興味ある情報しか拾わない現代人は、知識レベルが下がっている? 206
ストーリー by soara
無関心は危機 部門より
無関心は危機 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、
本家/.「Does Personalized News Lead To Ignorance?」より。
新聞会社や地域放送は生き残りをかけ、「何を伝えるべきか」ではなく「人々は何を耳にしたいか」に頼るようになってしまった。セレブリティのゴシップネタは増え、諸問題の深い分析は隅に追いやられてしまっている。
「人々が自分の趣向に合ったニュースにしか触れなくなり、重要な諸問題についての知識全般は急激に落ちている」と電子メディアに詳しい Chris Lee氏は指摘する。 Lee氏はまた「この 5年間の消費者動向をみていて一番驚くのは、人々が自分の国や地域自治体について知ろうという責任感がないことだ。これは技術からくる問題ではないと思う。20年前の人々と比べたとしたら、現代の人は『退屈な』ニュースについては驚くほど通じておらず、『本当に興味のある』ニュースに関してはもの凄く精通しているのだろう」と述べている。
「自分好み」の情報を拾うようになった現代人は、全体的な知識レベルが下がってきているのだろうか?
情報に辿り着くまでの過程も大事 (スコア:5, おもしろおかしい)
電子辞書でも同じことが言われてましたね。目的の情報がすぐ出てくるから、
探す過程で目に入る他の情報が電子辞書からは得られないと。
授業中、辞書を使っていて思わず目に入ったエロ単語にインターセプトされて
「なに探してたんだっけ?」となった人は多いんじゃないでしょうか。
Re:情報に辿り着くまでの過程も大事 (スコア:2, すばらしい洞察)
電子辞書に関しては、辿り着くまでの過程は犠牲になりますが、辿り着こうとする機会が増えたように感じます。
すごく手軽に調べられるので、わざわざ紙の辞書引こうとは思わない言葉でも、電子辞書でなら調べようと思えるのです。
そしてこれからは、辞書は辿り着いてからの行動が重要になってくるんじゃないでしょうか。
ちょっとWikipediaで調べ物したときに、いろんなページ巡ってしまって小一時間無駄にしたとき、なんかそんな気がしました。
1を聞いて0を知れ!
Re:情報に辿り着くまでの過程も大事 (スコア:1)
> 電子辞書でも同じことが言われてましたね。目的の情報がすぐ出てくるから、
> 探す過程で目に入る他の情報が電子辞書からは得られないと。
英語を勉強する人の中には辞書のほぼ『全単語』を覚える人もいるそうで、
そういう人にとっては全ての単語がABC順で整理されて頭に入ってくるのは重要みたいです。
その場合の辞書は、知らない単語を引くための物である以上に、『単語帳』なんでしょうね。
これは英語学習ならではという側面もあると思います。
Re:情報に辿り着くまでの過程も大事 (スコア:4, 興味深い)
日本人の先生はあれはダメだって言ってましたけど
Re:情報に辿り着くまでの過程も大事 (スコア:4, 興味深い)
>うちの研究室のアメリカ人は英次郎をほめてましたよ
べつに驚くほどのことじゃありません。
他の辞書にはのってないであろう、俗語とか、現代の流行語とか、卑猥な言い回しとかが
載っている、そういう「量」的な面においては英辞郎は文句なしにトップクラスです。英語
ネイティブであれば、そういう俗語まで載ってることに感心するでしょう。
一方で一般的な言い回しや用例や、そういった普通の辞書が満たすべき(ネイティブが今更
必要としないであろう)基本的部分については玉石混淆で非常に質が悪いのです。
>>ある程度「精査された辞書(旧来の辞書)」をみた上で,追加で参考として見るという 使い方をすべき辞書じゃないですかね > 英辞郎
同感です。
大英和辞典やNODEなどの『普通の』辞書を引いても載ってないような、最新の流行語や俗語を
見るには右に出るものはないと思います。一方で(20万語クラスの辞書に載ってるような)
「普通の単語」を引くには、あまりに質の悪すぎる辞書でもあるのです。
たとえていうなら、英英辞典で「ふいんき(←なぜか変換できない)」や「みかか」とか
「魔法少女」が載っているのに、「買う」とか「投げる」とか「休み/休む」とかが
載ってはいるけど、その解説や用例が間違ってたりすごく偏ってるような、そんな感じかな?
