オープンソースにおける「オープンソースの定義」の重要性 252
ストーリー by Oliver
元々はDebian-Free-Software-Guideline 部門より
元々はDebian-Free-Software-Guideline 部門より
yaegashi 曰く、 "経済産業研究所(RIETI)/オモイカネ/OSDN/日記界/他を巻き込んだ一連の日本におけるオープンソース(ukai 氏による wiki リンク集) の議論に関連して、「オープンソースの定義」の意義 と題する mhatta 氏の新しい記事が japan.linux.com に掲載された。
内容は、Open Source Initiative (OSI) のオープンソースの定義 (OSD) に準拠しないソフトウェアをもオープンソースと呼ぶことの危険性を指摘したものであり、先日
RIETI のサイトに掲載されたオモイカネの大熊氏の反論文書(PDF)
への反論ともなっている。
なぜこのように OSD を尊重すべきかという問いに対しては、前のストーリーの
Oliver 氏のコメントが短めな回答になっていると思うが、今回の mhatta 氏の記事は、バザール型開発の原理やオープンソース運動成立の経緯などを解説しつつ、その重要性を論じたわかりやすいものとなっている。今回の一連のオープンソースの議論に感心のある方にはぜひ一読をおすすめしたい。
またもうひとつの大きな論点であるところの「日本発のオープンソース」の意義については、スペースの関係からか mhatta 氏の今回の記事での評論は見送られたようだ。なるべく早く次の記事が読めることを期待しよう。"
政策はOSIの定義を尊重すべきか? (スコア:5, 興味深い)
コメントで mhatta 氏の記事の感想を述べるのも結構ですが、 せっかく新しいストーリーができて仕切り直しとなったことですので、 この記事で得られるオープンソースへの認識を共有しつつ、 大元の話題であるオープンソース政策についても議論しませんか。 お題は、政策は OSI の定義をどれだけ尊重すべきかについて。
前のストーリーには こういうコメント [srad.jp] もあったのですが、 残念ながら他のノイズにかきけされて議論があまり発展しなかったようです。
# スコア +1 ボーナスを使っておきます
Re:政策はOSIの定義を尊重すべきか? (スコア:2, すばらしい洞察)
今回は「オープンソースを含むソースが閲覧可能なソフトウェア」を
オープンソースと呼ぼうとしたせいで混乱が起こったわけです。
題材についての共通認識を得ずに議論は出来ませんから、
大熊氏のあやふやな定義に対する反論が出ているのです。
#もちろん、単なる罵詈雑言も多数ですが。
大熊氏は「広い意味でオープンソースである」という説明ではなく、
定義及び用語法を省みて文書の改訂をするべきではないでしょうか。
Re:政策はOSIの定義を尊重すべきか? (スコア:1)
>オープンソース政策についても議論しませんか。
「Slashdotに聞け」でタレコミしてみるとかしてみてはどうでしょう?
---- redbrick
Open-Development (スコア:2, 興味深い)
ソースが公開されバザール形式に代表されるオープンな開発形
態が取られる点に重要性を認めるのであれば、オープン開発
(Open-Development)と呼んだほうが誤解が少ないように思い
ます。
閉ざされた環境で開発されるプロプライエタリなソフトウェア
との差もはっきりするわけだし。
もっとも、エライ人たちが提唱してある程度定着した「Open-
Source」という呼び名が今更覆るとは思いませんが。
あ、mhatta 氏の主張には基本的に賛成です。「オープンソース」
を称することでオープンソース運動が提唱する知的資産の公開・
共有に賛同しているふりをする動きを防ぐためにも。
Don't ask me why!
PDS、どうよ? (スコア:2, 興味深い)
八田氏の語調はパブリック・ドメインに対して否定的なように読めるのですが、これはオープンソースとは相容れないものである、ということなのでしょうか?
