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42109 story

悲しみに対する反応として、人は「幽霊」を見るのか? 84

ストーリー by GetSet
capra 曰く

大切な人と死別したときに故人の姿を見たり声を聞いたりするというのは、大きな悲しみや喪失に対する通常の反応であるそうだ(本家記事より)。

幻覚は、喪失に対する最も頻繁に起こる反応のひとつであるにも関わらず、今まで調査研究が行われてこなかった分野であった。特に故人を見たり聞いたりするという体験は、多くの場合「幽霊」といった文化的な括りで捉えられることが多いが、実際は故人の居ない世界をきちんと認識できず、今まで慣れ親しんできた「故人のいる世界」に無意識に現実を歪めてしまっている結果だという。
イエデボリ大学のAgneta Grimby博士の研究では、伴侶と死別した高齢者の8割が、伴侶に関連した何らかの幻覚や錯覚を死亡後1ヶ月の間に経験しているとのこと。亡くした伴侶を家の中で見たり聞いたり、さらにはある程度の時間会話することさえ珍しいことではなく、大きな喪失と悲しみに対する通常の反応だそうだ。このような幻覚は伴侶だけでなく、ペットを亡くした時などにも現れるという。

タレコミ人はこのような体験をしたことはありませんが、/.Jの皆様にはこのような「幻覚」や「幻聴」などを体験された方はいらっしゃるでしょうか?
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  • 脳内では物体の抽象化とパターン認識で物体や顔を判断しているそうですが
    疲れたり脳が低血糖になると認識力が落ちて風景に人面を見たり幽霊を見るそうです。

    大切な人と死別したときには食事もままならないので脳の認識力が落ちているんじゃないでしょうか。

    ある実験で肝試し前に糖分&水分補給グループと無糖グループで比べると
    無糖グループのほうが怖がったそうです。厳密な実験では無いのですが興味有る結果です。
    • これはいいことを聞きました。
      職場恒例の「宿直という名の元に行われる日替わり宴会」で試してみたいと思います。
      いや、すぐそばに墓地があったりお寺があったりと、ネタには事欠かない場所なんで。

      個人的には「ひとは自分が見たいものを見る」という属性の現れではないかと考えて
      います。恐怖心がゲシュタルト崩壊を介してパーツを再構成した結果、幽霊を生成す
      るというような感じで。

      文字のゲシュタルト崩壊は下記ページを参照。
      http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%82%E3%81%82%E3%81%82%E3%81%82%E3%81%82%E3%81%82%E3%81%82%E3%81%82%E3%81%82!
      親コメント
    • 別に低血糖でなくても、その気になれば風景に人面くらい簡単に見れるぞ。
      かたっぱしから写真に人面を見つけてやったらイヤがられた。
      --
      the.ACount
      親コメント
  • 確かに普通のことです。 (スコア:2, おもしろおかしい)

    by Chiether (20555) <spamhere@chiether.net> on 2008年12月06日 11時20分 (#1468605) 日記
    本来は、ちゃんと認識できることで。
    ブルーバックなどで失ってしまった数時間におよぶ作業内容を、
    時には、例えばその作業がコーディングであれば思い出して、なんとなく書けるはずです。
    これが認識できない方々は、口ぐちに、「妖精さんor小人さん」の存在を主張します。

    # ちゃんと動くけどコードが読めなくて修正できないのが妖精さん。
    # メモリ解放忘れてるとか。どこか抜けてるけどコードが読みやすくて修正できるのが小人さん。
    --
    ==========================================
    投稿処理前プレビュー確認後書込処理検証処理前反映可否確認処理後……
  • そういう事はありますね。
    「喪の儀式」を過ぎても認識が改まることはないわけで。
    悲しみの感情は時間が癒やしてくれるのでもう10年以上前の祖父祖母の幻覚、幻聴はなくなりました。
    そういう時間の概念を表したのが「四十九日」とか「一周忌」とかの儀式なんだと思います。
    キリスト教圏やイスラム教圏、或いは自然信仰や土着信仰がどうかは知識がないのでよくわかりませんが。

    でも、「妖怪」とか「怪異」とかはどう説明すればいいのだろう?
    結構僕自身体験しているのでこの辺が興味あるところです。
    #オカルト主義ではありませんが、そういう話には飛びつきやすいので。
    --
    書痴の森へようこそ。
    • 妖怪や怪異は、モノによりますが、「世界を測る物差し」による違いと見ることは可能だと思います。