#買うの用例:女を買う,売られた喧嘩を買う。
「自分好み」の情報にアクセスできることはいいことだ (スコア:5, すばらしい洞察)
インターネットの進展により、人々が多様な情報源から、好みの情報を収集できるようになり、
競争が起こったのにも関わらず、外部環境の変化に無頓着であったり、気がつくのが遅れたたために
その地位を失いつつあるという、いわゆる「イノベーションのジレンマ」でしょう。
>人々が自分の国や地域自治体について知ろうという
提供される情報が多くなったので、自分の国や地域自治体に興味のない人たちは
代わりの情報を得ることができるのなっただけで、それらに興味ある人にとっては、
より詳細な情報が得られるようになっています。
「自分好み」の情報を拾えるようになった現代人は、明らかに知識レベルは向上しているでしょう。
好みでないものは情報にはなりえません。
常識のない世界 (スコア:4, すばらしい洞察)
スラドでも新聞読まないとかTV観ないとか誇らしげに宣言しちゃう人がたまにいるけど、そういう手合いが増えてるんですね。
どんな言論もある程度は全員に共通する文脈がないと話にならないので、この流れは非常に危険だと思います。行き着く先は(もうなっている気もするけど)思想の分裂・極端化と対話の停止だし、ジャーナリズムのない世界への退行だと思う。
言ってないことに反論するなよ
Re:常識のない世界 (スコア:5, すばらしい洞察)
タレコミにはこうありますね。
あなたが考える危険なこの流れはいわばマスコミが作ったものというわけですけど。
さて新聞やテレビで操作された情報という「共通する文脈」が大衆に必要というのなら、みんな共通の考えになるというのですから、それこそ「対話の停止」した時代がやってくるでしょう。しかしこの情報化社会にあって自分で情報を収集し選択する能力があれば、20年前と違って各自がジャーナリストになれる時代でもありますよ。ただ現実的に日常生活に追われている人にそんな暇はないのですが。
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re:常識のない世界 (スコア:5, 興味深い)
>> この情報化社会にあって自分で情報を収集し選択する能力があれば、20年前と違って各自がジャーナリストになれる時代でもありますよ。
米国のFOXニュースってご存知でしょうか?あの局は、嘘だろうが何だろうが、とにかく典型的な保守派の喜ぶようなネタを常に放送し続けることで、米国でNo.1の人気ニュースチャンネルへとのし上がりました。もちろん日本のメディアでも右寄り/左寄りというのはありますし、戦時中の出来事に対する報道姿勢や日中関係の解釈など、いろいろ差はありますし、今だと小沢問題についての報道姿勢などにも温度差はあると思います。しかし、FOXニュースの場合は報道姿勢とかいう次元の話ではなく、(当時の)ブッシュ政権を擁護するために事実無根なネタを放送し続けて誤解を流布し、それらの訂正を一切していません。ところが、そんな局が全米視聴率No.1のニュースチャンネルなのです。(ブッシュ政権崩壊の後で人気が落ちたらしいので、今は違うかもしれない)
ブッシュ政権時代にFOXニュースが延々と嘘を垂れ流した結果、いまだに「イラクは911の黒幕であり、国連の査察でイラクに大量殺戮兵器が見つかったのでブッシュ政権はイラクへの攻撃を開始したのだ。それら全て物的証拠もあがっていた」と信じているような人が米国民の何割とかいうレベルの割合でいます。しかも、これは(失礼な言い方かもしれないですが)「知識レベルの低い人は救いようがない」的な話ではありません。政治家や財界の大物などでも「CNNに代表される他のメディアはリベラルに偏向した嘘の報道を流している。だから自分は中立的なFOXニュースしか見ない」という思想の人がそれなりの割合で存在していますし、最近は他社も(単に人気取りだけのために)報道姿勢を保守寄りにシフトしつつあると言われています。このような状況を見ると「自分の見たいニュースしか見ない」「皆の見たいニュースしか流さない」という傾向は非常に危険だと思いますね。でも、その改善策は思いつかないですが。強いていえば子供の頃からの教育で何とかするしかないという話でしょうね。
「自分の信じたいものだけを信じる」流れは20年前もあったよね (スコア:2, 興味深い)
なるほどね。マスコミの視聴率偏重の流れを作ったのは、報道で思考停止した視聴者が作ったというわけですか。
しかしそれはテレビの影響力が強くなったというだけでしょう。昔からテレビには人を動かす影響力があったので、大々的なテレビ広告をうつことでそれに見合う集客をすることができたわけですし、しかも映像の分野の技術革新のおかげで、言論封鎖しなくても、現実と虚構を埋める精巧につくられたニュースが(20年前と比べて)今はお手軽に作成できるようになった。FOXテレビのようなメディアが20年前に存在していれば、20年前の人たちもつまらないニュースには見向きもしなかったでしょうな。
# 余談ですが、以前の「プレジデント」誌では、日本の田舎ではテレビ広告の影響力が根強いものの、都会では携帯電話の広告が台頭してきているため、業種によってはテレビ広告を選択しない流れがあるのだとか。米国でもテレビ広告の影響力は減ってきているといわれていますな。まあそれがメディアの視聴率偏重に拍車をかけているかもしれませんが。
これには大衆の知識レベルや時代は関係ありませんよ。たとえば昔は多かった信心深い人たちでさえ、自分の信じているものを客観的に選んでいたわけではない人がほとんどでしたから。生物学的な死を迎えた後の世界にいたっては、輪廻転生したり極楽浄土に行ったり地獄に堕ちたりと、各人の信じようで三者三様なのは滑稽でもありましたな(今も変わりありませんが)。
それでメディア報道などで「自分の信じたいものだけを信じる」傾向は、昔のニュースメディアにそれだけの力がなかったというだけで、今に始まったことではないってことでヨロ。
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re:常識のない世界 (スコア:3, 興味深い)
あなたが考える危険なこの流れはいわばマスコミが作ったものというわけですけど。
因果が逆ですね。それを求める人が増えたからマスメディアが迎合しはじめたんだと私は思いますが。
さて新聞やテレビで操作された情報という「共通する文脈」が大衆に必要というのなら、みんな共通の考えになるというのですから、それこそ「対話の停止」した時代がやってくるでしょう。
やってきません。知識セットが共通であることは必ずしも一つの解釈のみを与えない。現に私とあなたは共通の情報から違う意見を持ったわけで。
しかしこの情報化社会にあって自分で情報を収集し選択する能力があれば、20年前と違って各自がジャーナリストになれる時代でもありますよ。
だから常識がなくなっていくのであって、私はまさにそれを危惧しているのです。
相手の知識セットが仮定できないというのは、まともな議論の前には各個が独自の情報ソースをすべて明らかにして検証しなければいけないということですよ。
独自の情報を逐一検証するより、共通する知識とそこからの各個の差分のみを検証する方がずっと能率的であって、マスメディアが知識を「押し付ける」機能を低下させつつあるのは憂慮すべき事態だと思うのですが、如何か。
言ってないことに反論するなよ
Re:常識のない世界 (スコア:2)
そもそも"右へならえ"の状態で"まともな論議"ができるんでしょうか?
