
米国での Windows 95 発売から 15 年 109
ストーリー by reo
3 ヶ月後には忘れている自信がある 部門より
3 ヶ月後には忘れている自信がある 部門より
ある Anonymous Coward 曰く、
米国で Windows 95 が発売されたのは 15 年前の 8 月 24 日だったそうな (本家 /. 記事より) 。
Windows 95 ではスタートメニューやタスクバーなどユーザーインターフェイスが大幅に改善され、ネットワーク機能の強化など、コンピュータを一般にグッと近づけるものであった。北米では発売から 4 日で 100 万本が売れ、日本は同年 11 月 26 日の発売から 4 日間で 20 万本が売れたとされている。また、1999 年 3 月末には販売数は 1 億 9300 万本に達したとされている (Wikipedia の項目: Windows 95 より) 。
日本発売 15 周年には少しばかり早いが、米国での発売当時の思い出などを語る場にして頂ければと思う。
では 11 月末頃には日本語版のネタを誰かタレ込んでください、ということで。
本家も甘いな (スコア:5, おもしろおかしい)
なぜ「15周年」などという中途半端なタイミングを選ぶんだ。
普通16周年だろうが
fjの教祖様
Re: (スコア:0)
数えられる限界と言うことで切りがいいんですよきっと。
#何が4bitなのかは知らんけど。
Re: (スコア:0)
> 普通16周年だろうが
来年は16周年で同じネタをやるんですよ。
:wq
Re: (スコア:0)
大体3.2bit秒が過ぎた記念ということで。
# 32bit秒記念までは話題がもたないw
秋葉で夜を過ごした (スコア:2, おもしろおかしい)
終電終わってもウロウロしてたので、秋葉で夜を過ごした。
秋だったので寒く、夜通しで開けてくれた石丸に潜入し、商品の椅子で朝まで耐えたのもいい(?)思い出。
もちろん、帰ってすぐ、Windows95をインストールした。
Re:秋葉で夜を過ごした (スコア:2, 興味深い)
ビルゲイツが0時ちょうどにロケットパックで交差点に降り立つというデマに踊らされたのは良い思い出
#再投稿2分制限は長いよ
FDでインストール (スコア:2, 興味深い)
ライセンスは台数分あるけど、インストール用のFDが1セットしかない状況で、バケツリレーのように、次々と、FDを差し替えて並列でインストールした。
Re:FDでインストール (スコア:1)
当時はIBMもDOSのFD媒体ではXDFフォーマット(1.86MB)を採用していましたが、こちらはXDFCOPYというコマンドでコピーできました。
Re: (スコア:0)
>バケツリレーのように、次々と、FDを差し替えて並列でインストールした。
そこはパイプラインと言うべき。
ウインドウマネージャ (スコア:2, 興味深い)
Win95の登場で、それを模したデスクトップに取って代わられることに
なるんですよね。そういう意味でも歴史的OSと言えると思う。
#twm最高!って人もいるんでしょうけど。
Re:ウインドウマネージャ (スコア:2, 参考になる)
> フリーUNIX系OSの世界だけで言うと(商用の世界だと独自のGUIが採用されていたからね)
fvwmやらAfterstepやらが流行り始めたのって、90年代前半あたり、「OPEN LOOK」と「Motif」の対立から「Motif」の勝利が決まったぐらいの頃だと思いますが、
Motif は Windows や OS/2 なんかと同じルックアンドフィールでしたね。
当時はまだ「デスクトップ環境」って概念がまだ無かったかな。その後「Motifというツールキット」をベースとした「CDEというデスクトップ環境」が生まれ、CDEがほぼ商用UNIXの標準になっちゃった。
OPEN LOOKの方は、元々SUN独自のウィンドウシステムである SunView およびそのXへの移植であるXViewの流れを汲むもので、こっちはSUNローカルな独自のGUIと言ってもいいかな。
昔は SunView、Apollo Domain、GMW など、UNIX機で使われるウィンドウシステムがX Window Systemの他にもいろいろありましたね…
そのWindows95の開発に関わっていた中島聡氏は・・・ (スコア:2, 興味深い)
C:\ONGRTLNS.W95 (スコア:1, 参考になる)
英語版か日本語版かは忘れてしまいましたが、発売当日の新聞朝刊には
("Congratulations Windows 95"の8+3形式)
と大きくメッセージが印刷された全面広告が掲載されました。