      私たちは「近代科学に基づいた世界を測る物差し」で世界を捉える訓練を幼児教育時代から受け続けます。しまいには「世界を捉えるときには、私たちは『近代科学に基づいた世界を測る物差し』を使っている」ということさえ(当たり前になりすぎて)意識しなくなってしまうことすらあります。

      けれど、なぜ私たちは世界を「このように」捉えているのかという疑問を持つ機会がもし訪れたなら、そういうふうに捉える物差しを私たちは使っているからだ、という答えを得るまでに、そう時間は必要としません。

      そのもう一歩先、「世界を測る物差し」は一つではない、その一つに過ぎない私たちの「世界を測る物差し」が正しいとは、私たちは判断することが出来ない(「物差し」の正しさを測るには、私たちは別の物差しを用いるしかない、物差し無しで測ることは出来ない。そもそも「物差し無しで測る」ということを、私たちは理解できない)、というところまで言及する人は、あまりいませんが。みんな分かっているけれど、見ないふりをしているだけなのでしょうがね。

      目に映って「こうだ」と判断したことには、判断した物差しが正しいかどうか知れない以上、みな根拠がない。そしてそれと同時に、根拠がないと結論することもまた、ある物差しで測った結果・一つの目に映った判断に過ぎない。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。

      閑話休題。その「世界を測る物差し」は、気づきさえすれば、それぞれ「違う」複数のものを同時に使うことも可能だったりします。

      「世界を測る物差し」にはそれぞれ測れるものに得手不得手があります。そして、どの「物差し」が一番かを決めることは、「物差し」を使わない限りは出来ません。ならば、一度に複数の「物差し」で世界を測り、出てきた結果のうちもっとも適切に思えるものを選択する、そういう処理体系を採用するのは決して拙い判断ではないでしょう。

      多分、私たちの処理体系の本来の姿は、そういう形になっているのだと思います。

      その出力は、大抵の場合は、幼児教育時代からの訓練の賜物で「近代科学に基づいた世界を測る物差し」で測った“色”と大差ないように調整されます。ですが、希にというか、しばしばというか、それではない物差しで測った“色”が出力として選択されることがあります。それが恐らくは、妖怪や怪異と呼ばれるものとなるのでしょう。「妖怪で世界を測る物差し」の出力は妖怪として、「怪異で世界を測る物差し」の出力は怪異として。「神の御業で世界を測る物差し」の出力なら、世界は神の御業で満ちたものとなるでしょうし、「悪魔の所業で世界を測る物差し」の出力なら、世界はそのようになるでしょう。

      そして、それぞれの正誤は、私たちには物差し無しでは判断することが出来ません。

      それでは困ることも多いので、そういう場合には「近代科学に基づいた世界を測る物差し」を使うべしと幼児教育時代から訓練されるわけです。時代や場所によっては「神の御業で測れ」と訓練されることもあったでしょうし、「妖怪で測れ」と訓練されることもあったでしょうね。

      そう考えてみては如何でしょうか。妖怪や怪異を頭ごなしに否定するよりは、ちょっとだけ世界が楽しくなりますよ。
      親コメント
    • by Anonymous Coward on 2008年12月07日 4時19分 (#1468953)
      >「妖怪」とか「怪異」とかはどう説明すればいいのだろう?
      きっと、構って欲しかったんですよ。
      え?奥方のことじゃない?
      親コメント
    • 妖怪?金縛り中に黒い影に背中を齧られたっけ。
      怪異?金縛りから覚めた後で、何か見えると思って覗いたら異次元世界にいたっけ。戻らなきゃ!と思ったら元の布団の中にいた。
      どちらもタダの幻覚さ。
      --
      the.ACount
      親コメント
    • by Anonymous Coward
      そういうのって、たいていは薬飲んだら治ると思いますけどね

      #幽霊や怪物は薬で撃退できる時代
  • 子供の場合 (スコア:2, 興味深い)

    by SanPierre (37035) on 2008年12月06日 14時03分 (#1468679) 日記

    発達過程の子供が、周りの人には見えない友達を作ることは割りと普通のことであるようですね。

    en:WikipediaのImaginary friend [wikipedia.org]