ここの人たちに言わせれば多分「左へならえ」ですね。
冗談はさておき、新聞やTVがなんと言おうが我々はそれに反証を立てることだってできるので別に良いんじゃないでしょうか。戦前・戦中とはそこが違います。
私はなにもメディアを鵜呑みにしろなんて言ってませんよ。ただ誰も彼もがオレオレ情報を持ち出しては「話にならない」と言ったまでです。検証も面倒だし。
言ってないことに反論するなよ
Re:常識のない世界 (スコア:4, 興味深い)
とある大学教授にして論壇界の有名人は「あらゆるチャンネルから知識は得た方がいい。しかしテレビだけは別だ。テレビはあなたをひたすら受動的にするメディアだ。その時間を他のチャンネルから得た方が知的になれる」というようなことを言ってました。現状のテレビを見るとそうなっていると思います。
Re:常識のない世界 (スコア:3, 興味深い)
普通に本屋じゃだめなんですかね。
すくなくともテレビの話題でカバーしてないものはない。それこそねーちゃんから環境問題まで。
また、テレビが取り上げないものもいくらでもあるし。
しかも、掘り下げる材料には事欠かない。
まあ、即時性では負けますが、ランダム性とは関係ない。
Re:常識のない世界 (スコア:3, 興味深い)
新聞読んでようがテレビ見てようが自分の趣向に合ったものだけを拾って
「読む/見る」人も多いわけで。
更に言えば、新聞を読んだりテレビを見る暇も無く働いている人も居たり。
「興味ある情報しか拾わない」というよりは
「必要最低限の情報しか拾えない」世の中になっているのかもしれません。
Re:常識のない世界 (スコア:2, すばらしい洞察)
必要最低限の情報、という範疇に含まれるかどうかは、情報を拾ってみないと分からない。
だからこそ、なんとなく目に入る新聞の見出し、なんとなく耳に入るアナウンサーの言葉、
というのは捨てたものでもない貴重な情報源であったりする。
そういうのが積もり積もって「おまえは新聞も読んでいないのか」とは言われないだけの
ベーシックな情報レベルに達することが出来ていたのが今までの生活スタイルだったのだが。
これから新聞の衰退がはっきりしてくると、「おまえは新聞も読んでいないのか」という
セリフが使えない、あるいは使っても救いにならない、社会に変わって行くのだろう。
これは民主制にとってひとつの危機なんだけどな。
端的に言って、放送とインターネットだけでは民主主義国家は失敗する。
Re:常識のない世界 (スコア:1)
タレコミ文、理解できてる?
「受け取る側が見聞きしたい(だろうとマスコミが推測するもの)ばかりが流されるようになった」じゃないの?