私は、『ソースコードがパブリック・ドメインとされたソフト*1』はOSDには矛盾しないと考えていたのですが、これはオープンソースに含めるべきではないのでしょうか。
(*1 面倒なので以下PDSと書きます。『バイナリだけPDS』は、ここでは考えないということで)
別段PDSがオープンソース(あるいは『自由なソフト』)でなくても私は構わないんですが、オープンソースの定義を明確にするのなら、この点もはっきりしてほしいと感じました。
実際、/.Jでは「オープンソース・ムーブメントとは相容れない」とか「無責任なソフト」という意見も目にしたことがありました。
私がPDS界(って何?(^^;))を代表するわけではありませんが、PDS公開しているものの一人として、ぜひ皆さんの意見をお聞きしたいと思います。
# 『立つ瀬』は私自身が決めます。
# なければ泳げばいいし(^^;)
Re:PDS、どうよ? (スコア:2, 参考になる)
Categories of Free and Non-Free Software [gnu.org]
正直 (スコア:2, 興味深い)
やっていますが、「42件~」からの一連の騒ぎについて、こんなにも
オープンソースの定義にこだわる人が多いということに少々困惑して
います。
私がソースをオープンにする理由はたいしたものではありません。
ソースをオープンにすることで何か面白いことが起こるかも知れない
なあ、という程度です。予想に反して反響はほとんどないですが。
だから、私などまつもと氏や八田氏などとは比較にならない無名の
小物に過ぎません。
正直なところ私はGNUでもApacheライセンスでもBSDでもどうでも
よい、と思っていました。
そうではない、ということは八田氏の寄稿文を読んでわかりました
が、私などはどうしてもある種の宗教臭さを感じてなりません。
宗教的なものに対してアレルギーを示す人は決して少なくないと思わ
れるので、あまり原理主義的なものにこだわりすぎるのも、オープン
ソースに興味を持ち、参加しようとする人を呼び込む意味で大きな
マイナスになるのでは、と危惧しています。
#新しい血が入らずにクローズドになった組織・コミュニティが衰退
していくのは今更指摘するまでもない、と思います。
オープンソースコミュニティが過激派イスラム原理主義者のごとく
ならないよう祈ってやみません・・・。
長文失礼致しました。
そこまで狭くない (スコア:3, 参考になる)
ですので、GPL でも Apache でも BSD でも何でもよい、 というのは、オープンソースな人々にとっては完全に同意できることですし、 GNU な人々にとってもある程度は同意できることだと思います。
ただ、「ソースは公開するけど再配布のときには一声かけてね」 とか「改変しないでね」というライセンスだと、 ネットワークや CD-ROM などで作者の応対能力を超えて広く流通したり、 改良や修正や流用などの派生効果が生じたりということが期待できないわけで、 そういうライセンスでさえなければいいのだと思います。
Re:正直 (スコア:2, 興味深い)
いや、どちらかというと、元の投稿者のような人を想定してあの文章を書きました。私でも、「クローズドなソフトウェアは倫理的じゃない!だからすべからくフリーにしなきゃダメ」とか大上段に言われると、ついていけません。
あの文章が「原理主義的」と感じられたのはひとえに私の筆力不足でしょうが、意図としては全く逆で、作者の「信念」(開発者は全員ボランティア精神だけでやっていると思う人が未だに多いのです)などが無くても、ちゃんとオープンソースによるバザール型開発は回るんだ、ということを論証しようとしました。簡単に言えば、ソフトウェアを公開するとこんな良いことがある、その際に少し注意すると、良いことが倍増するかも知れない、という程度の話です。で、そういった注意をまとめたものがOSDなので、尊重したほうがいいですよ、と。
ライセンスに関しては、本当にどうでもよければパブリック・ドメインを宣言してしまうのが良いと思います。ご自分のクレジットを多少なりとも残したければBSDライセンス、さらに加えて自分の書いたものが未来永劫誰でも自由に使えることを保証したければ、GNU GPLが良い選択肢でしょう。
mhatta was here
Re:正直 (スコア:1)
Re:正直 (スコア:1)
元コメント者は、八田氏の文章に対して宗教臭さを感じたのでは?