    実例を含む発達心理学者の方のエッセイ [kochi-u.ac.jp]

    学研ムーブックス [gakken.co.jp]の「私の怪奇ミステリー体験」とかにもいくつか実例が載ってたと思います。この手の本を心理学や精神病理学の本と一緒に読むのは読書体験として面白いのでおすすめです。:)

    さて、ストーリーにある研究は高齢者を対象としたもののようですが、子供でも高齢者でも無い人の場合は幻覚を体験する度合いが低いのでしょうか。科学的にそう言えるのなら、子供や老人を「異界に近い人」とする民俗学の考え方に繋がってきて面白いかも。

  • ボケの前兆 (スコア:2, 興味深い)

    by elderwand (34630) on 2008年12月06日 20時25分 (#1468801) 日記
    として、「泥棒がいた」とかの幻覚を主張することがあるようですが、それも、老いに対するストレス(悲しみ?)の反応なんでしょうか。

    自分でも、明らかにストレスが原因で、睡眠時に幻覚を生じたことがありますが、いずれはボケに繋がるのかと思うと気が重い。
  • by ubic999 (34948) on 2008年12月06日 10時35分 (#1468583)
    うちの母親は高校を出て集団就職で上京、東京で職場結婚をしたのですが、祖父は娘が心配でちょくちょく東京まで様子を見に来たそうです。その時は夜行を使い、いつも決まった時間、まだ暗い早朝に家の玄関のチャイムを鳴らしていたとか。その祖父は母親が結婚して数年後に病気で亡くなったのですが、母親によるとそれからしばらくはその時間にチャイムの音を聞いて目が覚める事がちょくちょくあったらしい。
  • イエデボリってどこぞと思ってGoogle先生に聞いても、あやふやな答えしか帰ってこなかった。
    イエテボリ [wikipedia.org]ならあったから、多分イェーテボリ大学 [wikipedia.org]でいいの?

    間違ってたら御免。
  • by Rem (17869) on 2008年12月06日 21時42分 (#1468817) 日記
    科学的なネタとは遠ざかるんですが、幽霊=恐怖の対象と思ってる人って多いですよね?
    私は友人知人家族を含め、結構な人数が鬼籍に入っちゃってるんで、
    幽霊だっていてもいいんじゃね?むしろいればいいなぁ、ぐらいのスタンスなんですが、
    なぜか、周りは気味が悪いとか、そういう対象なんですよね。

    気配?みたいなのがしても「遊びにきたのか~」ぐらいですし。
    このあたりの気配?みたいなことが、今回の話ということですね。

    というより、死んじゃった人よりも生きている人のほうが怖いよねぇ。
    なぜに死んだ人たちのことを怖がるのかなぁ・・・?
    • Re:幽霊 (スコア:1, すばらしい洞察)

      by Anonymous Coward on 2008年12月06日 22時04分 (#1468823)
      > なぜに死んだ人たちのことを怖がるのかなぁ・・・?

      いないのに存在しているから
      親コメント
    • おっしゃることはごもっとも。
      僕も相当の数の親類縁者、知人友人が鬼籍に入っているのでいて欲しいですね。
      幽霊と怪異は切り離して考えるべきではないかと思う次第です。
      実際に生きてる人間の方が怖いのは実感してますし。

      お盆の時などは気配はビンビンに感じますし、そういうものだなぁって思ってます。
      あれ?
      結構自然信仰よりなのかな?僕は??
      「妖怪」大好きです!
      --
      書痴の森へようこそ。
      親コメント
    • by hishakuan (32621) on 2008年12月07日 2時01分 (#1468927) 日記
      最も強く死を連想させるからじゃない?
      輪廻転生ではなく神道の穢れとかそっちの方の感覚だと思う。
      後小説映画などのホラーのイメージだよね。