# 俺は逆だと思うけど。FOXとかTBSとかね。
Re:常識のない世界 (スコア:1, 参考になる)
>「受け取る側が見聞きしたい(だろうとマスコミが推測するもの)ばかりが流されるようになった」
私の知る限り、私が物心ついた頃からずっと、
日本のマスゴミはそういう情報しか流してきませんでしたよ。
だからこそ私はマスゴミを軽蔑するようになった。
======
ちょっとオフトピ。
プレビューしようとしてボタンをクリックすると、
「議論もしくはコメントがみつからなかった。自分で議論を作るには 日記を活用してください。」
が出る人っていません?そして一度戻ってからプレビューすると普通に表示される。
Firefox3.6に変更して後、そういうのが増えた気がする。プラグインのバグかなあ。
マスゴミと呼ぶ人たちの無神経さについて (スコア:4, すばらしい洞察)
>日本のマスゴミはそういう情報しか流してきませんでしたよ。
僕は「マスゴミ」と日常的に呼ぶ人のことを信用できません。
文章の中で「…いわゆる『マスゴミ』と呼ばれる大手メディア企業は……」なんて用法ならまだしも、
「マスコミはゴミであるがゆえにマスゴミなのだ」という判断の元、「マスコミ」と綴るべきところを
平然と「マスゴミ」と書いて恥じないその感性にも嫌悪を覚えてなりません。
それは第一に粗雑過ぎる判断であり、全てのマスコミを十把一絡げに扱うのは
「家庭用ゲーム機のソフトはゲームではなく全てゴミ」と言い張る頭のおかしい人の主張と
なんら変わるところがありません。
そして、頭が悪い上に傲慢です。
「価値基準を含んだ侮蔑的な言葉が、第三者にどのように届くのか?」という点についてまるで考えていません。
赤い旗を掲げた人々が街頭で「米帝の**を許すな!」などと言ったところで「米帝」と口にしたその時点で
「私は特定の主義主張に則った発言をしており、この価値基準を他者との円滑なコミュニケーションよりも
重視しているので私が他人にこの思想を強要することがあっても私が他者の判断基準を受け入れて
意見を変える事は絶対にありません」
と言っているのと同じだ、ということに気がついていないのです。
自分の言いたいことを他人の心に届かせよう、という意図があるのならばそういう価値基準を内包した
単語(それも蔑称にちかい)を使うのは慎んだほうがより円滑なコミュニケーションに貢献すると
思うのですが、どうも彼らにとって意思の疎通は重要ではないようです。
「他者に自分の意見を伝えよう」ではなく、「自分と自分の仲間だけが気持ちよくなればそれでいいぜ!」
という自慰的な意見の発散に過ぎないみたいです。
そのような理由から、僕は「マスゴミ」と恒常的に使う人は信用できませんし、なにか説得力のあるような
文章を読んでいるときでも文中に「マスゴミ」と出てきた瞬間に一歩引いて色眼鏡をかけてしまうのです。
「マスゴミ」を多用なさっている方は注意したほうがいいと思います。
Re:常識のない世界 (スコア:1)
> スラドでも新聞読まないとかTV観ないとか誇らしげに宣言しちゃう人が
> たまにいるけど、そういう手合いが増えてるんですね。
ああ、タレコミのタイトルだけ読んで
「新聞やTVで広範な情報を取り込むことを避けて、webで自分に都合の良いニュースばかり集める人が増えている」
という話だと思ってしまったのか。なるほど。
「結論ありきで、自分が興味ある情報しか拾わない現代人が増えている」という仮説の、いいサンプルになってしまってますよ、と。
Re:常識のない世界 (スコア:2)
ああ、タレコミのタイトルだけ読んで
「新聞やTVで広範な情報を取り込むことを避けて、webで自分に都合の良いニュースばかり集める人が増えている」
という話だと思ってしまったのか。
ああ、「新聞読まない、TV見ない人」を挙げたからそう思ったのか。今読み直したらそう解釈する人もいる気がしてきたけど、あれは「興味ある情報しか拾わない人」の例のつもりですよ。あと分かってると思うけど言いたいことは2段落目なんで、そこんとこ無視して「結論ありき云々」とか言われるのは心外。
言ってないことに反論するなよ
Re:常識のない世界 (スコア:2, 興味深い)
>今の日本が既にそうだったりして
彼らはジャーナリストである前にサラリーマンですから。
最初から無かったと思えば腹も立ちません。
昔はジャーナリズムがあったのではなく、
サラリーマンとしての仕事のモラルが今よりマシだったんですよ。
Re:常識のない世界 (スコア:2, 興味深い)
もとスレは好き嫌いによる情報源の単一化の危険性を語っているように読んだのだが。
つまり、あなたの言うマスコミのみをソースとし判断するのは、それこそマスコミと言う好きな情報のみを見るって事。
元々元のスレは危険視されている物だ。
ネット上の情報の方がって人のほとんどが見ない様にしている事の一つに、彼等がありがたがっている情報の殆どが、
実は一次情報源がマスコミであることってのがある。
そこで好き嫌いで情報源を選べば、結局は「自分の嗜好に応じたマスコミ」の情報のみを見るって事になる。
それって、複数のマスコミの情報を得るって事に比べ、元の情報源の幅は狭い。
挙句、blogなどで無責任にゆがんだ情報を「真実」と受け取ってしまっている可能性も否定できない。
ネットがTVほど危険じゃないなんてのは何も根拠も無い事ですよ。