Re:正直 (スコア:1, すばらしい洞察)
うーん、その感覚が理解できないです。。。
オープンソースに適合するとはいえ、それぞれ特徴があるものなんで、
その特徴を踏まえたりはしないでしょうか。
というか、それぞれのライセンスを理解しようとはしないのでしょうか。
理解したらなんでもいいなんてことはあり得ないと思うんですよ。
どうでもいいっていうんならユルユルのBSDとかにしておけばいいわけで、
なぜ最右翼のGPLなどを選択したんでしょう。メジャーだから?
私が心配するのは、ライセンスの内容をを知りもしないで採用して、
正しくライセンスに従って自由に活用しているユーザが、
理解していないあなたに文句をいわれたりしないかどうか、です。
GPLについて理解した上で採用しているのならごめんなさい。
でもどれでもいい、なんて理解しているとは思えないのです。
あと、宗教臭はライセンスの必要性を実感していないから感じるのかもしれません。
それぞれのライセンスは、実際に必要にかられれて、
よくよく考えられた結果というだけにすぎません。
宗教というよりかは、思想でしょうね。
Re:正直 (スコア:1)
> よい、と思っていました。
こういう方にとって、現状、
ソフトウェアをきちんと公開できるまでの敷居が
高くなってしまっていないでしょうか。
「ソースを公開して、自慢したりフィードバックを得たりしたい、
共同開発者を募りたい。
それには、何らかのライセンス条項を付けた方がいいらしい。
GNU GPL? BSD? Apache?
僕はどれを採用すべきで、どれを採用すべきでないのだろう?」
Re:正直 (スコア:1)
> 共同開発者を募りたい。
> それには、
>何らかのライセンス条項を付けた方がいいらしい。
> GNU GPL? BSD? Apache?
> 僕はどれを採用すべきで、
>どれを採用すべきでないのだろう?」
そのような人は面倒がらずに自前のライセンスを作るのがいいんじゃないかな。
少なくともこの社会、法律が絡む場合にはなにがしかの面倒な仕事をしなきゃならん、
というコストは避けられないのが実情なんですな……。
#いや、一応5年ばかり小さな独自ライセンスのソフトを公開していた関係上、その気持ちはよく分かるのですが。
#オープンソース、という言葉を聞き始めた頃に面倒になって止めちゃいましたが。
Re:正直 (スコア:1)
>ソフトウェアをきちんと公開できるまでの敷居が
>高くなってしまっていないでしょうか。
こういう方は、
GNU GPLやBSDなぞ使わずに、
「自由に使ってください。改造可。バグ報告歓迎。」
とか、そんな感じで自分の好きな制限つけて公開すればよろしいのじゃないですか?
有り物ライセンス使うほうが楽だと思いますけどね。
いっぱいあるオープンソースの多くについて、その特徴を比較検討しなくても、
メジャーなものので、内容が自分が納得できるものであれば、
ひとまずそれを使えばいいのだし。
オブラート (スコア:1)
自分はGNU信者なので、オープンソース運動自体が「ひよった」ものに見えてしまうんですけどね。
正直、ESRのしたことを揶揄したいわけじゃないけど、GNUやRMSの「宗教がかったところ」をオブラートにくるもうとした結果がオープンソースなんじゃないか、と。で、オープンソースでもまだまだアレだと感じた人たちが大熊氏のようなやり方をしちゃうってことじゃないか、と。
...芸というものは一生勉強だと思っています...
自由なソフトウェア (スコア:1)
(かつてフリーウェアのことをPDSと呼んでいた時代があったことを思い出そう。)
Why ``Free Software'' is better than ``Open Source'' [fsf.org]
フリーソフトウェアと自由な社会 ―Richard M. Stallmanエッセイ集 [amazon.co.jp]
Re:自由なソフトウェア (スコア:1)
「新しい言葉」って、何のことですか?
>PDSについては、言葉と内容とが一致しなかったらでしょう。著作権を保持してるのにパブリックドメインだなんて。
「オープンソース」については、言葉と内容とが一致しているのですか?