これはWindows95になっても内部には8+3形式の設計が残っていることを皮肉ったライバル社のキャンペーンでした……
Re:C:\ONGRTLNS.W95 (スコア:1)
まー、32文字よりゃマシですが、世の中のアプリの大半が未だに256文字を超えたパスを食わせると変な感じになるのもいい加減にして欲しいですな。
# ふつーはしないとは思うがね。
十三回忌はまだのようですが (スコア:1)
一方IBMは (スコア:1)
PC-DOS7にSoundBlasterのDOS用ドライバーを追加しようとすると、「あんたWindows95のDOSプロンプトで作業しているだろ。純粋なDOSからセットアップを実行しろ」と言われて往生したことを思い出します。
では 11 月末頃には日本語版のネタを誰かタレ込んでください、ということで。 (スコア:0)
携帯やWebサービスのカレンダー辺りにでも登録しておけばいい。
一方日本は (スコア:0)
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
あの頃はもうPC-9821じゃね?
#いや、9821も9801シリーズの一部だけどさ。
Re: (スコア:0, フレームのもと)
全盛時代はもうちょっと前ですね。
凋落への途は、DOS/Vが流行り出してからだと思います。
いわゆるPC/AT互換機の増加です。
DOS/Vによって、ハード的に日本語に対応する必要が無くなりました。
PC98の市場支配力の原動となっていたものが弱くなったため、
国内外のメーカーがNECが寡占していた市場をどんどん食っちゃいました。
Pentium機の初期は、PC98は200万もしましたが、DOS/V機ならば
50万円くらいでした。
98が没落するのも当然と言えます。
そして爆発的にPC/AT互換機を広めたのが、Compaqの格安PCです。
Re:一方日本は (スコア:2)
さらっと嘘を書くんじゃない。
最初にPentiumを採用したPC-9821AfAf/U9WまたはM9Wでも定価120万円です。
それ以上の価格帯だとH98だけどH98にPentium採用機は無かったはず。
#まさかSV-H98 model 50F(250万円)じゃないだろうな
それよりちょっと前(1992年頃)、PC-9801FAと周辺機器一式そろえるとだいたい50万弱くらいだったのが
Compaqだと10万円から15万円安く、香港の銅鑼灣あたりまで買い出しに行くともうちょい安かったような。
#で、Aドライブが5.25"FDDでハマると。
Re:一方日本は (スコア:2)
Win95がインターネットの爆発的普及に寄与したのは、嘘でしょうねぇ。他の方も書いていらっしゃいますが。当時は今よりもMacユーザの割合が多かったから、Mac忘れられちゃ困る。なによりも、Webブラウザの登場でしょう。OS関係なく。
#MacTCPが標準装備されたのは、KT7.5から。Win95の最初にTCP/IPが標準装備ではなかったのと同じ。インストールディスクにはあったんだけど、標準インストールではないので、設定をしてやる必要があった。
というよりも、NEC 98シリーズに引導を渡したのが、最大の功績でしょう。日本語のOS環境使うのに、NEC 98シリーズがいらない、ということになりましたので。これはホント、95とMSには感謝。今でいうところの、ガラパゴスパソコンがなくなった。
-- gonta --
"May Macintosh be with you"
Re:一方日本は (スコア:1)
> 爆発的にインターネット利用者が増加したきっかけとなりました。
> これは、いくらMS嫌いの人がいたとしても否定できない功績です。
(当時の)MSN・・・
Re:一方日本は (スコア:1, 参考になる)
> スタンドアロンで使われることが多かったのが、95で標準装備になったため
> 爆発的にインターネット利用者が増加したきっかけとなりました。
日本で商用インターネットが本格的に始まったのが94年。
95年頃といえば、インフラ面の進歩もかなり激しかった頃ですよね。
とにかくプロバイダ数の増加量が凄かったです。インターネットマガジン(94年10月創刊)を当時は毎月購読していましたが、名物のプロバイダ地図が毎月、凄い勢いで大きくなっていたのを思い出します。
通信機器に関して言えば、まだISDNは高嶺の花でしたがアナログモデムの主流が14.4kbpsから28.8kbpsになり「ようやく実用の域」に入っていた頃です。
Windows95がインターネット利用者増加に寄与したのは事実ですが、爆発的に普及し始めたインターネットの波にWindows95も乗らざるを得なかった、という面もあるでしょう。
Re:一方日本は (スコア:1)
ダウト!