そんなのを妄信するのは相当に危険な事だと思いますよ。
少なくとも情報源が多岐に渡っていれば、その差異の理由から個々の情報を出す側の意図をも読める可能性も出ますが、
それが単一や嗜好でソートされた奴であれば、その辺りの問題は見えなくなります。
だから株などをやる人は客観視を得るために新聞は複数取るしニュースも見る。
情報と言うのはそれぞれに人間と言うフィルターを通しているってのは既に前提であるが故に。
Re:常識のない世界 (スコア:2, 参考になる)
ええと、そこで世界報道自由ランキング、しかも2006年版のみを挙げるのは、ちょっとフェアじゃないような……。(変動の激しいランキングですし)
昨年発表された「国境なき記者団」による世界報道自由ランキング:2009年版 [rsf.org]では、日本は175ヶ国中17位です。
数年分列挙してみると、
となります。(単純平均すると、上位約21.4%)
文中で日本に対する言及があるのは、2006年と2007年です。
2006年は
と順位が下がった理由が説明され、2007年では
と、順位回復理由が述べられています。
いずれにしても、「国境なき記者団」が世界報道自由ランキングで示している指標は「報道に自由があるか」という点であり、「まともなジャーナリズムがあるかどうか」とは関係がありません。
それは、外山滋比古さんが30年前に通った道だ (スコア:4, 参考になる)
「『読書の方法』講談社現代新書 1981年11月刊」っていうのが昔あってな。
今は「ちくま文庫 と1-3」で『「読み」の整理学 [geocities.jp]』ってタイトルになってる。
という内容の本だ。
fjの教祖様
Re:それは、外山滋比古さんが30年前に通った道だ (スコア:2, 参考になる)
> 内容に新規性がある文章は理解に時間がかかる。これをアルファ読みと呼ぶことにする。
> 内容に新規性の無い文章は、すでにある知識とのマッピングが取れればいいので理解に時間がかからない。これをベータ読みと呼ぶことにする。
>
ここの「アルファ読み」と「ベータ読み」が逆転してますよ。
#内容自体は知らなかったので興味深く読みました。感謝です。
Re:それは、外山滋比古さんが30年前に通った道だ (スコア:2)
fj.jokes出身:
違うくないかな? (スコア:3, すばらしい洞察)
人類が数年のオーダーで、いきなりアホになったり、
かしこになったりする、という仮説には同意しかねるのですが。
どちらかといえば、昔の電子メディアのユーザは、
『退屈なニュース』とかにも目を通すエラい人の集まりだったものが、
普通のおっさん・おばはん・あんちゃん・ねぇちゃんも入り込んできたから
ネットに下世話な話が増えたのだ、という説を提唱したいですね。
おかげさんで、ネット上で高尚な話は見え難くなった、
という現実は確かに存在します。
でも、逆に考えてみれば『退屈なニュース』への普通の人の
アクセシビリティは、数年前に比べて、格段に向上しているのです。
タレコミにある問題提起は、現状のネガティブな側面だけを、
不当にクローズアップしているのではないでしょうか。
Re:違うくないかな? (スコア:2)
おっと!スラドの悪口はそこまでだ!
Re:違うくないかな? (スコア:1)
日本やドイツが第二次世界大戦をおっぱじめた時には、国民の圧倒的な支持があって、
それはメディアによって煽られたものだ、っていうコトを考えると、
短時間に一国の国民並の量の人たちをバカにさせる事自体は不可能じゃない気がします。むしろ、それ自体はありうる話。
いまは地球規模なメディアがいろいろある時代だから、昔はアホミームが国単位のローカルな地域圏の流行で済んでいたのが
人類全体に飛び火する可能性は、まぁ無くは無いんじゃないかな。ほら、痛ナントカがフランス人の若者に大ウケ、とか。
マスメディアの質は昔から低かったし、今も低い (スコア:3, 興味深い)
15年前の1月、自分は神戸にいた。家は無事だったが孤立して水道やガスが止まった。
一番欲しいのは情報であり、マスメディアは本来それを正確に報道すべきものだと思っていたが、どのテレビもセンセーショナルな映像を流していただけだった。
もしかしたら神戸全域で高速道路が倒れて火を噴いているように感じたかもしれないが(実際、そう誤解していた人もいた)、全域がそうであったわけではない。
無事なブロックもあったし、切実に助けの必要なブロックもあった。状況は場所によってずいぶん違った。
あれから15年。 ハイチの地震ではどうだろう?
テレビでは、略奪行為の悲惨さが繰り返し報道され、「こんな国に援助して意味があるのだろうか?」と感じてしまう事もあった。
しかし、たとえばJBpress [ismedia.jp]によると、どうやらそれが全てではないようだ。誤解はマスメディアにより広がる。
今、日本から被災地を援助するために必要なものは情報だと思うが、それにマスメディアはいまだに応えていないのではないか。
ということで、現代人の知識レベルが最近下がっているかどうかはわからないが、少なくともマスメディア(特にテレビ)の知識レベルは15年前から低く、しかも、あまり変わっていないように思う。
誰が悪いかって?
そりゃ、震災の劇的な報道、911テロの劇的な映像、新型ウィルスの劇的なニュースをワクワクして見ていた自分たちでない?