Re:自由なソフトウェア (スコア:1)
「オープンソース」自体OSC(のベースを作ったESR)が作った「新しい」言葉であって、
これを「誤解されてるんだから使わないようにしよう」と言う暴論をぶちあげて実際にそうしたところで問題は解決しませんよ。
代わりに使われるようになる言葉が新しい造語であろうと何か別の用語を引っ張ってきただけであろうと。
複数の単語を組み合わせて新たな言葉を造り、これをきちんと定義して普及させる、という作業はESRが
これまでやってきたことをそっくりそのままなぞるだけでしょう。
そもそも悪いのは言葉の使い方に無神経な連中であって、言葉とその定義元自体には何の罪もない。
使い古された言い回しですが、包丁で他人を刺し殺した殺人事件について包丁の製造元に責任を問うようなものでしょう。
>「オープンソース」については、言葉と内容とが一致しているのですか?
ここら辺はカタカナで適当にimport出来ちゃう日本語の問題であって、「OpenSource」という言葉自体の
善し悪しでは無いのでは?
#「Open」という英語の単語の意味を狭くとらえてしまうことについては、欧米の企業のトップは
意図的にそう誘導している節があるけど
日本の場合は単に無知か勘違い、という場合が多いような。
Re:自由なソフトウェア (スコア:1)
> あって
すでに参照されている Why ``Free Software'' is better than ``Open Source'' に英語圏で間違って取られやすいことが明確に書かれているので、日本語の問題ではありません。
> 包丁で...
関連性があまり見えないんですが、かなり暴論じゃないですか。「誤解されてるんだから使わないようにしよう」というのは現状を見ればあながち間違ってるとは思いません。
Re:自由なソフトウェア (スコア:1)
確かにそうなんですが、特に日本ではこの辺の意味を限定して捉えている人が多い
のでね。それをいうなら"Free"だって同じこと。
まぁ、この辺りの言葉については主観が多分に入りますし、件の文はRMSの言なので
その辺を意図的に強調しているのだと"私は"感じています。
>「誤解されてるんだから使わないようにしよう」というのは
うーん、「誤解されてるんだから誤解を解くようにしよう」という発想が先に来ると思いますが、普通。
確かにその手段として誤解されやすいものを誤解されにくいように工夫する、
というやり方があるのは解るのですが、まだまだそこに行き着くまでにやるべきことは沢山あると思うのです。
#かなりオフトピですが、山形氏のHackについて [cruel.org]は興味深いですね。
/.Jの皆様にはかなり既出かもしれないですが。
Re:自由なソフトウェア (スコア:1)
意図的に誤解を誘発するために新しく作られた言葉がオープンソースソフトウェアなのだと思っています。
つまり、この場合は誤解が正解なのです。なので、誤解なのか正解なのかというより難しい問題の発生を避けるために、
先回りりしてその問題の発生源を避けるべきだと思います。つまり、オープンソースという言葉を使うべきではない。
どっちかが諦めるまで続きそう (スコア:1)
るまで続くんじゃないかと思う。
結局、今回の件に関しては、ある陣営が「ソースをオープンにする」以上
の何かまで含めて「オープンソース」と呼ぶようになったのが誤解の始ま
りなのでは。なんか別の名前にしたら駄目なの?