      さらにずれるけど幽霊になると超能力を持つ、みたいな定番に違和感を覚えるなあ。
      そんなことができるのは超能力を持った人間の幽霊だけにしてくれないと。皆死ぬんだから。
      親コメント
  • by Anonymous Coward on 2008年12月07日 0時00分 (#1468877)
    どうでもいいけど、タイトルが微妙に北斗の拳チックで
    脳内で千葉繁の声で再生されてしまったのだが
  • by TV (3657) on 2008年12月07日 0時01分 (#1468878)
    父親が亡くなった後、その父親の声が脳内で鮮明に再生されてびっくりすることがよくありました。
  • by NemeciS (37282) on 2008年12月07日 1時03分 (#1468909)
    一緒に住んでいた自分のおじいちゃんと、その母であるひいおばあちゃんが半年の間に続けて亡くなりました。 なくなる度に、二人とも、1度は見ています。 本当に、初めて実現しない人を目前にしました。 大好きな二人だったので、ショックで現実を受け入れきれなかった所為だと思います。 実際に有り得ました、ということでコメントしました。
  • by kickno (6263) on 2008年12月07日 3時16分 (#1468942) ホームページ 日記
    は当てはまらないような。

    戦後、食べ物のないときに、お隣さんがとうもろこしの芯を食べて、亡くなったそうです。
    で、母は学校から帰る途中、学校の近くで、そのお隣さんを見かけたそうです。
    で、帰ってきて、お隣さんがその日の朝、母が学校にいる時間に亡くなったと聞いたそうな。

    幽霊でないとしたら、母が普段から知っているお隣さんの行動から
    なんとなくその日予測してて幻覚を見たとか?
  • by Anonymous Coward on 2008年12月04日 17時34分 (#1467506)
    この世界には幽霊が本当にいるということを避ける研究結果ばかり発表されるのは
    • by flutist (16098) on 2008年12月06日 10時12分 (#1468568)
      それは、幽霊がいるという研究や結論は反証可能性 [wikipedia.org]が乏しいから。要するに論拠が客観的でも検証可能でもない研究を避けるとそうなる、ってことでしょう。
      親コメント
      • まず霊的存在の定義が曖昧ですからね。

        例えば、私が思うに、
        「言霊」のように、霊的存在にもいろいろありますが。基本は「因果関係」です。
        言霊であれば、何かしらの現実と。自分の言葉と。その因果を示すものであって、簡単に言えば「つながり」です。
        それは、「亡者と現世」かもしれませんし「思念と現実」かもしれません。
        ある意味では、双子の感覚共有も霊が関係している。と言っていいかもしれません。

        そう考えると今回のケースでは、

        実際は故人の居ない世界をきちんと認識できず、今まで慣れ親しんできた「故人のいる世界」に無意識に現実を歪めてしまっている結果

        というのは、残された人と。亡くなられた方と。その因果が残ってしまっているが故に、生じてしまっているものである。 しかも繋がりは大変強いわけです。
        たまたまその現象なりを「幽霊」という言葉で表現しているだけであって、
        別に科学が霊的存在を否定するだとか。霊的存在は科学を凌駕するだとか。
        そんな話に持っていく方が少なくとも私自身からすると違和感を覚えます。
        問題は、その因果関係をどこまで広げて追及するか。できるか。という事であって。
        ホモサピエンス以前だって構わないので先祖をたどり続ければ、ほぼ誰と誰であっても因果は存在するわけですから
        現在この瞬間に因果の無い間に意識しないレベルでの因果が存在する可能性があるわけです。

        無論。この話は、精神面での話だからこそピッタリはまるのであって。
        この説を全面的に受け入れた場合、ポルターガイストなどの物理的なものは、被害者が無意識の自演・狂言をした。と決めつけていることになるのですが。
        --
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        投稿処理前プレビュー確認後書込処理検証処理前反映可否確認処理後……
        親コメント
        • Re:ようするに (スコア:2, すばらしい洞察)

          by s02222 (20350) on 2008年12月06日 12時45分 (#1468653)
          まず、幻覚と見間違いの境界が曖昧な気がするんですが、 何かしら、はっきりした定義は有るんでしょうか? 個人的には、幽霊の実体というのは、人々の間の「共通認識」だと考えています。

          例えば、「目の前に7セグLEDがあることを想像して下さい。1秒毎に表示されている数字が1ずつ増えて9の次は0です」と言って、相手が想像すればそれが7セグの幽霊。もうちょっと複雑なものを共通認識にしていくと、時計の幽霊から人の幽霊まで、何でもアリです。