だって面白いもんね。自分が被災しなけりゃ。
# どうでもいいけど、地震の地の上を興味本位でヘリコプターで飛び回るのは止めてほしい。家が揺れるんだ。
今までマスコミが選択・偏向してきたニュース。 (スコア:2)
今までマスコミが選択・偏向してきたのでその実害が分からなかった事って多いですね。
このことは、マスコミが個人の嗜好ではない普遍的なニュースを提示という論点と違う、
その後のネット上での吟味・評価・伝達を含むという意味で異なる論点となりますが、
それぞれの利点を併せ持った方法があるといいですね。
個人的には、Yahooのニュースのトップになっているものは、新聞の時と変わらない程度に
見出しで読むか読まないかを選択していると思いますが、みなさんは如何ですか?
ニュースサイト?の見出しと、新聞の見出しでは、読むか読まないかの選択は違いますか?
Re:今までマスコミが選択・偏向してきたニュース。 (スコア:5, 興味深い)
タレコミにある『退屈な』ニュースっていうのは国際的ニュースから始まり、
政治問題、地方ニュースだったりするんでしょうね。
その地方のニュースだってマスコミ的に面白いニュースじゃないと報道すらしません。
地方の問題なんて全国で報道されるなんて事は無いし、一部地域問題なら絶望的。
でも大音量で布団叩いていた「騒音おばさん」は面白かったから報道しましたよね。
ですが、それすら偏向放送されていましたよね。
一方的に悪者にされたオバサンですが、どうしてそう言う事をしたか報道したメディアは
一社もありません。
情報の高級、低級なんていう前に正確な情報を伝えも出来なくなった日本のマスコミ報道には
絶望して読まない方がマシなのかもしれません。
むしろ昔から見出しこそが面白い (スコア:1, おもしろおかしい)
「鬼畜ボナパルト流刑地を脱出、本土上陸」
↓
「皇帝陛下、パリに凱旋」
# やってることは今も昔も大して変わってないような
Re:むしろ昔から見出しこそが面白い (スコア:2)
≒平和なのかも (スコア:2)
明後日、徴兵されるかもしれない。空が降ってくるかもしれない。
就職先なんてひとつもなくなってしまうかもしれない。
情報をあつめなくちゃという欲求も、自分ではそれと感じておらずとも危機感から生じるような気がする。
首相が替わったからといって明日死ぬわけじゃない。
だから、興味ない情報にわざわざ触れるわけがない。
病気してはじめてタバコやめようかと思うようなものと似ている気がする。
わざわざ広範囲な「ニュース」を知っていなくとも何となく生きていられるのは、それは平和なのかもしれない。
興味ないニュースに興味がない=なげかわしい
と単純化するのも、その一面しかかたっておらず単純化しているようにすら思う。
ましてその報道にとらわれてはいないか?
世の中おバカが増えたなぁと感じる状況と都合よく符号するから、そうかもな、なんて簡単に結びつけたくもなるけれど。
案外太古のむかしより、身の回り半径数メートルより先のことなんてそんなに知らずに生きてきたんじゃないか?
高度に政治的な議論より、元アイドルが薬でつかまったことについて笑いあってないか?
原油の取引価格よりも、巨人がかったか負けたかを散髪屋で話してないか?
読んでもらえないと、見てもらえないと儲からないから地域ニュースやら新聞社やらが必死になるのはそりゃごもっとも。
ところで地方にお住まいのみんな、ローカルニュースでおもしろい情報なんてあるか?
「地元小学生が植え込みにパンジー植えました」なんてのがほとんどだったりしないか?
嘆いている主体は情報を送る側なのだろう。
情報をうける側は別段劇的に変わってはいないとおもう。受信方法は種々増えたけれど、それだけの話。
これまで一方的に情報を送ってこれた側の焦燥感は、それはあるだろうなぁと想像する。
それを受け側の劣化がゆえとは...
就活はじめたら新聞よんでみたりするわけで。
給与明細もらって、はじめて所得税率調べたりするわけで。
今も昔も同じこと (スコア:2, すばらしい洞察)
不愉快な内容を、つまらなく記述した「高級紙」は元々部数が少なかったようです。
媒体がTVであれWebであれ、受信者数が増えれば全体の平均に近づくのは自明のコト。
ここで、イエローパーパーになるか(おもしろおかしい方向に特化して売上を確保)、
高級化(不愉快なニュースを金を払ってまで得る層に特化)するかは各社の判断になります。
# WSJは、不愉快な記事を有料化することで両方の層を取得しようとしている模様ですが……
notice : I ignore an anonymous contribution.