読んで気になったこと (スコア:1, 参考になる)
Public Domain こそ究極のハッカー倫理。その上で、 それの「弱い」点を武器をもって守ろうとする GPL とかには もちろん敬意は払うけど、かといって、PDSを「排除」しようと いうような思考と発言はあまり感心できない。
それから、PDS と BSD への意識の境目を聞いてみたい。 にたようなことは、GNU の偉い人も言ってた気がするけど、 そっちは、BSDライセンスもPDSもひっくるめてうだうだ 言ってたので、軍人さん的思考としての筋は通ると思う。
単に「オープンソース(R)使えばよいだろう」だったはず。 元の発言者はすでに商標がとられていることを認識した上で こう発言しているのに、「商標を取って」をつけるのは、 それを正しく伝えて無いと思う。
意見主張したいならそれこそ「やりたくない」なんて 道具選んでる場合じゃないだろう。工業所有権法を盾に した商標を毛嫌いするなら、著作権法を盾にしたGPL を 使うことに対する意識との差を聞いてみたい。
オープンソースの定義 (スコア:1)
5. 個人やグループに対する差別の禁止
6. 利用する分野(fields of endeavor)に対する差別の禁止
は、心情的にどうかと思う面もあるといえばありますね。
いや、否定しちゃいけないことなんだろうけど。
上記とは別に、うまく説明できないので申し訳ないんですが、
このページの各項の「理由」を読むと何か違和感を感じる部分がある。
「許可」と「禁止」がこの「理由」でなんか曲げられているような……
素直に文面を読んではいけないのだろうか、というか。
ライセンスとオープンソース(ライセンス?)がなんか
すっきりしないというのか……
本当かい♪本当かい♪
Re:ただソースを公開しているだけのは (スコア:4, すばらしい洞察)
書き換えはWriteかな。
再配布はExecかな?(無理矢理
というわけで、700ソフトとか、777ソフトとか、という呼び方で分類するのが、
Unixer的には判りやすいのかも。もち777がOpenSourceね。
そういや缶コーヒーの仕様を数字で表してる製品もありましたね。ブラックなら600とか。ネスレだっけ?
パーミッションは読み書きなどの義務ではなく権利(可能性)を表すものなので、OSDとも旨く合いますね。
GPLのような拡張機能(?)つきの奴は別話題ということで。ん?あれはデバイスファイルなのか?(違います
余談:
OSDによれば、使用者によって公開度に差をつけてはいけないんでしたね。
ってことは、C++でいうfriendの概念は、使わないわけだ。
Re:ただソースを公開しているだけのは (スコア:1)
でどう?
#さらなる誤解がひろまるような気もしないでもないけどnick
Re:ただソースを公開しているだけのは (スコア:1)
擬似オープンソース、似非オープンソース、とか。
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
Re:ただソースを公開しているだけのは (スコア:1)
もしくは
「オープンソース(直訳して)」
っちゅうのはどうでしょう。
Re:ただソースを公開しているだけのは (スコア:1)
公開と言うよりは、公表ですよね。ただ見せているだけ、と言う意味ならば。
だとしたら、「ソース公表ソフトウェア」なんてあたりが妥当な気がします。
「公開」っていうと、ライセンスも公開しているような印象を与えてしまうので。。。
むらちより/あい/をこめて。
Re:候補あげると (スコア:1)
なんか醤油とソースみたいだ。
-- By Grabthar's Hammer!
ステーキソース (スコア:1, おもしろおかしい)
stake source
ってのはどうかな
カタカナにするとステーキソース(steak sauce?)になってしまうのがアレですが
Re:ただソースを公開しているだけのは (スコア:1, 興味深い)
少なくとも私は、カテゴライズのつもりじゃありません。
一般人は(ある程度コンピュータに詳しい人を含めて)大半がオープンソースの定義も意義も知りません。
以下の話はそういう一般人視点での話です。(思想とかすべて抜きで)
すると、「オープンソース」という単語を聞くとどのように認識するかというと、ソースがオープンなソフトという風に解釈するわけです。
さらに、他者が意味の違いを指摘すると無用な反発を招きます。
「俺はこう解釈したんだ!どこの誰だか知らないが勝手に一般名詞を占有するな!」と。
(ちょっと極端な例ですが、一年前の私も同様な感想を抱いたものです。)