当時小学生だった私が、ショーケースにほっぺたをつけてトランペットを眺めるように毎日ため息をついていたPentium搭載初代PC98のスペックシート(単独チラシ)には定価100万ジャスト(本体のみ)と記載していたと記憶しています。
Youthの半分はバファリンでできています。
Re:一方日本は (スコア:2, 興味深い)
家庭内LANを構築する際、最初に通る道だったんでないかと。
(DNS立てようなんて人はレアだったわけで)
個人的な話だと、Win3.1の頃はLANtasticとかNetwareLiteとか使ってて
大変だったけど、Win95が出て劇的に楽になりましたね。
# だって家庭内で一部10Base-2使ってたんだもの
まー、ISDNルータを導入した時に、TCPスタックを意識するようになった
んだけどね。それでもTCP/IPとNetBEUIを両方使ってたなぁ……
---- 何ぃ!ザシャー
Re:一方日本は (スコア:2)
OSの入ったCDROMからTCP/IPをインストールできるようになったというだけでも画期的でしょう。
Windows3.1の頃って、サードパーティ製TCP/IPプロトコルスタックを組み込んで、
さらにPPPとかのドライバも入れて、その上でブラウザを起動とかそういう感じだったような。
プロトコルスタックはシェアウェアでレジストが必要だったし、ブラウザもNetscapeは(一応)有料で、
これに簡易翻訳ソフトを付けてパッケージにしたのが売られたりしてた。
#どうでもいいことだが、この頃ページのレンダリングが一番キレイだったのがMac/Netscape
#だから、報道番組でWWWブラウザが登場するときは見栄えがいいからいつもMacの画面だった。
これが、Windows95のCDさえ持っていればモデムつないでインターネットへ出られるようになった。
自分でインストールしなきゃならないとはいえ、自分のPCが追加負担なしでTCP/IPを喋るようになった。
スタンダードとなるWindows用TCP/IPプロトコルスタックができたことで周辺の対応も良くなりましたよ。
残念ながらブラウザ(IE2.0)はPlus(別売り)に入ってたけど、そのうち適当にCDROMの付いた雑誌には
確実にWebブラウザが収録されるようになったからそう大きな問題ではなくなったし、
当時はプロバイダがたくさん出現して顧客取り込みに必死だったから、セットアップは結構楽でした。
PC雑誌に付録でついてくるCDROMとか、プロバイダが配ってるCDROMをもらってきて、ドライブに突っ込んで
セットアップするだけで自社プロバイダ向けにシステムを設定する簡易設定ソフトがあって、
細かいことを気にする必要は無かったと思います。もしクレジットカードも何もなくても、
とりあえずダイヤルQ2を使ったInterQぐらいはすぐつなげられましたから。
だから、Windows95がTCP/IP通信機能を用意したことでインターネット普及に果たした役割は大きいのです。
MSだけが頑張ったわけじゃありませんが、相乗効果は大きかった。導入の敷居がえらく低くなったんだから。
余談だけど、TCP/IPベースではないものの、LAN上でファイル共有する機能がWindows95以降標準装備に
なった(NETBEUI)ことで、当時ファイル共有ソフトを売っていたNetWareなんかはWindows95が実質的に
Microsoftからの死刑宣告になりました。既存の稼働システムがすぐ消えることは無かったけれど、
新規導入するところはほとんどなくなったはず。
# もちろん、当時のUNIXは既にファイル共有(NFS)もTCP/IPも追加負担なしで標準装備でしたがね。
WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:0)
Windows95用のゲームだったか、インストール時の機種を選ぶときに
「DOS/V、PC98、FMV」なんて選択肢があった。
FMVって何だよ…富士通は何を作ったんだろうか?(笑)
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:1, 参考になる)
当時のFMVはDirectX周りの相性問題がかなり厳しかったようですからね…。
(あれって結局何が原因だったんでしょう?)