ショックウェーブを乗り切れ (スコア:2, 参考になる)
個人的には大昔鹿野司がログインのオールザットウルトラ科学で書いた
コラムで納得しちゃって以降、このへんの認識に関する更新はほとんどないんですが。
http://www.blwisdom.com/blog/shikano/archives/2006/12/post_78.html [blwisdom.com]
それらは既存メディアの問題でしかないのでは? (スコア:2)
>新聞会社や地域放送は生き残りをかけ、「何を伝えるべきか」ではなく「人々は何を耳にしたいか」に頼るようになってしまった。
インターネットの普及において、最も注目すべき事象のひとつに
「人と情報、あるいは情報と情報の距離が短くなった」というものがあると思います。
結果として、掲題の既存メディアが「伝えたい」と考える事柄や意見だけでなく
旧来では視聴者がアクセスしなかったはずの情報が伝わってしまう状況が生まれました。
良し悪しは別として、既存メディアが使命としていた大衆への情報フィルタリングの主導権が
個人に回帰し、個人により送受を取捨選択出来る時代になってしまいました。
選択肢として、既存メディアの情報フィルタリングによる送受信だけでなく
自分の興味のある事柄を発信する人、受信する人が増えて
結果として、本来は(既存メディアが)興味のなかった事柄に触れる機会も増えるという状況が生まれました。
例えば、中国のチベット問題は、当初は日本人の多くが興味がなかったと思われますが
インターネットで目に触れて「興味を持った」「識った」人が多かったと推測します。
言うなれば、既存"マス(多数への)"メディア vs "マス(多数の)"イデオロギーという
情報の貴族社会から大衆社会への転換が行われようとしているのではないでしょうか。
貴族や政治に対して、大衆が既存メディアを得たように
既存メディアに対して、個人はインターネットを手に入れたのです。
そのため、個人による情報発信と既存メディアでは求められる立場も役割も違います。
にもかかわらず文頭のような本末転倒な手法で大衆の耳目を集める行為に転換するのは、
一種の自己否定ではないでしょうか。
既存メディアには(これまでの)自身の存在価値を否定することなく、
それぞれ堂々と変わらぬ意志を貫いて欲しいと考えます。
存続すべき価値があるフィルタリング(取捨選択)が出来るならば、
社会と個人から十分に支持は得られるはずです。
#推敲なし、一発投稿!
知識レベルのあり方が変わった? (スコア:2)
情報過多の時代になり、いかに情報をうまく取るか(捨てるか)が重要になってきた。
(そもそもどのくらいの昔を指してるのかわかりませんが、行き交う情報量が全然違います)
というのが背景としてあると思いますが
問題提起としては、民衆の取捨選択能力が低い。という論調の方が適切かと。
持っている情報量は昔の人より多いし、知識レベルが下がったとは一概には言えないと思います。
「退屈な」ニュースというのが、自分に必要だという認識があれば良いだけだと思います。
例えば地域情報についても、これだけ”個”が尊重される社会で
”地域”の情報なんて必要だと思わなくなっていくのが当然だと思います。
(住んでいる地域や家族構成にもよりますが)
こうなってくると完全に社会学の世界になってしまいますね。
# そもそもどの時代との比較かわからないんですが
# 学生運動の時代の人たち以降の世代が政治に明るいかというと、そんなことないですよね。
そもそも悪いことなのか (スコア:2)
> 20年前の人々と比べたとしたら、現代の人は『退屈な』ニュースについては驚くほど通じておらず、『本当に興味のある』ニュースに関してはもの凄く精通しているのだろう」と述べている。
だとして、これが「良いこと」ではなくて一体なんなのでしょう
それに時代を遡ったとして、ネットがなかった時代にわざわざ興味のない話題・分野のチャンネルを見る人がどれだけ居ましたか。
テレビがなければ、興味のない雑誌・書籍を買う人はどれだけ居ますか。
電気も紙もなければ、くだらない噂をする友人と付き合ってていますか。
20年前は責任感があったのか? (スコア:2, すばらしい洞察)
20年前だって新聞はテレビ欄と4コマ漫画しか読まない人は一定数いたと思う。情報の多様化で政治経済欄を読まなくなった人もいるだろうけど、逆に多様化によりややこしい政治経済を調べる敷居は下がり、興味を持った人だっているはず。
そもそも「重要な諸問題」を「退屈」か「本当に興味のある」と思うかは人それぞれなのだからメディアは本当に伝えたいニュースに興味を持ってもらう努力をすべきだと思う。なのに多様化で興味を持ってもらえないから~とか言ってゴシップ記事を増やしたのを読者の責任だって言うのはおかしいだろう。少なくても自分はゴシップ記事なんて退屈で読む気にもならない。
メディアのせいなの? (スコア:1)
その重要な諸問題についての退屈なニュースが、自分に関係のある事だと大部分の人が思えなくなったのが
Lee氏が嘆く状況の原因では?
結局それなりにうまく世界が回ってるように見えてるときは、それらの重要な諸問題は
「確かに重要だけど、直接自分が情報収集して行動しなければならないことじゃない」と感じてしまうのでは。
他の方も言ってますけど、平和だからなんじゃないすかねぇ。
嫌韓・ネトウヨ・ν即民は日本の希望 (スコア:1)
そうかなぁ?結構俺のまわりには政治とか国際とかの「つまらない」ニュースに詳しい人多いけどなぁ……
と思ってみたら、その人たちはどちらかといえば嫌韓やネトウヨだったり、本人はそうでなくても2ch ニュース速報のレスを集めたまとめブログから情報を仕入れていたり、そういうのが多いです。
興味さえ持てば情報は手に入れやすい世の中になっていますので、
そういう興味の持ち方もそれはそれでアリなんじゃないかなぁ、と。
1を聞いて0を知れ!