          この7セグの幽霊の場合、2人の認識がきちんと一致していれば、2人は同じ幽霊を見続けることになります。 認識にズレがあればあるほど、幽霊の存在は曖昧になります。 何かを日課にされていた方が亡くなり、その方をよく知る人々が、 ひょんな物音などからその日課の気配を連想し、「今、○○が居た気がする」「私もそれ思った!」となると、幽霊の発生です。

          よく人影と見間違えるような景色があった場合には、何人かが「幽霊だ」と言い出し、聞いた人は その影響でより一層、幽霊を見やすくなりイメージが固定されていき。 「幽霊が出る」とよく言われる場所で、実際に幽霊がよく目撃されるのもそう言う原理です。

          なので、幽霊は基本的には物理的な力を持ちませんが、「黒板を爪でひっかいた音」と言われて鳥肌が立つように、影響力は0ではないです。
          親コメント
    • Re:ようするに (スコア:2, おもしろおかしい)

      by Anonymous Coward on 2008年12月06日 10時15分 (#1468570)
      大きな悲しみや喪失により、霊感が増すことがわかっただけですよ。
      平常時より幽霊が見えていては支障があるので、
      悲しみによって霊感がコントロールされているのでしょうね。
      普段から幽霊が見える方々は、
      この霊感コントロール機能になんらかの問題があるのです。
      親コメント
  • by Anonymous Coward on 2008年12月06日 10時16分 (#1468571)
    なら幽霊という概念をもたない文化圏ではどうなのか、調査して報告して欲しいですね。
    • by yohata (11299) on 2008年12月06日 11時17分 (#1468602)
      ナショナル・ジオグラフィックで「宇宙人による地球人の誘拐」の話を見たことがあるのですが。
      この時「アブダクション経験者は、ほぼ例外なく睡眠中宇宙人がベッドへ押しかけてくる」ことから、回答の一つとして「形の見える理由付けが欲しい。その形は幽霊でも宇宙人でも何でも構わない」とする説が出ていました。

      なんでも古来より世界各地で、夜中の金縛りに対し様々な超自然的存在が見えたとする伝承があるそうで。
      インタビューに出ていた福島大学の福田一彦教授(金縛りを専門にやっている人らしい)がおっしゃるには「実験の結果、金縛りの時は幻覚・幻聴に遭遇する確率が非常に高い」とのこと。
      今回の場合は「喪失の悲しみ」ですが。強いストレスという点においては「金縛りの恐怖」も同じコトだと思います。

      そこから考えれば「自分の知っている中で、一番納得できてストレスを和らげそうな幻覚」を見るだけのことなんでしょう。

      「幽霊」を知っている人は幽霊として幻覚を見るだろうし。
      知らない人は何事もなくしれっと生き返ってきている幻覚を見るかもしれないし、転生した別の生物を見るのかもしれません。
      でも、本質的には同じモノと言えるでしょう。
      親コメント
      • by furari (35240) on 2008年12月06日 14時33分 (#1468686)
        私はストレスが多い時期(大きな悲しみ?)にたまに金縛りにあうのですが、
        霊的現象だと表現する人がいるのはわかる気がします。
        夢と現実の境界が限りなく曖昧になるからです。
        いちど動ける金縛りを経験しました。
        金縛りで最初はまったく動かなかった身体が、
        どうにか少し動くようになったのです。
        怖い光のようなものに追われて部屋を這いずり回りましたが、
        金縛りが解けるとオフィスのデスク(深夜一人でお泊まり)で爆睡していただけでした。
        後で自分が這いずり回った痕跡がないか確認しまうくらいのリアリティがありました。
        デスクをくぐって、床置きのPC類をなぎ倒しながら逃げる夢だったので。

        夢で誰かと話をするのは、経験者が多いと思います。
        昼にソファでうたた寝して、
        横に座る亡き妻と話をする夢をみて、
        ふっと横を見ると誰もいない。
        うたたねしていたことに気づかない。
        という状況は、一般人にもありそうですね。
        親コメント
    • 死んだら即日輪廻転生すると信じてるところにしたって、目の前に故人が現れた!と言うことに変わりは無いだろうし
      幽霊、あるいはそれに似た概念の無い文化なんてあるのか?