そして流れるリコールのデマ情報
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/971127/fujitsu.htm [impress.co.jp]
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:1, 参考になる)
ATiのオンボードグラフィックが悪さしてたケースが多かったと思います。
486DX2~Pentium期は本当に不安定で苦労しましたね。
でも、マザボ上のジャンパピンで、グラボにIRQ食わせるようにすると、嘘みたいに安定したんですよ。
シリアルポート1個かゲームポートあたりを潰して、グラボにIRQ食わせた状態で出荷してれば、あれほどの酷評は無かったんじゃないかと思うんですけどねー。
当時はIRQの空きって貴重だったので、一応IRQ無しでも動くグラボから削っちゃったんでしょう…。
Re: (スコア:0)
たしかに、FMVはDOS/Vの亜流として別枠扱いされることが多かった記憶が(笑)
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:1)
多分・・ですが、FMVは当時3modeのFDD(普通は2mode)を使っていたので、その辺で何か考慮があったのかもしれませんね。
FMVって(多分)ただのDOS/V機だったので。
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:1)
いえ、FMVでゲーム作っていましたが、FMVは制限というか
他では大体動くのにFMVだけエラー出るとか厳しかったのです。
(90年代に出たFMVは大体そうだったように記憶しています)
まぁ、FMVで動けば他でも大体大丈夫という利点もありましたが
DirectDrawでオフスクリーンサーフェース確保時のサイズの問題とかもありましたね。
画面サイズ以上は確保できないとか2のn乗サイズ以外は駄目とか。
#逆にFMVはその辺はOKで逆に他の機種で問題出るとかあったような気がする。
なのでFMV以外で開発していると、FMV以外だけ違う処理入れたりとかで
PC/AT以外と言われていたような・・・。
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:1)
そんなガラパゴ仕様があったんですね。
自前チップとか、自前ドライバとかそんなに多かったのかな?