じゃあどうすればいいかというと、対抗する単語を広めりゃいいんじゃないかと。最近「ほーむぺーじ」に対してよりましな(?)「Webページ」のほうも使われることが多くなってきたと思いませんか。
もうひとつの対抗策として、(R)つけて商標だということを振りかざすのもいいかもしれない。(振りかざしたくないそうですが。)
独自の意味が付加されてても誰も反発しないんじゃないかなぁ。少なくとも勝手に解釈してよそで使うことはなくなるのじゃないかと。
Re:ただソースを公開しているだけのは (スコア:2, すばらしい洞察)
要するに、「オープンソース」という言葉を紹介するときにはきちんと意味も説明するようにしましょう、ってことです。あなたはそれの被害者です。
Re:ただソースを公開しているだけのは (スコア:2, 興味深い)
別ACですが、まさにそのとおりだと思います。
私がオープンソースを知ったときには、その中身(定義)を伴わずに語だけが一人歩きしていました。(今思えば)
私は勝手に「ソースがオープン」なんだな、と解釈してたわけです。
OSI定義のオープンソースを知った後も、「勝手な定義を押し付けられても困る」という感想を抱きました。
もちろんそれは間違いなのですが、重要なのは正しいか/正しくないか ではなく、
多くの人がそう感じてしまっている という事ではないでしょうか。
私一人の問題ならば、私が単に勉強不足である。 というだけの事かもしれません。五人でも十人でもそうかもしれません。
しかし、これだけ(政府にまでも!)正しくないオープンソースが広まってしまっている現状を見ると
単純に、間違っている人々を責める事は出来ないように思います
間違っている人々は、正しいオープンソースの敵ではないのです。
何かすらわかっていないのですから、戦いになるはずもありません。
必要なのは、敵を叩き潰すような手段ではなく、何も知らない子供に教えてあげるような方法ではないでしょうか。
Re:ただソースを公開しているだけのは (スコア:1, すばらしい洞察)
OSIのいう"オープンソース"は、現時点では一般的な用語ではありませんから、彼らの定義と違う使い方をしても誤用とはいえません。"啓蒙"なんて上からものを見るような言い方をしては、反発を招くだけじゃありませんか?
Re:細かい語をつくって (スコア:1)
細かい語って作っても無駄なんだろうなぁ...
Kiyotan
Re:細かい語をつくって (スコア:1)
「豆」と「腐」を別々にとらえて、
豆の腐ったもの一般のこととはふつう使いませんね。納豆とか。
そんなことしたら、コミュニケーションが変になる。
(matzさんの例えより)
「オープンソース」も「オープン」な「ソース」って、
別けて捕らえると駄目なんですよ。
「オープン」という言葉をとっても、
物理的に開かれているとか、営業されているとか、
公正明大とか、いろいろ意味があって、
いろいろな意味にとれる。
意味伝達を正確にかつ効率よくしようという習性があるのか、
1続きのことばになった時点で、意味は狭くなって、
その狭くなった意味は、皆で共有されることになる。
漢字だとそういうプロセスがすっと進むみたいだが、
カタカナ言葉はそうでもないようだ。
漢字で用語をつくってしまうのが、
こういう「オープンソース」を「オープン」な「ソース」と
捕らえられてしまうのを防ぐ良い手なのかもしれないですね。
Re:細かい語をつくって (スコア:1)
あるジャンルを代表的な固有名詞で総称してしまうというのは一般的な現象でしょう。
Re:細かい語をつくって (スコア:1)
Re:細かい語をつくって (スコア:1)
あえず表面的なケンカを嫌う日本人がいかにも好みそうな方法です。
でも、それだとどんどんとライセンスのバリエーションを増やしてしまいます。
例えば、もともとがあまり厳しくないライセンスなので、それほど問題視されて
いないみたいですが、微妙に違うBSDライセンスは結構頭痛いです。
#U.C.Berkeley以外が宣伝条項を無効にしたという話は聞かないですしね。
GPLとBSDと企業向けの3つぐらいに集約してもらえるとありがたいのですが。
#それぞれ2, 3種類のバリエーションを許可して合計9つ。これなら脳味噌に入る?
替わりに (スコア:1)
Re:オープンなんとか (スコア:1)
-- 哀れな日本人専用(sorry Japanese only) --
Re:あれ? (スコア:1)
「はい、どうぞ」
「・・・ふむふむ・・・ここを直せばよくなるな」
「はい、ありがとう。ところでその直した個所の著作権は私に帰属するから勝手に配っちゃだめだよ」
・・であっても??