      ボーグにだって幽霊はいるんだぞ
      親コメント
    • by Rodin (28411) on 2008年12月07日 13時52分 (#1469076)
      特命リサーチ200X・超常現象編という本では、こんな仮説を述べています。
      臨死体験者は死にかけた際、脳に血液が行かなくなり、たまった炭酸ガス(CO2)が
      神経細胞を刺激して幻覚を見たのではないか、という説です。

      また、臨死体験者の見た内容は宗教・文化圏によって異なるそうです。
      近親者の故人でなく宗教上の人物だったり、三途の川を見るのは日本人くらいで
      他国人は花畑・城・天国の扉などを見るそうです。

      なお、上記の本によればインドでは臨死体験や死後の世界に否定的だそうです。
      数少ない事例でも欧米人のように故人や天使が迎えに来ることもなく、日本人の
      ように走馬燈で人生を回顧することもなく、かなり往生際が悪いとか・・・

      以下は本の引用でなく私の意見ですが、死にかけなくても伴侶の死別に絶望し、
      血流や神経に変調を及ぼして、幻覚を見ることがあるのかもしれません。
      でもそれを「通常の反応」と安心していると、幻覚では済まない事態に・・・
      「故人からの警告」として医師や周りの人に相談するべきでしょうね。
      --
      匠気だけでは商機なく、正気なだけでは勝機なし。
      親コメント
    • by Anonymous Coward
      そういえば幽霊(死者が生前の姿で知人の前に現れる)の
      概念を持たない世界って知らないな。
      ネイティブアメリカンとか、アフリカのピグミー族とか
      南米のインカ文明にもそういう概念はあったはず。
      ちゃんと調べたわけじゃないけど、幽霊の概念が無いほうが珍しいんじゃないかな。

      死んだ人が○○(星とか鳥とかケモノとか)に変わる、って概念まで拡張したら
      もっともっと多いんじゃないかな。
    • by Anonymous Coward
      そんな文化あるんですか?
      幽霊と言う概念を持たないことと宗教を持たないことは同義ですが、宗教を持たない文化なんて聞いたこともありません。

      それに、このトピックは悲しみが見せる幻覚が「幽霊」という文化的な概念に括られていると言っているのですから、
      幻覚こそが幽霊という文化的概念を生み出す元になった可能性を示唆したものです。
      幽霊という概念があるから脳が幻覚を見せることができるとしたら、脳が作り出した幽霊という概念のきっかけは何だと言うことになりませんか。
      • by renja (12958) on 2008年12月06日 11時46分 (#1468621) 日記
        >幽霊と言う概念を持たないことと宗教を持たないことは同義ですが

        ほんとうに、宗教がないところには(今回の実験の例のような)幽霊は発生しないのでしょうか?

        幽霊の定義づけ(=死者が幽霊という存在になって現れる理由を説明すること)に宗教が絡む事はあると思いますが、
        幽霊(=死んだはずの者の姿を見たり声を聞いたりという体験)の存在自体が宗教に依存するとは思えませんし、そういう研究も寡聞にして聞いた事がありません。

        今回の記事は、「幽霊という概念があるから脳が幻覚を見せることができる」とかと言う話じゃなく、
        死んだはずの者の姿を見たり声を聞いたりという体験を「幽霊を見る事」としているのではありませんか?
        そして、その原因を脳(深い悲しみや、それまでの日常とのギャップ)にあるとしているのでは?
        --

        ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
        親コメント
      • by nim (10479) on 2008年12月08日 11時37分 (#1469451)
        >幽霊と言う概念を持たないことと宗教を持たないことは同義ですが

        これは「幽霊」と「宗教」の概念定義によりますし、全く自明ではありません。

        >宗教を持たない文化なんて聞いたこともありません。

        こちらは「宗教」の定義によります。
        旧ソ連は宗教弾圧を行っていたので、「ソ連の文化は宗教に由来するものではなく、
        むしろ宗教はソ連の文化発展を阻害する要因だ」と定義していた可能性もあります。
        この場合、「宗教を持たない文化」はソ連的共産主義におけるある種のユートピア
        として定義可能でしょう。
        親コメント
  • by Anonymous Coward on 2008年12月06日 11時19分 (#1468603)
    偶然、街で再会して意気投合、、、って幻想はよくあります。
typodupeerror

物事のやり方は一つではない -- Perlな人

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