そんなに互換性が失われていると、DOS/Vとか言ってほしくなかったな。
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:1)
あの頃のFMVは多分、DOS/VではなくPC/AT(準拠の)FMVって機種だったんですよ(笑)
PC98NXだってPC/ATに近いオリジナルでしたしね。
こっちはあんまり問題なかったような?mobioNXが手元にあっただけですが。
同時期のソーテックがクソーテックとか悪名を馳せてた時期もありますし
結局、相性問題が凄く激しかったです。(ATIはこの時代のせいで悪い印象が…)
チップメーカーのリファレンスドライバも不安定だったり、
そもそもボードメーカーが色々やっていた時代ですし。
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:1, 参考になる)
当時、Windows95で市販ゲームを作っていました。
デバッグ時にはわざわざFMVが別で用意されて、かなり動作検証に時間を掛けていました。
それで、どうしても専用の処理が必要(且つ、他の機種では邪魔になる)の場合に、インストールオプションに「FMV」をつけて、バイナリを分けていました。
FMVのほか、IBM Aptiva-JのMWAVEも当時のDirectXにとっては癌でした。
DirectDrawのHALがまともに動かなかったなぁ・・
(当時開発に使っていたマシンがAptiva-Jだったので頭抱えて悩みました)
その他、サウンド(MIDI)の再生環境として、86ボードオプションをつけていました。
(86ボードでそれなりに聞こえるように音色や音量を調整していました)
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:2, 興味深い)
「(タイトルを問わず)FMVでは動作保証しません」
という貼紙がなされていたことを思い出します。
Re: (スコア:0)
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:1, 参考になる)
いや、マジな話
http://www.ceres.dti.ne.jp/~t-shika/fmv575d4.htm [dti.ne.jp]
電脳戦記バーチャロンのパソコン版、そのインストールでの機種選択時に『DOS/V』と『PC-98』、そして『FMV』という選択肢があった。その時は自組PC/ATコンパチマシンを使っていたので別段気にも留めなかったが、今考えるとおかしな話だ。DOS/VマシンでもPC-98でもない、"他のなにか"。
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:2)
正確にはDIRECTX3のインストール時に選択画面が出ます。
FMVって何だよと思った。
Virtualpc2007は問題なくWin98をインストールしてバーチャロンも動作した。
VMWareとVirtualBOXはBiling.sysをコメントアウトしないとWin98が起動しない。
VirtualBOXは解像度を変更するためにフリーのドライバをいれたら起動しなくなった。
2Dと3Dのアクセラレータがあるようなので期待したのだけど。
VMWareは16ビットカラーが選択肢にないのでバーチャロン起動できず。
ちなみにVirtualでないXPにインストールすりと動くには動くのですけど一戦終わった後にブラックアウトが多発して使えなかった。
昔のゲームを動かすのはなかなか大変です。IF-SEGAのドライバもないのでキーボード操作も地獄だ。
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:2)
でもなぜかうちのは4ビット/16ビット/32ビットの選択肢しか出ません。
なんでだろう。
また気が向いたらいろいろ試してみます。
VirtualBOXの方は無事起動できました。効果音が変ですが。
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:2)
Config.sysの中身を一つずつコメントにしていったらBilling.sysが原因だとつきとめました。
理由は不明です。HIMEMとかの絡みがあるのかもしれないですが、とりあえず動く環境はできたのでよしとします。
フリーのドライバとアクセラレータは別の事象です。わかりにくくてすみません。
フリーのドライバをいれないと解像度と色数の変更ができないので、アクセラレータ以前の問題です。
ちなみにWindows98ではGuest Additionは対応していないと怒られました。
この状態で2Dの方を有効にすると起動しましたが、3Dのほうは起動後にエラーを出しました。
結局VirtualPCが一番まともに動いてくれています。
Re:WIn95で思い出すのは、DOS/V、PC98、FMV (スコア:1, 興味深い)
TOWNS 用と称して売られた Windows ソフトも一応ありましたが、非常にレアです
(GADGET / シナジー幾何学)
ちなみに TOWNS 版 Windows95 が出たのは 96 年です
WIn95で思い出すのは、青い画面 (スコア:0)
Win2kなら仮想マシンのゲストOSとしていまだに現役だし、語るべきことはある。
日本の発売日 (スコア:0)
これでは11/26が発売日のように読めるけど、11/23が発売日だよね
日本の発売日(=1995/11/23) (スコア:1)
嫁さんとの初デートでしたなぁ…
友人と深夜に日本橋でWin95購入(PC-98版)。帰ってインストールに徹夜。
そのまま眠い目でAE92レビンぶん回して六甲山まで行ったのを思い出します。
ああ、あの頃は若かった、二人とも。もう15年になるのか。
# 結婚記念日はどーってことない日なのですぐ忘れる。
一方Linuxは (スコア:0)
毎年のように今年こそは爆発的に普及する!MSは倒産!とか言ってたよね…
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
あらゆる生物は利己的なのだ。