Re:名が体を表してない (スコア:1)
個人的には、フリーという言葉の意味の曖昧さがあるにせよ、まだしもフリーソフトウェアのほうがマシだと思います。
Re:恣意的な引用 (スコア:1)
Re:そもそも (スコア:2, 参考になる)
歴史的な話をすると、1998年1月にNetscapeが同社のブラウザのソースコードを公開するのにあたって、Eric Raymondら著名なフリーソフトウェアの人々と会議をしました。そして、1998年4月7日に、O'Reilly & Associates (出版社)がホストになって、Open Source Summitというのが開催され、そこで、ソースコードを公開するソフトウェアついて、「Open Source オープンソース」と名前をつけるという合意が形成されました。
http://www.linuxgazette.com/issue28/raymond.html [linuxgazette.com]
http://www.linuxgazette.com/issue28/oreilly.html [linuxgazette.com] などを参照のこと。
Re: そもそも (スコア:1, 参考になる)
なかったの?
そのくらいも知らんのか…と思ってレス書きつつ調べたけど、ちゃんとした歴史説明も、当時のアーカイブすらも日本語だと皆無なのね。1997年…既に6年前か。linux-users とかその辺の ML を漁ればあるはず。
>OSIが定義する前からオープンソースって言葉はあったの?
なかったの?
なかったです。
厳密には定義が出たのは言葉のちょっと後だけど、実質的に同時。
インターネットが普及しだして、PCの世界の人が UNIX 文化に触れる頃から始まります。
当時既に Free Software という言葉はありましたが、アングラなハッカーのオモチャ程度の認識で、実際のビジネスに使う候補に挙げられることはほとんどありませんでした。
そこにインターネット/WWW から始まって、.com, LInuxブーム。この機会に Free Software の能力を知らしめられないかと議論していたものです。
"Free Software" の教条的主義的なイメージを薄めて、別のことばを使おうと作り出されたのが "Open Source Software". 1997年初頭らしい。
1997年半ばには ESR による『伽藍とバザール』、そして1998年始めの 「Netscapeオープンソース化」で完全に認知されます。
その頃すでにひとり歩きを始めちゃった "Open Source" の定義を厳密に定めるために Open Source Initiative が発足します。「オープンソースの定義(OSD)」を定めて、実際のライセンスが OSD を満たしているかのお墨付きを与えています。
この辺を承知している人が注釈無しにオープンソースと言った場合、OSDに合ったもののことを指します。誤解を招くので、注釈有りでもOSD不適合のものをオープンソースと言うのはできるだけ避けます。
Re: そもそも (スコア:2, 参考になる)
Re:平和と煩瑣 (スコア:2, すばらしい洞察)
逆に質問です。平和を望む気持ちはわかりますが、平和利用限定のライセンスを選択することによって、あなたはどのような効果を望んでいるのでしょうか?
たとえば世の中には、ある国の存在が諸悪の根源であり、その国に対する無差別テロ行為が世界平和のためであると信じている人がいると思いますが、そのような人がテロ行為のためにあなたのソフトウェアを使うことはあなたのライセンスでは許されるのでしょうか?
それが許される場合、それはあなたの望む平和利用なのでしょうか? 無意味ではありませんか?
それが許されない場合、誰がどういう基準で平和利用かどうか判断するのでしょうか? 検証が難しくありませんか? たとえ検証可能な厳密な基準がライセンスに記述されていたとしても、テロリストに無視されてしまうかもしれません。テロに利用されたと気付けばテロリストをそれで訴えることはできるかもしれませんが、テロを止めることに効果があるのでしょうか?
また、たとえば素粒子論の基礎研究をしている研究者が、ある研究のためにあなたのソフトウェアを使いたいと考えているとしましょう。その人の研究結果は、意図しない形で、核兵器の性能向上に使われてしまうかもしれません。真面目な研究者はどうやって自分の研究のための利用が平和利用であると判断したらよいのでしょうか?
あなたのソフトウェアを使って別の人が作ったソフトウェアが平和利用の条件なしで配布され、また別の人に戦争目的で使われたとしましょう。あなたのソフトウェアを使った人はライセンスに違反していますか? 戦争目的で使われることを知っての上だったらどうでしょうか?