Re:嫌韓・ネトウヨ・ν即民は日本の希望 (スコア:1)
政治とか国際情勢に興味を持たない人が増えているんだから、偏った人が増えるのは願ったり叶ったりなんじゃないですか。
人が興味を持つ情報を出すことを目的としているマスコミの報道が偏っているのと同様、
ネットからの情報で多くの人に興味を持たれている情報も、やはり偏っています。
そのことは分かっていて、本当の問題はタイトルにある通り「興味ある情報しか拾わない」ことにあるとは分かってはいるけど、
とりあえず政治とか国際情勢に興味を持たせたら、そこに関しては知識レベルを下げずに済むんじゃないかと思っているわけです。
# ネットを使ってるだけで公平で正しい情報が得られるみたいに思ってる人は、単にバカなのでしょう。
# テレビ/新聞を見てるだけで公平で正しい情報が得られるみたいに思ってる人と同程度に。
1を聞いて0を知れ!
Re:アメリカ人が馬鹿なのは昔からだろ。 (スコア:3, おもしろおかしい)
少なくとも古代エジプトまではさかのぼれると思うけど。
それ以前は知らん。
パピルスの紙が開発されたころはバッシングされたんだろうな。
「そんなペラペラなものに字をかいたら知識も軽くなる」
とか言われて。
Re:アメリカ人が馬鹿なのは昔からだろ。 (スコア:3, 興味深い)
ただしソースは○○、だけど。
日記にメモってた [srad.jp]のでID.
810 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/10/19(水) 08:53:24 0
>「世も末だ。未来は明るくない。賄賂や不正の横行は、目に余る。」
>−−−−−古代アッシリアの粘土板 B.C.2800頃
>「子供は、暴君と同じだ。部屋に年長者が入ってきても、起立もしない。親にはふてくされ、客の前でも騒ぎ、食事のマナーを知らず、足を組み、師に逆らう」
>−−−−− ソクラテス
>「最近の若者は、何だ。目上の者を尊敬せず、親に反抗。法律は無視。妄想に耽って、街で暴れる。道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる。」
>−−−−−プラトン
Re:アメリカ人が馬鹿なのは昔からだろ。 (スコア:1)
その元ネタはアシモフのIsaac Asimov's Book of Facts [amazon.co.jp]だったと思います。私は小学生の頃に「うそみたいなほんとの話」 [amazon.co.jp]という絵本でこの本が部分的に紹介されていたので知りました
Re:アメリカ人が馬鹿なのは昔からだろ。 (スコア:1, 興味深い)
「こんなもの火事にあったらおしまいじゃないか。やはり石か粘土版に限る」
でも実際パピルスに書かれたものはほとんどすべて失われて、石か粘土版に書かれたものしか残ってませんからね。どうにか残ってる紙の記録は大量に複製が作られたものばかりです。後世の研究者は、紙より脆弱なメディアしかない上にコピーまでも恣意的に制限していた時代(現代)の資料がまったく残ってなくてさぞかし困ることでしょうね。
# 粘土板はたまたま火事で焼けたものが残ったのであって最初から耐熱性を考慮していたわけではないがAC
解釈に回す「CPU時間」が減っている (スコア:2, すばらしい洞察)
明らかに情報化に振り回されているな、と思うことは多々ありますね。
正直な話、現状は性能をよくしないままブロードバンド回線につないだパソコンみたいになっていると思います。
扱える情報の量や帯域が大きく増えて、これで処理精度が良くなるはず、と期待して接続したのに、通信が高速広帯域過ぎて、メインのCPU時間まで割り振らないと送受信が追いつかなくなってしまっている。
当然そんな事をすれば情報の解析は遅れます。情報の解析が遅れるので、不足分をさらに受信に頼らないといけなくなってしまう。受信に全CPU時間を割り振って、パケットロスを起こさないようにしないといけない。自分で解釈していない以上、パケットロスしたら致命的ですから。そうしていつか、解析を行うプロセスにCPU時間を割り振れなくなってしまう。そうしないといけなくなるし、自分でデータを産まなくとも、受信したデータで補えるなら、それで表面上は問題が起きなくなりますから。
その状態で受信したデータがノイズやウィルスだったりすると、システムが破綻するわけですが。
送受信する情報量は明らかに増え、その速度も向上しているものの、送受信することがメインになって、受信した情報の解釈が全く進まない。そんなことをしていれば受信漏れを起こしかねないし、自分で解釈しなくとも受信すれば必要な情報が得られるとなったら、解釈を止めてしまう人間が増えるのは当然かと。
そして、自分で解釈する代わりに受信しているので、無意識に(あるいは意識して?)自説に都合のいい情報を選択するようになっている、という状況ではないでしょうか。
#最も、多少遅れても他に優先順位の高いプロセスが終わってからならプロセスを問題なく復帰できるパソコンと違って、人間の脳は使わないとどんどん衰えて行く、という、別な問題がある訳ですが。