を育成することの方が重要でしょう.
そのために実践的な心理学や哲学を学ぶことは有益だとおもいます.
Re:文系のプロパガンダ (スコア:1)
論理的であるのは当然でして、扱っている対象が違うだけで、自然科学系の分野とそれほど大きく異なるわけでもないです。
文系の学問の中にも、そう言う分野・研究スタイルもあるよ、ってだけじゃないですか?
文系の学問がすべて「自然科学系の分野とそれほど大きく異なるわけでもない」とは言えないでしょう。
文系の学問が大半が「自然科学系の分野とそれほど大きく異なるわけでもない」と言えるかどうかも微妙じゃないかな。
Re:文系のプロパガンダ (スコア:1)
いくら文系でも四則演算はできるし
よかった
「割り算ができない大学生 [google.co.jp]」は幻想だったんだ!
Re:オウム幹部に理系が多かったってことを見たら (スコア:1)
むしろ、人間は、科学的思考だけで生きていけるわけではない、ということを読み取るべきじゃないかな。
Re:オウム幹部に理系が多かったってことを見たら (スコア:2)
さらに言えば, ニセ科学を暴くために必要な能力は科学よりも奇術とかの方が重要だったり.
Re:逆の方が遥かにマズイような・・・ (スコア:1)
科学を信じるものなんて科学を知らん人の典型だな。
the.ACount
Re:逆の方が遥かにマズイような・・・ (スコア:1)
どうだろう?絶対神とか言っている宗教は論理は無いんじゃないかな。
公理系を定めるのと同じ。
ある公理系を固定したとしても、その中の議論が非論理的になるってわけじゃない。
従って、神学が非論理的であるとは言えない。
Re:そんなことより (スコア:1)
数学ができないのは、文系というより、非理系。
英語ができないのは、理系というより、非文系。
非文系で大学に入ると、結局英語をやるはめになって涙目。
でも、非理系は一生数学をやらなくても何とかなる場合も。